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2011/10/29(土)思想哲学研究会�
                                                発表者:糠澤 敦宏�

                   革命・暴力・権力�
          (中東革命、ハンナ・アーレント、マキャベリ)�
【2011 中東革命】




2010/12/17[チュニジア]�モハメド・ブアジジ焼身自殺事件。これ以降抗議デモが発生・拡大�
2011/1以降[シリア]     �反政府デモが激化�
2010/1/14 [チュニジア] �ベン=アリー大統領国外に脱出�
2011/1/18[イエメン]   �サヌア大学において学生数百人が反政府デモ�
2011/1/25[エジプト]   �大規模デモ。�
2011/1/29[エジプト]   �内閣更迭�
2011/2[バーレーン]     �民主化要求デモ�
2011/2/11[エジプト]   �大統領辞任�
2011/2/15[リビア]�   �拘留されている人権活動家の弁護士の釈放を要求する大規模デモ�
2011/2/27[リビア]�   �国民評議会の結成、暫定政権樹立�
2011/3[リビア]   �   �米英仏などによる軍事介入�
2011/8/23[リビア]�   �反カッザーフィー勢力により首都トリポリが陥落�
2011/10/20[リビア]   �カッザーフィー死亡�
2011/10/23[チュニジア]�憲法制定議会(定数217人)選挙�

•    一般的な背景…高い失業率(特に若者)、選挙制度が機能せず長期政権、独裁・強権的な政権、反
     体制派への圧力など政治的不自由�
•    チュニジア等ではFacebookやTwitterがデモを大規模化させたと指摘されている�
•    暴力による中東の政権転覆を志向していたアルカイダは影響力を低下させるのではとの指摘もある�
•    革命後…チュニジア、エジプト、リビアは暫定政権のもと憲法制定、選挙へ。いずれもムスリム同胞団
     を母体とする穏健派イスラム政党が伸長するという予測�
                                                   1
【素朴な疑問】
 •     一般に「革命」と呼ばれる現象は何なのか�
 •     革命を引き起こす背景や条件は何なのか�
 •     革命に伴いがちな内戦等の暴力は革命に必然的なものなのか�
 •     どのようにして「体制派」から「反体制派」に権力が移動するのか�
 •     暴力は権力を保持/奪取するために利用されるが実際意味がある手段なのか�
 •     革命が結果として失敗するのはなぜなのか�
 •     革命は自分たちと無関係の事象なのか�

       …等�

【文献】
 •     「革命について」(ハンナ・アーレント1963、ちくま学芸文庫)�
      –  戦争とならんで現代史を色濃く特徴づける革命とはいったい何だろうか?「社会問題」の解決がその目
         的だろうか?革命によって生まれた政治体はなぜ安定した永続性をもたなかったのか?その意義は果た
         して過去のものとなったのだろうか?本書でアレントは、主としてアメリカ独立革命とフランス革命の経験
         を比較・考察し、自由が姿を現すことのできる公的空間を保障する政治体の創設として前者を評価する。
         政党制や代表制ではなく、ある社会の全成員が公的問題の参加者となるような新しい統治形態がその
         時そこで始められたのである。忘れられた革命の最良の精神を20世紀政治の惨状から救い出す反時
         代的考察(訳者解説文)�


 •     「暴力について」(ハンナ・アーレント1970、みすず書房)�
      –  暴力と権力との相違をテーマにした「暴力について」を含めて3つの論文と1つのインタビューを収録�


 •     「君主論」(マキャベリ1532、岩波文庫)�
      –  君主たるものが権力をいかに維持・伸長すべきかを説いた(訳者解説文抜粋)�


 •     他参考資料�
        –    http://ja.wikipedia.org/wiki/アラブの春�
        –    http://www.foreignaffairsj.co.jp/essay/201106/Byman�
        –    http://www.foreignaffairsj.co.jp/essay/201102/Abrams�
        –    http://www.newsweekjapan.jp/column/ikegami/2011/03/post-298.php�
        –    http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャスミン革命�
        –    http://ja.wikipedia.org/wiki/2011年リビア内戦�
        –    http://ja.wikipedia.org/wiki/フランス革命�
        –    http://www.geocities.jp/timeway/kougi-78.html�
        –    http://www.geocities.jp/timeway/kougi-77.html�
        –    http://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ合衆国の独立�



                                                                                2
【革命とは何か】 (出典:革命について)
•    革命と戦争�
 –  「これまで、戦争と革命が20世紀の様相を形作ってきた。(中略)戦争と革命を正当化するイデオロ
    ギーが全て死に絶えた後にも、戦争と革命そのものは生き延びている」p11�
 –  「戦争の目的は革命であり、戦争を正当化できる唯一の大義名分は自由という革命的主張であるとい
    うのはほとんど当然なのである」p20�
 –  「革命が戦争への道を開く不吉な傾向を示していてる理由の一つは、暴力がこの両者の一種の共通
    項となっていたからだということは否定できない」p23�

•    革命の意味�
 –  「近代の革命を理解するうえで決定的なのは、自由の観念と新しいはじまりの経験とが同時的である
    ということである。」(p38)�
 –  「このような新しさのパトスが存在し、新しさが自由の観念と結びついているばあいにのみ、革命につい
    て語ることができるのである。もちろんこのことは、革命とは成功した暴動以上のものを意味しており、
    あらゆるクーデタを革命と呼んだり、内乱のなかに革命をかぎつけてはならないということである。」(P.
    46)�
 –  「ここ数世紀の革命精神、すなわち自由が住むことのできる新しい家を解放し、そして建てたいという
    熱望は、それまでの歴史にはなかったことであり、比類のないものである。」(P.47)�
 –  「革命とは自由の創設のことであり、自由が姿を現わすことのできる空間を保障する政治体の創設の
    ことである」(P.191)�
 –  「解放(liberation)と自由(freedom)とが同じでないことはわかりきったことであろう。解放は自由の
    条件ではあるが、けっして自動的に自由をもたらすものではないからである。そして解放のなかに含ま
    れているという観念は、どう考えてもネガティヴの域をでない。したがって解放への意図ですらへの欲
    求とは同じものではない。」p39�

•    革命が発生する条件�
 –  「革命は暴動の結果として起こるのではない。一般的にいえば、政治体の権威が本当に無傷なところ
    では、すなわち、近代的条件のものとで、軍隊や警察が文民政府に服従すると信頼できるようなところ
    では、革命は不可能だといってよかろう。革命はその最初の段階では驚くほど簡単に成功するように
    見えるものである。その理由は、革命を遂行する人びとが、明らかに崩壊している旧制度の権力を最
    初はただ拾い上げるだけだからである。つまり、革命は政治的権威の失墜の原因ではなくて、その結
    果なのである。」p178�
 –  「権威の失墜がまったく明白である場合でも、革命が起こり、成功するのは、ただ次のような条件があ
    る場合に限られる。すなわちその権威の崩壊にそなえており、同時に進んで権力を握るつもありがあり、
    熱心に組織活動を行い、共通の目的のために団結して行動する人びとが十分に存在するばあいがそ
    れである。このような人びとが大勢ひる必要はない。ミラボーがかつていったように、団結して行動す
    る人が十人もいれば、十万人の人を身震いさせ、ばらばらにすることができよう。」p178�

•    語源�
 –  「革命という言葉はもともと「天文学上」の用語であり、地上の人間に用いて適用しようとする場合、そ
    れは、いくつかの周知の統治形態が永遠の循環を続けながら死すべき人間の世界を回転するというこ
    とだけ意味していた」p57�
 –  「「革命」という言葉がそもそも「復古」を意味し、したがって、我々には革命のまったく正反対と思われ
    る事柄を意味するという事実は、単なる言葉の遊びではない。」p59�
 –  「王は「これは反乱だ」と叫んだという。するとリアンクールは王の誤りを訂正した。「いいえ陛下、これは
    革命です。」…ルイ16世がバスティーユ襲撃は反乱であると述べたとき、彼は陰謀と権威に対する挑
    戦を処理する権力とさまざまな手段はまだ自分が持っていることを主張したのである。これにたいして
    リアンクールは、起こった事柄は取り返しのつかないものであり、一国王の力を超えているものだと返
    答したのであった。」p66�


                                                           3
【フランス革命とアメリカ革命(1/2)】
•     二つの革命へのアーレントの評価�
 –  「痛ましい事実であるが、フランス革命は悲惨のうちに終わりはしたものの世界史をつくり、他方、アメリ
    カ革命は誇り高く勝利したものの局地的な重要性をもつにすぎない出来事にとどまったのである。」革
    命についてp77�


•     フランス革命の歴史背景(参考:Wikipedia)�
 –    18世紀のヨーロッパ各国では、自然権や平等、社会契約説、人民主権論等の啓蒙思想が広まって
      いた。責任内閣制を成立させ産業革命が起こりつつあったイギリス、自由平等を掲げ独立を達成した
      アメリカ合衆国といった変化が生じていた。�
 –    しかしフランスでは18世紀後半に至っても、君主主権が唱えられブルボン朝による絶対君主制の支
      配(アンシャン・レジーム)が続いていた。アンシャン・レジーム下では、国民は三つの身分に分けられ
      ており、第一身分である聖職者が14万人、第二身分である貴族が40万人、第三身分である平民が
      2600万人いた。第一身分と第二身分には年金支給と免税特権が認められていた。�
 –    一方でアンシャン・レジームに対する批判も、ヴォルテールやルソーといった啓蒙思想家を中心に高
      まっていた。自由と平等を謳ったアメリカ独立宣言もアンシャン・レジーム批判に大きな影響を与えた。�

•     フランス革命の経緯(参考:Wikipedia)�
 –    1789年�全国三部会の召集。多額の財政赤字を抱え、財政改革を行うため開催されたが紛糾。�
 –    1789年�球戯場の誓い。第三身分の代表は国民議会を結成。ヴェルサイユ宮殿の室内球戯場に集
      り、憲法を制定する事と国王が国民議会を正式な議会と認めるまで解散しない事を誓った�
 –    1789/7/14 バスティーユ襲撃。上記に反発する特権貴族や王族が軍隊をヴェルサイユとパリに集
      結し、緊張が高まるなかで勃発�
 –    1791/6/20 ヴァレンヌ事件。ルイ16世一家はパリを脱出するが、連れ戻される。�
 –    1791/8/27 ピルニッツ宣言。革命の波及を恐れるオーストリアとプロイセンがルイ16世の地位保
      証を強要。国王は国民の支持を失う。�
 –    1792/4〜 フランス革命戦争。ジロンド派内閣は革命維持のため対外戦争に踏み切る。�
 –    1792/8/10 8月10日事件。敵国との内通疑惑から、テュイルリー宮殿を攻撃し、王権を停止して
      国王一家を全員タンプル塔に幽閉。�
 –    1792/9/2〜 九月虐殺。ダントンの演説をきっかけに、反革命派狩りが行なわれ、数日間にわたる
      虐殺が行なわれた。�
 –    1792/9 共和政の成立。王政廃止とフランス第一共和政の樹立を宣言した。財産や納税額によら
      ず全ての男子に選挙権が与えられる普通選挙が制度化。�
 –    1793/1/21 国王処刑。戦争時の裏切りの罪でルイ16世、マリー・アントワネット処刑を議決。ギロ
      チンにより処刑。�
 –    1793 ヴァンデの反乱。王党派の反乱が起こり、鎮圧のため大規模な虐殺が行われた。�
 –    1793/6 ジャコバン独裁。ジャコバン派が国民公会からジロンド派を追放し、ロベスピエールが権力
      を掌握。反対派を次々とギロチンへ送る。�
 –    1794/7/27 テルミドールのクーデター。反ロベスピエール派によるクーデターでロベスピエールら
      が処刑される。過激な革命運動は沈静化し、ブルジョアジー勢力が復権する。�
 –    1799/11/9 ナポレオン・ボナパルトによるブリュメール18日のクーデター�
 –    1814 ブルボン王政復古�
                                                       4
【フランス革命とアメリカ革命(2/2)】

•    アメリカ革命の歴史背景(参考:Wikipedia)�
 –  イギリス本国政府は、アメリカに成立した13植民地に対して、税金も取らず、規制や干
    渉をくわえることはなかったが、政府としてのサービスも行わない状態だったため、植民
    地の住民は、早い段階から植民地で議会が成立するなど、政治的・経済的・文化的にも
    独自のもになっていっていた。�


•    アメリカ革命の経緯(参考:Wikipedia)�
 –  1756年�七年戦争。イギリスとフランスの戦争でイギリスが勝利し北アメリカのフランス
    領土を得たが、植民地人の入植を禁止。�
 –  1765年�印紙法。イギリスから植民地に課された最初の直接税。上記戦費を植民地に
    税負担させようとしたが強い反発で廃止。しかしその後、植民地への課税法案が次々
    成立していく。�
 –  1773年�茶法成立。抗議のためイギリスの貿易船に植民地人が乗り込み1万ポンドの
    茶を投げ捨てるボストン茶会事件発生。�
 –  1775年�アメリカ独立戦争�
 –  1776年�アメリカ独立宣言。トマス・ジェファーソンが中心となり執筆。�
 –  1778年�アメリカ・フランス同盟�
 –  1781年�ヨークタウンにおけるアメリカ軍の勝利�
 –  1783年�パリ条約。和平成立。�
 –  1787年�憲法制定。�




                                             5
【フランス革命への考察】 (出典:革命について)
•    貧困、社会問題�
 –  「はじめて広い日の光のなかに姿をあらわしたこの群衆は、実際、虐げられた貧民の群衆であり、それ
    以前には暗黒と恥辱となかに身を沈めていた人びとの群れであった。このとき以来、、もはや取り消す
    ことができなくなったことは、公的領域の空間と光が、日々の生活の必要に追われているがゆえに自由
    ではないこの無数の群衆に与えられなければならないといことであった。そしてこのことは、革命の行
    為者や目撃者によってももはや取り消すことのできないものと即座に認められたのであった。」p67�
 –  「テロを解き放ち、革命を滅亡にまで追いこんだのは必然性〔貧窮〕であり、人びとの緊迫した欠乏で
    あった。」p92�
 –  「この間に革命はその方向を変え、もはや自由が革命の目的ではなくなっていた。」�
 –  政治的手段によて人類を貧困から解放しようとすることの結末は、人びとが本当に自由でありうる唯
    一の領域、すなわち政治的領域に、必然性[貧窮]が侵入したことであった。P169�

•    人民、一般意思�
 –  「人民という言葉はフランス革命のすべてを理解する上で基本的な言葉である。その意味内容は、人
    民の労苦を自分自身は経験しなかったがそれを目撃した人びとによって定められた。この言葉は、は
    じめて、統治に参加していない人びと以上のことを意味し、市民ではなく下層人民を意味した。この言
    葉の定義そのものが同情から生まれ、不運や不幸の同義語となった。」p113�
 –  「全ての人間がパンを必要とする限り、われわれはすべて同じであり、一つの肉体に統一されるのは当
    然である。人民のフランス的概念が、その当初から多頭の怪物の意味を持ち、一つの肉体のように動
    き、まるで一つの意思をもっているかのように行動する一つの塊という意味を持っていたのは、けっして
    たんなる理論的誤謬という問題ではなかったのである。」p140�

•    同情。際限ない残酷さ、偽善の問題�
 –  「徳の源泉と考えられた哀れみは、残酷さそのものよりも残酷になる能力を持っていることを証明して
    いる。『哀れみのため、人間にたいする愛のため、非人間的になれ!』——パリのコミューンのあるセク
    ションが国民公会にあてた請願書のなかからほとんど任意に抜きだしたこれらの言葉は、偶然的なも
    のでもなくまた極端なものでもない。これは哀れみの真実の言葉である。」p133�
 –  「ルソーの無私やロベスピエールの「徳のテロル」の根本にある経験を理解するためには、フランス革
    命を準備し、またその仮定で活動した人びとの心のなかで、同情がどのように決定的な役割を果たし
    ていたかを考慮しなければならないということである。ロベスピエールにとって、さまざまな社会階級を
    一つの国民に統一することができ、また統一しなければならない力は、[貧しさ]に苦しんでいない人び
    とが不幸な人びとにたいして示す同情、…であることは明白だった。」P119�
 –  「どんなに心の奥深くで感じられた動機であろうと、いったん引きずり出され、公的な観察にさらされる
    なら、それは考察の対象ではなく、むしろ疑惑の対象となる。…それが姿を現すと、それはその背後に
    ふたたび奥底にある別の動機を潜ませている「単なる外観」となる。つまり偽善とか欺瞞のようなもの
    になる。…この論理にしたがって、いったん徳を心の特性と同一視した以上、あらゆるところに陰謀と
    中傷、裏切りと偽善を見たのである。」p142�
 –  「ロベスピエールの独裁を恐怖政治にかえたのは偽善との戦いであり、この時期に非常に特徴的なこ
    とは支配者たちの自己粛正であった。」p147�

•    フランス革命と同じコースをたどる後世の革命�
 –  「太古の昔から人間の生活は貧困にうちのめされてきた。そして人類は、今なお西半球以外のすべて
    の国で、この呪いの下で労働をつづけている。これまでの革命で「社会問題」を解決し、欠乏の苦境か
    ら人びとを解放した革命はなかった。1956年のハンガリー革命をのぞいて、どの革命もすべてフラン
    ス革命の先例にしたがい、暴政と抑圧にたいする闘争のなかで悲惨と極貧の力を利用し、また誤用し
    た。過去の革命の記録全体が、疑問の余地がないほどはっきり示しているように、社会問題を政治的
    手段で解決しようとする試みはいずれもテロルを導き、ひるがえってそのテロルこそ革命を破滅に追い
    やるのである。」p166�
 –  「存在するすべての権力に果敢と挑戦し、地上のあらゆる権威に挑み、その勇気にいささかの疑問の
    余地もない人たちが、日々謙虚に、怒りの叫び声すらあげずに、いかにその外観が馬鹿らしく不合理に
    思われようとも歴史的必然の呼び声に屈服している光景には、何か壮大な滑稽さとでもいうべきもの
    がある。彼らは愚弄されたのである。しかし、それはダントンやヴエルニョーの言葉、ロベスピエールや
    サン=ジュストの言葉、その他大勢の人の言葉が依然として彼らの耳に響いていたからではなかった。
    彼らは歴史によって愚弄されたのであり、歴史の道化となったのであった。」p81�         6
【自由の構成と権力】 (出典:革命について)
•    憲法�
 –  近代的条件のもとでは、創設の行為とは憲法作成と同じことである。p192�
 –  フランス最初の憲法は、国王の受託はもとより、国民に委託されて承認されるということもな
    かった。…その後次から次へと目まぐるしく新しい憲法がつくられた結果、20世紀に入ってか
    らも憲法のなだれがつづき、ついに憲法の概念そのものが見る影なく分解した。p192�
 –  反乱や解放が新しく獲得された自由の構成を伴わないばあい、そのような反乱や解放ほど無
    益なものははのである。なぜなら、「憲法がなければ、道徳も徳も軍隊の規律も、さらにはこの
    ようなものいっさいも無益だろう」(ジョン・アダムス)から。p224�
•    権威の問題�
 –  人間のつくるあらゆる実定法は、それに合法性を与え、「より高い法」として立法行為そのもの
    を超越するような外部的な源泉を必要とするというものである。p250�
 –  フランス革命の大きな致命的不運は、どの憲法制定会議をとっても、一つとして国法を定める
    のに十分な権威をもてなかったということであった。p255�
 –  共和政の政治体に神々が必要だということは、フランス革命の仮定では、まったくあたらしい崇
    拝をつくろうとするロベスピエールの絶望的な企てのなかにあらわれた。最高存在の崇拝がそ
    れである。(中略)彼が必要としていたのは、けっしてこの「最高存在」ではなかったのである。
    …彼が必要としたのは、むしろ彼自身「不滅の立法者」と呼んでいたもの、また別のところで
    「正義への絶えざる訴え」とも名づけているものであった。p298�
 –  アメリカ共和国の政治体を独立宣言と合衆国憲法という二つのもっとも偉大な文書だけから判
    断しようとすれば、独立宣言の前文のほうは、政府を構成する行為としてのコンステテューショ
    ンではなく、国法としての憲法それ自体が、それ自身の正統性をひきだす権威の唯一の源泉
    をなしているといえる。311�
 –  アメリカ革命の人びとが自分たちを「創設者」と考えていたという事実そのものが、新しい政治
    体の権威の源泉は結局のところ、不滅の立法者とか自明の真理とかその他の超越的で現世
    超越的な源泉などではなく、むしろ創設の行為そのものであることを彼らがいかによく知って
    いたかを示している。ここから、あらゆるはじまりが不可避的にまきこまれる悪循環を突き破る
    ための絶対者の探求は無意味であるということになる。というのは、この「絶対者」は、そもそも
    はじまりの行為そのもののうちにあるからである。P326�
•    権力と暴力�
 –  「人間の古くからの夢や後年の概念とあきらかに異なって、暴力は、新しく安定した何も
    のかを生むどころか、逆に、「革命的奔流」のなかに、はじめる者もろともはじまりを押し
    流してしまったのである。」p333�
 –  「「自然状態」のなかになげだされた人びとにとって、フランス革命の経験が意味したの
    は、疑いもなく、群衆の倍増された力は、貧困の圧力とともに、制度化され統制された
    権力も抗しがたい暴力として爆発しうるとおいことであった。しかしこの経験は、あらゆる
    理論とは反対に、このような倍増された力は権力を生みださないということ、そして、前
    政治状態にある力と暴力は流産に終わるということを教えたのである。フランス革命の
    人びとは暴力と権力をどう区別するか人民からくるものではならなぬと確信していた。
    そこでこの群衆の前政治的な自然的強制力の前に政治的領域を開放したため、国王
    や旧権力が一掃されたように、今度は彼ら自身がその力に押し流されたのである。」
    p294�
 –  彼(マキャベリ)はたしかに政治学あるいは政治理論の父ではなかった。しかし、彼のな
    かに革命の精神的父を見ることを否定するのは困難である。18世紀の政治思想に非
    常に特徴的となった、古代ローマの精神と制度を復活しようというあの意識的で熱情的
    な努力がかれのなかにすでに見られるだけではない。…政治の領域における暴力の役
    割を主張しつづけたことであっった。…これはフランス革命の人たちの言葉と行為のな
    かにも見られることである。p50�
                                                  7
【暴力、権力(1/2)】
•     権力維持手段としての暴力(君主論)�
     –  「軍備ある預言者はみな勝利したが、軍備なき預言者は滅びてきた。なぜならば、いま述べたことの
        ほかに、人民は本性において変わりやすいので、彼らに一つのことを説得するのは用意だが、彼らを
        説得した状態にとどめておくのは困難であるから。それゆえ、彼らが信じなくなったときには、力づく
        で彼らを信じさせておく手段が整っていなければならない。」P47�
     –  「君主たる者は、したがって、戦争と軍制と軍事訓練の他は何の目的も何の考えも抱いてはいけない、
        また他のいかなることをも自分の業務としてはならない。」P109�
     –  「闘うには二種類があることを、知らねばならない。一つは法に拠り、いま一つは力に拠るものである。
        だが、第一のものでは非常にしばしば足りないがために、第二のものに訴えねばならい。」P131�
•     暴力の所有(君主論)�
     –  「これ(援軍)を呼び入れた者には、ほとんどつねに害をもたらす。なぜならば、彼らが敗北すれば、自
        分も滅亡してしまうし、勝利すれば、自分は彼らの虜になってしまうから。」p101�
•     その他権力を維持する条件(君主論)�
     –  「自分の同朋である市民を殺害し、友人を裏切り、信義を欠き、慈悲心を欠き、宗教心に欠いた行動
        を、力量と呼ぶわけにはいかない。そのような方法によって権力を獲得することはできても、栄光は
        獲得できない。」p67�
     –  「いかなる君主においても民衆を味方につけておくのが必要だということである。」p77�
     –  「新しい君主にとっては、新しい政体に危険が付きまとうゆえ、冷酷の名前を逃れることは不可能であ
        る。」P126�


•     現代の暴力の特徴(暴力について)�
 –  「国民国家とその主権の概念の衰退という政治的な衰退がまずあって、その後にヨーロッパの衰退がやって来
    たという事実には気づかないで。低開発国の外交問題においては、戦争は依然として最後の手段(ウルテイマ・
    ラツイオ)であり、昔からの暴力による政治がつづいていることは戦争が時代遅れであることに反対する論拠に
    はならないし、核兵器や生物兵器をもたない小国だけがいまだに戦争することができるという事実は何の慰めに
    もならない」(p.100)。�

•    暴力と権力など他の言葉との同一視(暴力について)�
 –  「現在用いられている用語法が「権力」、「力」、「強制力」、「権威」、そして最後に「暴力」のような重要な語をき
    ちんと識別していないことは、政治学の嘆かわしい現状を反映しているように思われる。これらの語はどれも判
    然と異なった現象を指し示すものであり、もしそうした諸現象がなければこれらの語はまず存在しないだろう。」
    p132�
 –  「僭主政はモンテスキューが発見したように、統治形態のなかでも最も暴力的でありかつ最も権力のないものな
    のである。実際権力と暴力との最も明白なる相違点の一つは、権力はつねに数を必要とするのにたいして、暴
    力は機器に依存するがゆえにある点までは数がなくてもなんとかやっていけるという点にある。法的な制限のな
    い多数決原理、すなわち、国制なき民主政は、暴力を何ら行使せずとも、きわめて強硬に少数者の権利を抑圧
    しうるし、きわめて効果的に異論を圧殺することができる、しかし、それは暴力と権力とが同一であるということ
    ではない」(p.131)。�

•    暴力は権力の源泉となるのか(暴力について)�
 –  「暴力はつねに権力を破壊することができる。銃身から発する命令はもっとも効果的な命令であり、一瞬にして
    もっとも完全な服従をもたらす。銃身からはけっして生じえないもの、それは権力である」(p.142)�
 –  「もっぱら暴力の手段だけにもとづいているような政府はいまだかつて存在したためしがない。拷問を主要な支
    配の道具とする全体主義支配者でさえ、権力の基礎を必要とする——それが秘密警察とその密告者網であ
    る」(p.139)。�
 –  「政治的にいうとすれば、権力と暴力は同一ではないというのでは不十分である。権力と暴力とは対立する。一
    方が絶対的に支配するところでは、他方は不在である。暴力は、権力が危うくなると現れてくるが、暴力をなす
    がままにしておくと最後には権力を消し去ってしまう。ということはつまり、暴力に対立するのは非暴力であると
    考えるのは正しくないということである。非暴力的権力というのは、実際のところ、言葉の重複である。暴力は権
    力を破壊することはできるが、権力を創造することはまったくできない」(p.145)。�


                                                         8
【暴力、権力(2/2)】
•    権力とその他混同されがちな概念(暴力について)�
 –  「権力(power)は、ただたんに行為するだけでなく[他者と]一致して行為する人間の能力に対応する。権力は
    けっして個人の性質ではない。それは集団に属すものであり、集団が集団として維持されているかぎりにおいて
    のみ存在しつづける」(p.133)。�
 –  「力(strength)は紛れもなく単数の、個体的実在のうちにある何かを指している。それは物または人に固有の
    性質であり、その特性に属すものであって、他の物や人間との関係のなかでその存在が証明されるであろうが、
    本質的には他の物や人間からは独立している」(p.134)。�
 –  「強制力(force)は、日常の会話のなかでは暴力、とりわけ強制の手段としての暴力と同義語として使われるこ
    とが多いが、専門用語としては「自然の力」や「事の成り行き」(la force des choses)、すなわち物理的または
    社会的運動から発せられたエネルギーを指す場合に用いられるべき語である」(p.134)。�
 –  「権威(authority)は、これらの現象にかんして最もとらえどころがなく、それゆえ術語としては最も頻繁に濫用
    されているが、権威は人間に付与されることもあり——たとえば親と子の関係や教師と生徒の関係におけるよう
    な人格的権威のようなもの——、また、たとえばローマの元老院(〈元老院に権威あり〉auctoritas in senatu)
    や教会の聖職位階制における職(聖職者は、たとえ酩酊していても、かれの行う罪の赦しは有効である)のよう
    な役職に付与されることもある。権威は、それに従うように求められた者が疑問を差し挟むことなくそれを承認
    することによって保証されるのであって、強制も説得も必要ではない」(p.135)。�

•    暴力とは(暴力について)�
 –  「暴力(violence)は、すでに述べたように、道具を用いるという特徴によって識別される。現象的にみれば、それ
    は力に近い。なぜなら、暴力の機器は、他のあらゆる道具と同じように、自然の力を増幅させるという目的で設
    計され使用され、その発達の最終段階では、自然の力にとって代わることができるからである」(p.135)。�
 –  「暴力は権力の最もあからさまな顕現にほかならない」P124�
 –  「暴力はあらゆる手段がそうであるように、追求する目的による導きと正当化をつねに必要とする。……平和の
    目的とは何か、という問に対する答えはない。……権力はいうなれば、「目的自体」である。」p140�

•    権力とは、その源泉(暴力について)�
 –  「権力は政治的共同体の存在そのものに本来備わっているものであるから、いささかの正当化も必要としない。
    権力が必要とするのは正統性である。……暴力を正当化することはできるが、しかし暴力が正統なものである
    ことはけっしてないだろう。暴力の正当化は、それが意図する目的が未来へ遠ざかるほど真実味を失う。」p141�
•    権力を失うものが行使する暴力(暴力について)�
 –  「権力のいかなる減退も暴力への公然の誘いであることは、われわれは知っているし、知っているべきである
    ——それがたとえ、政府であれ、被治者であれ、権力をもっていてその権力が自分の手から滑り落ちていくのを
    感じる者は、権力の代わりに暴力を用いたくなる誘惑に負けないのは困難であるの昔からわかっているという理
    由だけからだとしても」(p.175)。�

•    権力の独占が権力を失わせる(暴力について)�
 –  「中央集権化が行政的にみて有利であるか不利であるかはともかくとして、その政治的な結果はつねに同一で
    ある。すなわち、権力の独占は、その国の真正な権力の源泉を干上がらせたり漏れ出させたりする。」173�

•    暴力の不可逆性(暴力について)�
 –  「さらに、暴力の危険は、たとえそれが意識的に短期的な目標の、極端にならない程度の枠のなかに留まってい
    るにせよ、つねに手段が目的を圧倒してしまうことにある。もし目標がすぐに達成されなければ、その結果はた
    んなる敗北では済まず、政治体全体に暴力の実践が持ち込まれることになろう。行為は不可逆的なものであり、
    敗北したときに現状へ戻ることはまずありえない。暴力の実践は、あらゆる行為と同様に、世界を変えるが、しか
    し最も起こりやすい変化は、世界がより暴力的になることである。」167�
 –  「暴力は、その本性からして道具的である以上、それを正当化しなければならない目的に到達すると いうところ
    までは理性的である」(p.166)�




                                                                9
【革命後の世界で失われたもの】 (出典:革命について)
•    失われた宝�
 –  「この共和国には、まさにそれを樹立するときに役立った、あの特質を生かす空間も余地も残されてい
    なかった。」p375�
 –  「ルイス・マンフォードは最近、創設者たちが都区の政治的重要性を認識してなかったことを指摘し、
    都区を連邦憲法か州憲法のなかに取り入れなかったことは「革命後の政治的発展の悲劇的失策の一
    つ」であるとのべた。創設者のなかでは、ジェファーソンだけがこの悲劇をはっきりと予感していた。とい
    うのは、彼のもっとも恐れていたものは実際、「具体的期間を欠く抽象的な民主政の政治システム」で
    あったから。」p380�
 –  「もし革命の最終目標が自由であり、自由が姿をあらわすことのできる公的空間の後世、すなわち自
    由の後世であるとするなら、すべての人が自由となることのできる唯一の実体的な空間である区とい
    う基本的共和国こそ、実際には、このような自由の空間を人びとに与え、それを守ることを国内問題の
    主たる目標としたはずの大共和国の目的でなければならなかった。区政の基本的仮定は、公的幸福
    を共有することなしには幸福であるとはいえず、公的自由を経験することなしには自由であるとはいえ
    ず、公的権力に参加しそれを共有することなしには、だれも幸福であり自由であるということはできな
    い、ということであった。」p407�


•    革命から自発的に発生する公的空間�
 –  「ジェファーソンの計画とフランスの革命的協会は、いずれも、十九世紀と二十世紀のあらゆる真正の
    革命に姿をあらわすことになるソヴィエトやレーテのような評議会を、まったく気味がわるいほど正確に
    予想させるものであった。このような評議会が現われるばあい、それは、きまって人民の自発的機関と
    して生まれ、すべての革命政党の外部に発生するばかりか、党とその指導者のまったく予期に反して
    姿を現わした。」(P.399)�
 –  「評議会制がまったく新しい統治形態、つまり、革命そのものの過程で構成され組織された自由の新し
    い公的空間、をどれほど自分たちの面前に突きつけていたか」(P.399)�
 –  「二十世紀における革命の惨状のうちに葬り去られたのは、まさにこのような国家の変容にたいする希
    望、すなわち、近代的な平等主義的社会の全構成員が公的問題の「参加者」になることができるよう
    な新しい統治形態にたいする希望にほかならなかった。」(P.421)�




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20111029

  • 1. 2011/10/29(土)思想哲学研究会� 発表者:糠澤 敦宏� 革命・暴力・権力� (中東革命、ハンナ・アーレント、マキャベリ)� 【2011 中東革命】 2010/12/17[チュニジア]�モハメド・ブアジジ焼身自殺事件。これ以降抗議デモが発生・拡大� 2011/1以降[シリア] �反政府デモが激化� 2010/1/14 [チュニジア] �ベン=アリー大統領国外に脱出� 2011/1/18[イエメン] �サヌア大学において学生数百人が反政府デモ� 2011/1/25[エジプト] �大規模デモ。� 2011/1/29[エジプト] �内閣更迭� 2011/2[バーレーン] �民主化要求デモ� 2011/2/11[エジプト] �大統領辞任� 2011/2/15[リビア]� �拘留されている人権活動家の弁護士の釈放を要求する大規模デモ� 2011/2/27[リビア]� �国民評議会の結成、暫定政権樹立� 2011/3[リビア] � �米英仏などによる軍事介入� 2011/8/23[リビア]� �反カッザーフィー勢力により首都トリポリが陥落� 2011/10/20[リビア] �カッザーフィー死亡� 2011/10/23[チュニジア]�憲法制定議会(定数217人)選挙� •  一般的な背景…高い失業率(特に若者)、選挙制度が機能せず長期政権、独裁・強権的な政権、反 体制派への圧力など政治的不自由� •  チュニジア等ではFacebookやTwitterがデモを大規模化させたと指摘されている� •  暴力による中東の政権転覆を志向していたアルカイダは影響力を低下させるのではとの指摘もある� •  革命後…チュニジア、エジプト、リビアは暫定政権のもと憲法制定、選挙へ。いずれもムスリム同胞団 を母体とする穏健派イスラム政党が伸長するという予測� 1
  • 2. 【素朴な疑問】 •  一般に「革命」と呼ばれる現象は何なのか� •  革命を引き起こす背景や条件は何なのか� •  革命に伴いがちな内戦等の暴力は革命に必然的なものなのか� •  どのようにして「体制派」から「反体制派」に権力が移動するのか� •  暴力は権力を保持/奪取するために利用されるが実際意味がある手段なのか� •  革命が結果として失敗するのはなぜなのか� •  革命は自分たちと無関係の事象なのか� …等� 【文献】 •  「革命について」(ハンナ・アーレント1963、ちくま学芸文庫)� –  戦争とならんで現代史を色濃く特徴づける革命とはいったい何だろうか?「社会問題」の解決がその目 的だろうか?革命によって生まれた政治体はなぜ安定した永続性をもたなかったのか?その意義は果た して過去のものとなったのだろうか?本書でアレントは、主としてアメリカ独立革命とフランス革命の経験 を比較・考察し、自由が姿を現すことのできる公的空間を保障する政治体の創設として前者を評価する。 政党制や代表制ではなく、ある社会の全成員が公的問題の参加者となるような新しい統治形態がその 時そこで始められたのである。忘れられた革命の最良の精神を20世紀政治の惨状から救い出す反時 代的考察(訳者解説文)� •  「暴力について」(ハンナ・アーレント1970、みすず書房)� –  暴力と権力との相違をテーマにした「暴力について」を含めて3つの論文と1つのインタビューを収録� •  「君主論」(マキャベリ1532、岩波文庫)� –  君主たるものが権力をいかに維持・伸長すべきかを説いた(訳者解説文抜粋)� •  他参考資料� –  http://ja.wikipedia.org/wiki/アラブの春� –  http://www.foreignaffairsj.co.jp/essay/201106/Byman� –  http://www.foreignaffairsj.co.jp/essay/201102/Abrams� –  http://www.newsweekjapan.jp/column/ikegami/2011/03/post-298.php� –  http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャスミン革命� –  http://ja.wikipedia.org/wiki/2011年リビア内戦� –  http://ja.wikipedia.org/wiki/フランス革命� –  http://www.geocities.jp/timeway/kougi-78.html� –  http://www.geocities.jp/timeway/kougi-77.html� –  http://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ合衆国の独立� 2
  • 3. 【革命とは何か】 (出典:革命について) •  革命と戦争� –  「これまで、戦争と革命が20世紀の様相を形作ってきた。(中略)戦争と革命を正当化するイデオロ ギーが全て死に絶えた後にも、戦争と革命そのものは生き延びている」p11� –  「戦争の目的は革命であり、戦争を正当化できる唯一の大義名分は自由という革命的主張であるとい うのはほとんど当然なのである」p20� –  「革命が戦争への道を開く不吉な傾向を示していてる理由の一つは、暴力がこの両者の一種の共通 項となっていたからだということは否定できない」p23� •  革命の意味� –  「近代の革命を理解するうえで決定的なのは、自由の観念と新しいはじまりの経験とが同時的である ということである。」(p38)� –  「このような新しさのパトスが存在し、新しさが自由の観念と結びついているばあいにのみ、革命につい て語ることができるのである。もちろんこのことは、革命とは成功した暴動以上のものを意味しており、 あらゆるクーデタを革命と呼んだり、内乱のなかに革命をかぎつけてはならないということである。」(P. 46)� –  「ここ数世紀の革命精神、すなわち自由が住むことのできる新しい家を解放し、そして建てたいという 熱望は、それまでの歴史にはなかったことであり、比類のないものである。」(P.47)� –  「革命とは自由の創設のことであり、自由が姿を現わすことのできる空間を保障する政治体の創設の ことである」(P.191)� –  「解放(liberation)と自由(freedom)とが同じでないことはわかりきったことであろう。解放は自由の 条件ではあるが、けっして自動的に自由をもたらすものではないからである。そして解放のなかに含ま れているという観念は、どう考えてもネガティヴの域をでない。したがって解放への意図ですらへの欲 求とは同じものではない。」p39� •  革命が発生する条件� –  「革命は暴動の結果として起こるのではない。一般的にいえば、政治体の権威が本当に無傷なところ では、すなわち、近代的条件のものとで、軍隊や警察が文民政府に服従すると信頼できるようなところ では、革命は不可能だといってよかろう。革命はその最初の段階では驚くほど簡単に成功するように 見えるものである。その理由は、革命を遂行する人びとが、明らかに崩壊している旧制度の権力を最 初はただ拾い上げるだけだからである。つまり、革命は政治的権威の失墜の原因ではなくて、その結 果なのである。」p178� –  「権威の失墜がまったく明白である場合でも、革命が起こり、成功するのは、ただ次のような条件があ る場合に限られる。すなわちその権威の崩壊にそなえており、同時に進んで権力を握るつもありがあり、 熱心に組織活動を行い、共通の目的のために団結して行動する人びとが十分に存在するばあいがそ れである。このような人びとが大勢ひる必要はない。ミラボーがかつていったように、団結して行動す る人が十人もいれば、十万人の人を身震いさせ、ばらばらにすることができよう。」p178� •  語源� –  「革命という言葉はもともと「天文学上」の用語であり、地上の人間に用いて適用しようとする場合、そ れは、いくつかの周知の統治形態が永遠の循環を続けながら死すべき人間の世界を回転するというこ とだけ意味していた」p57� –  「「革命」という言葉がそもそも「復古」を意味し、したがって、我々には革命のまったく正反対と思われ る事柄を意味するという事実は、単なる言葉の遊びではない。」p59� –  「王は「これは反乱だ」と叫んだという。するとリアンクールは王の誤りを訂正した。「いいえ陛下、これは 革命です。」…ルイ16世がバスティーユ襲撃は反乱であると述べたとき、彼は陰謀と権威に対する挑 戦を処理する権力とさまざまな手段はまだ自分が持っていることを主張したのである。これにたいして リアンクールは、起こった事柄は取り返しのつかないものであり、一国王の力を超えているものだと返 答したのであった。」p66� 3
  • 4. 【フランス革命とアメリカ革命(1/2)】 •  二つの革命へのアーレントの評価� –  「痛ましい事実であるが、フランス革命は悲惨のうちに終わりはしたものの世界史をつくり、他方、アメリ カ革命は誇り高く勝利したものの局地的な重要性をもつにすぎない出来事にとどまったのである。」革 命についてp77� •  フランス革命の歴史背景(参考:Wikipedia)� –  18世紀のヨーロッパ各国では、自然権や平等、社会契約説、人民主権論等の啓蒙思想が広まって いた。責任内閣制を成立させ産業革命が起こりつつあったイギリス、自由平等を掲げ独立を達成した アメリカ合衆国といった変化が生じていた。� –  しかしフランスでは18世紀後半に至っても、君主主権が唱えられブルボン朝による絶対君主制の支 配(アンシャン・レジーム)が続いていた。アンシャン・レジーム下では、国民は三つの身分に分けられ ており、第一身分である聖職者が14万人、第二身分である貴族が40万人、第三身分である平民が 2600万人いた。第一身分と第二身分には年金支給と免税特権が認められていた。� –  一方でアンシャン・レジームに対する批判も、ヴォルテールやルソーといった啓蒙思想家を中心に高 まっていた。自由と平等を謳ったアメリカ独立宣言もアンシャン・レジーム批判に大きな影響を与えた。� •  フランス革命の経緯(参考:Wikipedia)� –  1789年�全国三部会の召集。多額の財政赤字を抱え、財政改革を行うため開催されたが紛糾。� –  1789年�球戯場の誓い。第三身分の代表は国民議会を結成。ヴェルサイユ宮殿の室内球戯場に集 り、憲法を制定する事と国王が国民議会を正式な議会と認めるまで解散しない事を誓った� –  1789/7/14 バスティーユ襲撃。上記に反発する特権貴族や王族が軍隊をヴェルサイユとパリに集 結し、緊張が高まるなかで勃発� –  1791/6/20 ヴァレンヌ事件。ルイ16世一家はパリを脱出するが、連れ戻される。� –  1791/8/27 ピルニッツ宣言。革命の波及を恐れるオーストリアとプロイセンがルイ16世の地位保 証を強要。国王は国民の支持を失う。� –  1792/4〜 フランス革命戦争。ジロンド派内閣は革命維持のため対外戦争に踏み切る。� –  1792/8/10 8月10日事件。敵国との内通疑惑から、テュイルリー宮殿を攻撃し、王権を停止して 国王一家を全員タンプル塔に幽閉。� –  1792/9/2〜 九月虐殺。ダントンの演説をきっかけに、反革命派狩りが行なわれ、数日間にわたる 虐殺が行なわれた。� –  1792/9 共和政の成立。王政廃止とフランス第一共和政の樹立を宣言した。財産や納税額によら ず全ての男子に選挙権が与えられる普通選挙が制度化。� –  1793/1/21 国王処刑。戦争時の裏切りの罪でルイ16世、マリー・アントワネット処刑を議決。ギロ チンにより処刑。� –  1793 ヴァンデの反乱。王党派の反乱が起こり、鎮圧のため大規模な虐殺が行われた。� –  1793/6 ジャコバン独裁。ジャコバン派が国民公会からジロンド派を追放し、ロベスピエールが権力 を掌握。反対派を次々とギロチンへ送る。� –  1794/7/27 テルミドールのクーデター。反ロベスピエール派によるクーデターでロベスピエールら が処刑される。過激な革命運動は沈静化し、ブルジョアジー勢力が復権する。� –  1799/11/9 ナポレオン・ボナパルトによるブリュメール18日のクーデター� –  1814 ブルボン王政復古� 4
  • 5. 【フランス革命とアメリカ革命(2/2)】 •  アメリカ革命の歴史背景(参考:Wikipedia)� –  イギリス本国政府は、アメリカに成立した13植民地に対して、税金も取らず、規制や干 渉をくわえることはなかったが、政府としてのサービスも行わない状態だったため、植民 地の住民は、早い段階から植民地で議会が成立するなど、政治的・経済的・文化的にも 独自のもになっていっていた。� •  アメリカ革命の経緯(参考:Wikipedia)� –  1756年�七年戦争。イギリスとフランスの戦争でイギリスが勝利し北アメリカのフランス 領土を得たが、植民地人の入植を禁止。� –  1765年�印紙法。イギリスから植民地に課された最初の直接税。上記戦費を植民地に 税負担させようとしたが強い反発で廃止。しかしその後、植民地への課税法案が次々 成立していく。� –  1773年�茶法成立。抗議のためイギリスの貿易船に植民地人が乗り込み1万ポンドの 茶を投げ捨てるボストン茶会事件発生。� –  1775年�アメリカ独立戦争� –  1776年�アメリカ独立宣言。トマス・ジェファーソンが中心となり執筆。� –  1778年�アメリカ・フランス同盟� –  1781年�ヨークタウンにおけるアメリカ軍の勝利� –  1783年�パリ条約。和平成立。� –  1787年�憲法制定。� 5
  • 6. 【フランス革命への考察】 (出典:革命について) •  貧困、社会問題� –  「はじめて広い日の光のなかに姿をあらわしたこの群衆は、実際、虐げられた貧民の群衆であり、それ 以前には暗黒と恥辱となかに身を沈めていた人びとの群れであった。このとき以来、、もはや取り消す ことができなくなったことは、公的領域の空間と光が、日々の生活の必要に追われているがゆえに自由 ではないこの無数の群衆に与えられなければならないといことであった。そしてこのことは、革命の行 為者や目撃者によってももはや取り消すことのできないものと即座に認められたのであった。」p67� –  「テロを解き放ち、革命を滅亡にまで追いこんだのは必然性〔貧窮〕であり、人びとの緊迫した欠乏で あった。」p92� –  「この間に革命はその方向を変え、もはや自由が革命の目的ではなくなっていた。」� –  政治的手段によて人類を貧困から解放しようとすることの結末は、人びとが本当に自由でありうる唯 一の領域、すなわち政治的領域に、必然性[貧窮]が侵入したことであった。P169� •  人民、一般意思� –  「人民という言葉はフランス革命のすべてを理解する上で基本的な言葉である。その意味内容は、人 民の労苦を自分自身は経験しなかったがそれを目撃した人びとによって定められた。この言葉は、は じめて、統治に参加していない人びと以上のことを意味し、市民ではなく下層人民を意味した。この言 葉の定義そのものが同情から生まれ、不運や不幸の同義語となった。」p113� –  「全ての人間がパンを必要とする限り、われわれはすべて同じであり、一つの肉体に統一されるのは当 然である。人民のフランス的概念が、その当初から多頭の怪物の意味を持ち、一つの肉体のように動 き、まるで一つの意思をもっているかのように行動する一つの塊という意味を持っていたのは、けっして たんなる理論的誤謬という問題ではなかったのである。」p140� •  同情。際限ない残酷さ、偽善の問題� –  「徳の源泉と考えられた哀れみは、残酷さそのものよりも残酷になる能力を持っていることを証明して いる。『哀れみのため、人間にたいする愛のため、非人間的になれ!』——パリのコミューンのあるセク ションが国民公会にあてた請願書のなかからほとんど任意に抜きだしたこれらの言葉は、偶然的なも のでもなくまた極端なものでもない。これは哀れみの真実の言葉である。」p133� –  「ルソーの無私やロベスピエールの「徳のテロル」の根本にある経験を理解するためには、フランス革 命を準備し、またその仮定で活動した人びとの心のなかで、同情がどのように決定的な役割を果たし ていたかを考慮しなければならないということである。ロベスピエールにとって、さまざまな社会階級を 一つの国民に統一することができ、また統一しなければならない力は、[貧しさ]に苦しんでいない人び とが不幸な人びとにたいして示す同情、…であることは明白だった。」P119� –  「どんなに心の奥深くで感じられた動機であろうと、いったん引きずり出され、公的な観察にさらされる なら、それは考察の対象ではなく、むしろ疑惑の対象となる。…それが姿を現すと、それはその背後に ふたたび奥底にある別の動機を潜ませている「単なる外観」となる。つまり偽善とか欺瞞のようなもの になる。…この論理にしたがって、いったん徳を心の特性と同一視した以上、あらゆるところに陰謀と 中傷、裏切りと偽善を見たのである。」p142� –  「ロベスピエールの独裁を恐怖政治にかえたのは偽善との戦いであり、この時期に非常に特徴的なこ とは支配者たちの自己粛正であった。」p147� •  フランス革命と同じコースをたどる後世の革命� –  「太古の昔から人間の生活は貧困にうちのめされてきた。そして人類は、今なお西半球以外のすべて の国で、この呪いの下で労働をつづけている。これまでの革命で「社会問題」を解決し、欠乏の苦境か ら人びとを解放した革命はなかった。1956年のハンガリー革命をのぞいて、どの革命もすべてフラン ス革命の先例にしたがい、暴政と抑圧にたいする闘争のなかで悲惨と極貧の力を利用し、また誤用し た。過去の革命の記録全体が、疑問の余地がないほどはっきり示しているように、社会問題を政治的 手段で解決しようとする試みはいずれもテロルを導き、ひるがえってそのテロルこそ革命を破滅に追い やるのである。」p166� –  「存在するすべての権力に果敢と挑戦し、地上のあらゆる権威に挑み、その勇気にいささかの疑問の 余地もない人たちが、日々謙虚に、怒りの叫び声すらあげずに、いかにその外観が馬鹿らしく不合理に 思われようとも歴史的必然の呼び声に屈服している光景には、何か壮大な滑稽さとでもいうべきもの がある。彼らは愚弄されたのである。しかし、それはダントンやヴエルニョーの言葉、ロベスピエールや サン=ジュストの言葉、その他大勢の人の言葉が依然として彼らの耳に響いていたからではなかった。 彼らは歴史によって愚弄されたのであり、歴史の道化となったのであった。」p81� 6
  • 7. 【自由の構成と権力】 (出典:革命について) •  憲法� –  近代的条件のもとでは、創設の行為とは憲法作成と同じことである。p192� –  フランス最初の憲法は、国王の受託はもとより、国民に委託されて承認されるということもな かった。…その後次から次へと目まぐるしく新しい憲法がつくられた結果、20世紀に入ってか らも憲法のなだれがつづき、ついに憲法の概念そのものが見る影なく分解した。p192� –  反乱や解放が新しく獲得された自由の構成を伴わないばあい、そのような反乱や解放ほど無 益なものははのである。なぜなら、「憲法がなければ、道徳も徳も軍隊の規律も、さらにはこの ようなものいっさいも無益だろう」(ジョン・アダムス)から。p224� •  権威の問題� –  人間のつくるあらゆる実定法は、それに合法性を与え、「より高い法」として立法行為そのもの を超越するような外部的な源泉を必要とするというものである。p250� –  フランス革命の大きな致命的不運は、どの憲法制定会議をとっても、一つとして国法を定める のに十分な権威をもてなかったということであった。p255� –  共和政の政治体に神々が必要だということは、フランス革命の仮定では、まったくあたらしい崇 拝をつくろうとするロベスピエールの絶望的な企てのなかにあらわれた。最高存在の崇拝がそ れである。(中略)彼が必要としていたのは、けっしてこの「最高存在」ではなかったのである。 …彼が必要としたのは、むしろ彼自身「不滅の立法者」と呼んでいたもの、また別のところで 「正義への絶えざる訴え」とも名づけているものであった。p298� –  アメリカ共和国の政治体を独立宣言と合衆国憲法という二つのもっとも偉大な文書だけから判 断しようとすれば、独立宣言の前文のほうは、政府を構成する行為としてのコンステテューショ ンではなく、国法としての憲法それ自体が、それ自身の正統性をひきだす権威の唯一の源泉 をなしているといえる。311� –  アメリカ革命の人びとが自分たちを「創設者」と考えていたという事実そのものが、新しい政治 体の権威の源泉は結局のところ、不滅の立法者とか自明の真理とかその他の超越的で現世 超越的な源泉などではなく、むしろ創設の行為そのものであることを彼らがいかによく知って いたかを示している。ここから、あらゆるはじまりが不可避的にまきこまれる悪循環を突き破る ための絶対者の探求は無意味であるということになる。というのは、この「絶対者」は、そもそも はじまりの行為そのもののうちにあるからである。P326� •  権力と暴力� –  「人間の古くからの夢や後年の概念とあきらかに異なって、暴力は、新しく安定した何も のかを生むどころか、逆に、「革命的奔流」のなかに、はじめる者もろともはじまりを押し 流してしまったのである。」p333� –  「「自然状態」のなかになげだされた人びとにとって、フランス革命の経験が意味したの は、疑いもなく、群衆の倍増された力は、貧困の圧力とともに、制度化され統制された 権力も抗しがたい暴力として爆発しうるとおいことであった。しかしこの経験は、あらゆる 理論とは反対に、このような倍増された力は権力を生みださないということ、そして、前 政治状態にある力と暴力は流産に終わるということを教えたのである。フランス革命の 人びとは暴力と権力をどう区別するか人民からくるものではならなぬと確信していた。 そこでこの群衆の前政治的な自然的強制力の前に政治的領域を開放したため、国王 や旧権力が一掃されたように、今度は彼ら自身がその力に押し流されたのである。」 p294� –  彼(マキャベリ)はたしかに政治学あるいは政治理論の父ではなかった。しかし、彼のな かに革命の精神的父を見ることを否定するのは困難である。18世紀の政治思想に非 常に特徴的となった、古代ローマの精神と制度を復活しようというあの意識的で熱情的 な努力がかれのなかにすでに見られるだけではない。…政治の領域における暴力の役 割を主張しつづけたことであっった。…これはフランス革命の人たちの言葉と行為のな かにも見られることである。p50� 7
  • 8. 【暴力、権力(1/2)】 •  権力維持手段としての暴力(君主論)� –  「軍備ある預言者はみな勝利したが、軍備なき預言者は滅びてきた。なぜならば、いま述べたことの ほかに、人民は本性において変わりやすいので、彼らに一つのことを説得するのは用意だが、彼らを 説得した状態にとどめておくのは困難であるから。それゆえ、彼らが信じなくなったときには、力づく で彼らを信じさせておく手段が整っていなければならない。」P47� –  「君主たる者は、したがって、戦争と軍制と軍事訓練の他は何の目的も何の考えも抱いてはいけない、 また他のいかなることをも自分の業務としてはならない。」P109� –  「闘うには二種類があることを、知らねばならない。一つは法に拠り、いま一つは力に拠るものである。 だが、第一のものでは非常にしばしば足りないがために、第二のものに訴えねばならい。」P131� •  暴力の所有(君主論)� –  「これ(援軍)を呼び入れた者には、ほとんどつねに害をもたらす。なぜならば、彼らが敗北すれば、自 分も滅亡してしまうし、勝利すれば、自分は彼らの虜になってしまうから。」p101� •  その他権力を維持する条件(君主論)� –  「自分の同朋である市民を殺害し、友人を裏切り、信義を欠き、慈悲心を欠き、宗教心に欠いた行動 を、力量と呼ぶわけにはいかない。そのような方法によって権力を獲得することはできても、栄光は 獲得できない。」p67� –  「いかなる君主においても民衆を味方につけておくのが必要だということである。」p77� –  「新しい君主にとっては、新しい政体に危険が付きまとうゆえ、冷酷の名前を逃れることは不可能であ る。」P126� •  現代の暴力の特徴(暴力について)� –  「国民国家とその主権の概念の衰退という政治的な衰退がまずあって、その後にヨーロッパの衰退がやって来 たという事実には気づかないで。低開発国の外交問題においては、戦争は依然として最後の手段(ウルテイマ・ ラツイオ)であり、昔からの暴力による政治がつづいていることは戦争が時代遅れであることに反対する論拠に はならないし、核兵器や生物兵器をもたない小国だけがいまだに戦争することができるという事実は何の慰めに もならない」(p.100)。� •  暴力と権力など他の言葉との同一視(暴力について)� –  「現在用いられている用語法が「権力」、「力」、「強制力」、「権威」、そして最後に「暴力」のような重要な語をき ちんと識別していないことは、政治学の嘆かわしい現状を反映しているように思われる。これらの語はどれも判 然と異なった現象を指し示すものであり、もしそうした諸現象がなければこれらの語はまず存在しないだろう。」 p132� –  「僭主政はモンテスキューが発見したように、統治形態のなかでも最も暴力的でありかつ最も権力のないものな のである。実際権力と暴力との最も明白なる相違点の一つは、権力はつねに数を必要とするのにたいして、暴 力は機器に依存するがゆえにある点までは数がなくてもなんとかやっていけるという点にある。法的な制限のな い多数決原理、すなわち、国制なき民主政は、暴力を何ら行使せずとも、きわめて強硬に少数者の権利を抑圧 しうるし、きわめて効果的に異論を圧殺することができる、しかし、それは暴力と権力とが同一であるということ ではない」(p.131)。� •  暴力は権力の源泉となるのか(暴力について)� –  「暴力はつねに権力を破壊することができる。銃身から発する命令はもっとも効果的な命令であり、一瞬にして もっとも完全な服従をもたらす。銃身からはけっして生じえないもの、それは権力である」(p.142)� –  「もっぱら暴力の手段だけにもとづいているような政府はいまだかつて存在したためしがない。拷問を主要な支 配の道具とする全体主義支配者でさえ、権力の基礎を必要とする——それが秘密警察とその密告者網であ る」(p.139)。� –  「政治的にいうとすれば、権力と暴力は同一ではないというのでは不十分である。権力と暴力とは対立する。一 方が絶対的に支配するところでは、他方は不在である。暴力は、権力が危うくなると現れてくるが、暴力をなす がままにしておくと最後には権力を消し去ってしまう。ということはつまり、暴力に対立するのは非暴力であると 考えるのは正しくないということである。非暴力的権力というのは、実際のところ、言葉の重複である。暴力は権 力を破壊することはできるが、権力を創造することはまったくできない」(p.145)。� 8
  • 9. 【暴力、権力(2/2)】 •  権力とその他混同されがちな概念(暴力について)� –  「権力(power)は、ただたんに行為するだけでなく[他者と]一致して行為する人間の能力に対応する。権力は けっして個人の性質ではない。それは集団に属すものであり、集団が集団として維持されているかぎりにおいて のみ存在しつづける」(p.133)。� –  「力(strength)は紛れもなく単数の、個体的実在のうちにある何かを指している。それは物または人に固有の 性質であり、その特性に属すものであって、他の物や人間との関係のなかでその存在が証明されるであろうが、 本質的には他の物や人間からは独立している」(p.134)。� –  「強制力(force)は、日常の会話のなかでは暴力、とりわけ強制の手段としての暴力と同義語として使われるこ とが多いが、専門用語としては「自然の力」や「事の成り行き」(la force des choses)、すなわち物理的または 社会的運動から発せられたエネルギーを指す場合に用いられるべき語である」(p.134)。� –  「権威(authority)は、これらの現象にかんして最もとらえどころがなく、それゆえ術語としては最も頻繁に濫用 されているが、権威は人間に付与されることもあり——たとえば親と子の関係や教師と生徒の関係におけるよう な人格的権威のようなもの——、また、たとえばローマの元老院(〈元老院に権威あり〉auctoritas in senatu) や教会の聖職位階制における職(聖職者は、たとえ酩酊していても、かれの行う罪の赦しは有効である)のよう な役職に付与されることもある。権威は、それに従うように求められた者が疑問を差し挟むことなくそれを承認 することによって保証されるのであって、強制も説得も必要ではない」(p.135)。� •  暴力とは(暴力について)� –  「暴力(violence)は、すでに述べたように、道具を用いるという特徴によって識別される。現象的にみれば、それ は力に近い。なぜなら、暴力の機器は、他のあらゆる道具と同じように、自然の力を増幅させるという目的で設 計され使用され、その発達の最終段階では、自然の力にとって代わることができるからである」(p.135)。� –  「暴力は権力の最もあからさまな顕現にほかならない」P124� –  「暴力はあらゆる手段がそうであるように、追求する目的による導きと正当化をつねに必要とする。……平和の 目的とは何か、という問に対する答えはない。……権力はいうなれば、「目的自体」である。」p140� •  権力とは、その源泉(暴力について)� –  「権力は政治的共同体の存在そのものに本来備わっているものであるから、いささかの正当化も必要としない。 権力が必要とするのは正統性である。……暴力を正当化することはできるが、しかし暴力が正統なものである ことはけっしてないだろう。暴力の正当化は、それが意図する目的が未来へ遠ざかるほど真実味を失う。」p141� •  権力を失うものが行使する暴力(暴力について)� –  「権力のいかなる減退も暴力への公然の誘いであることは、われわれは知っているし、知っているべきである ——それがたとえ、政府であれ、被治者であれ、権力をもっていてその権力が自分の手から滑り落ちていくのを 感じる者は、権力の代わりに暴力を用いたくなる誘惑に負けないのは困難であるの昔からわかっているという理 由だけからだとしても」(p.175)。� •  権力の独占が権力を失わせる(暴力について)� –  「中央集権化が行政的にみて有利であるか不利であるかはともかくとして、その政治的な結果はつねに同一で ある。すなわち、権力の独占は、その国の真正な権力の源泉を干上がらせたり漏れ出させたりする。」173� •  暴力の不可逆性(暴力について)� –  「さらに、暴力の危険は、たとえそれが意識的に短期的な目標の、極端にならない程度の枠のなかに留まってい るにせよ、つねに手段が目的を圧倒してしまうことにある。もし目標がすぐに達成されなければ、その結果はた んなる敗北では済まず、政治体全体に暴力の実践が持ち込まれることになろう。行為は不可逆的なものであり、 敗北したときに現状へ戻ることはまずありえない。暴力の実践は、あらゆる行為と同様に、世界を変えるが、しか し最も起こりやすい変化は、世界がより暴力的になることである。」167� –  「暴力は、その本性からして道具的である以上、それを正当化しなければならない目的に到達すると いうところ までは理性的である」(p.166)� 9
  • 10. 【革命後の世界で失われたもの】 (出典:革命について) •  失われた宝� –  「この共和国には、まさにそれを樹立するときに役立った、あの特質を生かす空間も余地も残されてい なかった。」p375� –  「ルイス・マンフォードは最近、創設者たちが都区の政治的重要性を認識してなかったことを指摘し、 都区を連邦憲法か州憲法のなかに取り入れなかったことは「革命後の政治的発展の悲劇的失策の一 つ」であるとのべた。創設者のなかでは、ジェファーソンだけがこの悲劇をはっきりと予感していた。とい うのは、彼のもっとも恐れていたものは実際、「具体的期間を欠く抽象的な民主政の政治システム」で あったから。」p380� –  「もし革命の最終目標が自由であり、自由が姿をあらわすことのできる公的空間の後世、すなわち自 由の後世であるとするなら、すべての人が自由となることのできる唯一の実体的な空間である区とい う基本的共和国こそ、実際には、このような自由の空間を人びとに与え、それを守ることを国内問題の 主たる目標としたはずの大共和国の目的でなければならなかった。区政の基本的仮定は、公的幸福 を共有することなしには幸福であるとはいえず、公的自由を経験することなしには自由であるとはいえ ず、公的権力に参加しそれを共有することなしには、だれも幸福であり自由であるということはできな い、ということであった。」p407� •  革命から自発的に発生する公的空間� –  「ジェファーソンの計画とフランスの革命的協会は、いずれも、十九世紀と二十世紀のあらゆる真正の 革命に姿をあらわすことになるソヴィエトやレーテのような評議会を、まったく気味がわるいほど正確に 予想させるものであった。このような評議会が現われるばあい、それは、きまって人民の自発的機関と して生まれ、すべての革命政党の外部に発生するばかりか、党とその指導者のまったく予期に反して 姿を現わした。」(P.399)� –  「評議会制がまったく新しい統治形態、つまり、革命そのものの過程で構成され組織された自由の新し い公的空間、をどれほど自分たちの面前に突きつけていたか」(P.399)� –  「二十世紀における革命の惨状のうちに葬り去られたのは、まさにこのような国家の変容にたいする希 望、すなわち、近代的な平等主義的社会の全構成員が公的問題の「参加者」になることができるよう な新しい統治形態にたいする希望にほかならなかった。」(P.421)� 10