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日本語モーラの心理的実在再考
ー母音の単独提示による知覚実験ー
近畿大学 菅井康祐
slideshare Kosuke Sugai
2015.3.2 聴覚研究会
(於:北海道医療大学札幌サテライトキャンパス)
なぜ今モーラ?
自身の研究分野
日本語母語話者による英語の音声知覚・認識
 
音声言語の知覚単位
音素,モーラ,音節,などの音韻項目と持続時
間の関係
外国語の音声知覚には母語の大きな影響
モーラの持続時間長
モーラとは
モーラとは
日本語のリズムを構成する音韻単位。仮名1文
字(拗音は2文字)で表され等時性を持つとさ
れる(菅井,2003)。
例)
母音 /V/
子音+母音 /CV/
特集拍 撥音 /N/, 促音/Q/, 長音/:/
音響面からのアプローチ
モーラの音響的持続時間長
Port(1987)
1モーラずつ長さを変えた音声の発話データよ
り,モーラ数に比例して語の長さは120 ms長く
なる。
河野(1998)
日本語の音節(モーラ)の長さは平均145 ms
である他の言語よりも正確な等時性。
モーラの音響的持続時間長
Port(1987)
同一語内の隣接するモーラ長の調査において,
同一語内のモーラに補償関係が見られた。それ
により同じモーラ数を持つ語の長さは近いもの
になると主張。
Sugito (1989),Sato(1996)などもこの説
を支持。
発話速度の影響
Hirata(2004)
発話速度の違いが,母音の短・長にどのような
影響をおよぼすか調査した。その結果,母音の
長さは発話速度の影響を大きく受けるが,短・
長の母音を含む語(CVCV : CVVCV, CVCV :
CVCVV )の長さの割合(2 : 2.70-2.95)はほ
とんど変わらなかった。
 →絶対的な長さは無い。
心理・知覚からのアプローチ
モーラの心理的持続時間長
藤崎・杉藤(1977)
/V_V/の単音節語の間の音の長さを操作した知
覚実験によって単語提示では141-169 ms, 文提
示では152-168 msにモーラの境界があるとし
た。
モーラの心理的持続時間長
Minagawa-Kawai他(2005)
/mama/という刺激語の語末の母音の長さを操
作した知覚実験により短母音と長母音の境界を
198 msと報告。
モーラの心理的持続時間長
Kinoshita他(2002)
/z_za/に5つの母音をそれぞれ挿入した課題を
用いた実験結果,F0の下降が長さの知覚に大き
な影響を及ぼすとしながらも1モーラと2モーラ
の長さの境界を示した.
/i/: 140 - 170 ms,/e/: 171 - 186 ms,
/a/: 158 - 177 ms,/o/: 149 - 177 ms,
/u/: 137 - 151 ms
研究の目的
研究の目的
先行研究においてはいずれの調査も課題は語よ
りも大きな単位であり,ターゲットのモーラ以
外に,長さの指標となる音が存在する。
持続時間長を操作した母音を単独で提示するこ
とで,日本語母語話者の脳内に内在化している
モーラの長さを探る。
実験
課題音声
原音:男性,39歳,近畿方言話者が発声した5
母音(/i/, /e/, /a/, /o/, /u/)
各母音を150 - 430 msまで約20 ms刻みで15
種類に編集(praat使用)
5母音 15種類 = 75課題
実験協力者
近畿圏の大学に通う18歳から21歳の大学生19
名。数名近畿方言話者以外も含まれるが実験結
果に差が見られなかったので全員を一つのグルー
プとして扱う。
手順
SuperLab 4.0およびRB-830 response padを
用いた2肢強制選択のボタン押し課題。
画面に表示される1モーラと2モーラの表記を見,
ヘッドフォンから聞こえる音声がどちらかの表
記に該当するかを出来るだけ早く判断し該当す
るボタンを押す。
手順
手順
5母音 15種類の75刺激をランダム提示。
各協力者は全ての刺激につき10試行750刺激を
聞く。
左右差のカウンターバランスのために同一音声
の10試行の内,1モーラ・2モーラそれぞれの反
応が左側(画面の表記およびボタンの設定)に
なるものと右側になるものを半数ずつ準備。
手順
実験は5セッションに分割して行われ,各セッショ
ンのはじめに5課題のダミーを入れた。
協力者ごとの実験時間は説明等を含め約40分。
結果と分析
データの下処理
実験協力者の判断(1モーラ・2モーラ)と共に
反応時間を記録した。
各被験者の反応時間が平均値 2SDを超えるも
のについては,外れ値として分析データから除
外した。
13690 - 707 = 12983
(全データ)(外れ値/5.16%) (分析データ)
判定データ
1モーラと判断した反応を1,2モーラと判断した
反応を2と記録した。
協力者(19),母音の種類(5),持続時間長
(15)の3要因の分散分析。
3要因の交互作用・主効果ともに全て有意。
これはデータの多さに起因するものであるとかん
がえられるので効果量から判断。持続時間長
(duration)のみに大きな値。
判定データ
判定データ
判定データ
1モーラ・2モーラの判定データからは,その境
界(1.5)は250 msと270 msの間であった。
反応時間データ
モーラ数の範疇知覚の様子をより詳細に見るた
めに反応時間データも分析した。
反応時間データ
反応時間データ
反応時間データ
230 msまでは右肩上がりで反応時間も長くなっ
ている
230 msから270 msの間では大きな差が見られ
ない。
290 msから反応が急激に速くなる。
まとめ
判定データ+反応時間データ
まとめ
判定データから見るとモーラの境界は250 -
270 msの間に有るように思われる。
反応時間のデータから考えると,230 - 270 ms
の間にモーラ数の境界があると考えられる。
母音のモーラ境界は230 - 270 msの間にある。
参照文献
藤崎博也・杉藤美代子(1977).「音声の物理的性質」『岩波講座日本語5
:音韻』:65-106.東京:岩波書店.
Hirata, Y. (2004). Effects of speaking rate on the vowel length distinction in
Japanese. Journal of Phonetics 32, 565–589.
Kinoshita, K., Behne, D. M., & Arai, T. (2002). Duration and F0 as perceptual cues
to Japanese vowel quantity. Proceedings of the 7th International Conference on
Spoken Language Processing (ICSLP 2002), (1), 757–760.
河野守夫(1998).「モーラ,音節,リズムの心理言語学的考察」『音声
研究』第2巻1号:16-24.
Minagawa-Kawai, Y., Mori, K., & Sato, Y. (2005). Different brain strategies
underlie the categorical perception of foreign and native phonemes. Journal of
Cognitive Neuroscience, 17, 1376–1385. doi:10.1162/0898929054985482
Port, R. F. (1987). Evidence for mora timing in Japanese. The Journal of the
Acoustical Society of America, 81(5), 1574-1585.
菅井康祐他(2003). 「心理言語学」『応用言語学事典』小池生夫編:455-
569. 東京:研究社.
杉藤美代子(1989).「音節か拍か―長音・撥音・促音―」『講座日本語
と日本語教育2:日本語の音声・音韻(上)』東京:明治書院,154-
177.

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