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デザインの深い森 
Vol.1 魔王のテーブルのうえで 
ロフトワークの棚橋です。 
イノベーションメーカーという肩書きで、クライアントの商品&サービス開発の支援をしています。 
ただ、今回はあんまりロフトワークのイノベーションメーカーということとは無関係な話をするつもりです。
デザインについて考える全6回の夕べ 
今回の「デザインの深い森」と題した全6回のシリーズでは、あらためてデザインというものについて考えていく予定です。 
ただ、よくあるような形でデザインを方法論的に語ったり、事例等パターンを紹介したりといったことは避けようと思ってい 
ます。これまで多くの方法論的な語りやパターンの紹介があったと思いますが、それによって本当の意味でデザインをするの 
に必要なセンスが育っているのかなと感じることは多い。何より、そういう方法論からはおもしろいもの、美しいものが生ま 
れてきていない気もする。 
だから、今回はもうすこし根本的なところからデザインと人間の関係を考えられるような話ができればと考えています。そう 
することで、すこしでも参加してくださった皆さんそれぞれがデザインのセンスを鍛えるためのきっかけになればと思ってい 
たりもします。 
まあ、具体的に役立つ話はほとんどしません。役立ちそうなことほど、役立たないこともないかなーとも思っているので。と 
いうわけで話に期待しちゃダメです。
「デザイン思考」ではなく 
「デザインという思考」について 
例えば、方法論としての語りといえば「デザイン思考」があります。 
今回はそれに対置する形で「デザインという思考」という考え方を置きたいと思っています。 
デザインはデザイナーという専門的な職能に結びついた方法論ではなく、むしろ、現代を生きる人間だれもがもつ基本的な思 
考のかたちであるということを話してみたいと思っています。 
つまり、いま問うべきことは「デザインという思考はどうしたら身に付くか?」ではなく…
デザイン以外の思考をすることは可能? 
「いまを生きる僕らはデザイン以外の思考をすることができるのか?」なんだと思うんですね。 
デザインって本当は、あらためて学ぶべき方法論なんかじゃないということです。むしろ、僕らの思考すべてがデザインであ 
ることを逃れられないんだから、自分たちの思考のクセ自体を自覚すべきなんだと思います。
物事の見方や思考の展開を 
制約するフレーム 
普段僕らがものごとを見てそれを認知したり、そうやって見知ったものを素材に思考したり。そんな僕らの基本的な所作を規 
定し制約するものこそデザインというフレームなのではないか? 
今回は、そんなところから「デザイン」と僕たちの思考や行動の関係について考えていく予定です。
デザインという深い森から 
逃れる術はないのでは? 
というような視点から、今回は、僕らの思考がそこから逃れられない「デザインの深い森」と題しました。 
ただ、本当に逃れられないのか、実は逃れる術があるのかという答えはさておくとして、デザインという森がどれだけ深いか 
を探索してみることは、僕たち自身の思考をリフレーミングできるようになるためには必要なことではないか。それが今回話 
を進める上での基本戦略です。
分かる 
さて、ということで、第1回目の今日は「分かる」ということとデザインの関係を探っていきたいと思います。 
「分かる」って分かっているようで、よく考えると、どういう状態が「分かった」なのかが実はあやふやですよね。何を満た 
すと「分かった」になるのか、そもそも「分かる」って何のために必要なことなのか。
「分かる」と「デザイン」 
そして、分かることとデザインの関係も深いですよね。 
使い方を分かるようにすること、伝えたいことをわかりやすく伝えること。イノベーションという文脈では、そもそも誰も見 
たことをないものを見える形にしてわかるようにしていくのがデザインの仕事です。 
そんな「分かる」を軸としながら、今日は西洋における視覚表現技術の変遷を話題にあげながら話を進めていくことにします。
vol.1 
魔王の 
テーブルの 
うえで
題して「魔王のテーブルのうえで」。 
「分かる」ということを軸にしつつ、西洋の歴史における思考のかたちの変遷を追いながら、デザインという思考の特性を探っ 
ていこうと考えています。 
ちなみに、この背景にある絵はジュゼッペ・アルチンボルドという16世紀の画家が描いた「ウェルトゥムヌスに扮するルドル 
フ2世」という作品。アルチンボルドは果実や野菜を使って描いた肖像画で知られる画家です。
題材となっているルドルフ2世も実は重要。ルドルフ2世は、神聖ローマ帝国の皇帝であり、ボヘミアの王。30年戦争が勃発す 
る要因をつくったといわれるなど政治的には無能といわれていますが、一方、教養に富み、帝国の首都プラハを国際マニエリ 
スムの重要拠点に育てるなど文化的な功績を残したことでも知られます。 
王のまわりには前述のアルチンボルドをはじめとするたくさんの芸術家が集まっただけでなく、錬金術や天文学にも強い興味 
し、ティコ・ブラーエやヨハネス・ケプラーなどの天文学者、ジョン・ディーなどの錬金術師のパトロンでした。この時代は 
まだ科学や芸術、錬金術や魔術の線引きがされていなかった時代でしたが、そうした広い意味での魔術に彩られた典型的な魔 
王がこのルドルフ2世です。
ヤン・ダヴィス・デ・ヘーム (1606‒1683) 『静物』 
そして、この時代というのは、オランダやベルギーなどを中心に、静物画が流行った時代でもありました。 
野菜や果物、パンや魚などの食材、グラスや食器が並べられました。 
そう。テーブルのうえに。
ピーテル・クラース (1597/1598-1660)『ヴァニタス』(1630) 
時には、頭蓋骨なども並びました。 
頭蓋骨などが描かれた静物画は、ヴァニタスと呼ばれ、「人生の空しさの寓意」を表すものでした。 
多くの静物画が時代を経るにつれ、ますます画面に描かれるものの数を増やしながら絵を描かせたものの経済的な豊かさを意 
味するようになっていくなか、死の隠喩である頭蓋骨、あるいは時計やパイプ、腐ってゆく果物などを置くことで虚栄のはか 
なさを喚起する意図をもっていたといいます。
ピーテル・クラース (1597/1598-1660)『七面鳥のパイのある静物』(1627) 
テーブルのうえで、豊かさが描かれるにしろ、虚栄のはかなさが描かれるにしろ、それらの絵の特徴は高度に細密な描写がさ 
れたことでした。 
本物に似せようとする。 
思考を促すというより、より直感的に何が描かれているかがわかる図像を見せようとするようになっていきます。
セバスティアン・ストッスコップフ(1597-1657)『グラスの籠とパイ』(1640) 
ストラスブール美術館にあるこの絵。透明なグラスがリアルに描かれる一方、その背後にある暗闇が虚無感を感じさせます。 
グラスの絵がグラスに似れば似るほど、それが幻想=虚構であることが感じられるようになる。まやかし。
ハンス・ホルバイン(1497/1498-1543)『大使たち』(1533) 
絵のなかのまやかしということであれば、このホルバインの有名な「大使たち」のように、虚構が混入されることで、あえて、 
そのまやかしを暴く絵画もあります。 
斜めからみると、頭蓋骨があらわれる「アナモルフォーシス」というジャンルの絵。
トロンプ・ルイユ 
=眼を騙す 
こうしたアナモルフォーシスを含んだ騙し絵。 
フランス語で「眼を騙す」という意味のトロンプ・ルイユ(騙し絵)が描かれはじめたのも、この時代です。 
ただし「眼を騙す」のは何もトロンプ・ルイユだけではなく、そもそもの遠近法で描かれた絵そのものが眼を騙す驚異の術と 
して登場したのではなかったか?
チマブーエ(1240-1302)『聖母と天使たち』(1270頃) 
中世以後初めて透視法的表現を用いたのは、13世紀のイタリアの画家チマブーエと言われています。
アルブレヒト・デューラー(1471-1528)『裸婦を描く素描家』(1525) 
それに数学的な基礎が与えられたのが、1400年代初め。 
建築家ブルネレスキが鏡面にフィレンツェの建築の輪郭を写し取り、遠近法を幾何学的な手法で実証することに成功したとこ 
ろからだと言われています。
カルロ・クリヴェッリ(1430-1495)『受胎告知』(1486) 
15世紀には、遠近法は西洋美術において不可欠なテクニックとなり、それまでバラバラな要素の組み合わせだった絵画が、一 
つの統一された場面を表現できるようになったとも言われています。それまでの絵というのは、どちらかというとパッチワー 
ク的というか、絵に統一的な視点を生みだそうという観点はなかったんですね。 
と同時に、絵画という2次元的な表現が美術における中心的なものとなったのもこの時代以降ということも忘れてはいけない 
ことだと思います。
ヤン・ファン・エイク(1395-1441)『アルノルフィニ夫妻の肖像』(1434) 
同じく15世紀のヤン・ファン・エイクの作品。 
中央の鏡のまわりには「ヤン・ファン・エイクここにありき」と書かれ、鏡には自画像が描かれている。 
すでにここにも、先のホルバインと同様の、絵画=虚構という画家の意識が見え隠れしています。
ハンス・フレーデマン・デ・フリース(1527-1604)『人物を伴う宮殿建築』(1568) 
実際にはむしろ、このまやかし=虚構を意図的な意味の創出に使う試みのほうが多く行われたといえます。 
例えば、この王宮へとつながる景色を一点透視図法で描いた絵。 
16世紀には、権力の法と遠近法が交わり、政治的な意図で描かれた絵が数多く登場することになります。
パルミジャニーノ(1503-1540)『凸面鏡の自画像』(1523-1524) 
もうひとつ16世紀の特徴としては、画像が歪みがはじめることでしょう。 
いわゆるマニエリスムの時代です。
ヤコポ・ダ・ポントルモ(1497-1557)『十字架降架』(1526-1528) 
蛇状曲線(フィギューラ・セルペンティナータ)と呼ばれる見るものの眼を迷路に誘うような曲がりくねった構図を特徴とす 
るマニエリスムにおいては、盛期ルネサンスまでに見られた、外部の自然を忠実に模写するという意識よりも、画家の意識に 
浮かんだ内的構図(ディセーニョ・インテルノ)を重視する意識が生まれてきます。
ディセーニョ・インテルノ 
diségno interno 
「内実」VS「見せかけ」という対立が生まれたのが16世紀なんですね。 
でも、これ、ちゃんと考えるとわかるんですけど、この対立構図が意識されること自体、遠近法的な見るもの/見られるもの 
の対立構図、つまり、主客の分離の結果なんですよね。 
そして、ディセーニョ・インテルノ。英訳すれば、インテリアデザインです。日本語だと、内部の設計?
歌川国貞(1786-1865)『飲食養生鑑』(19世紀) 
はい。これが内部の設計です。 
ちょっと脱線しますが、19世紀の日本では、こんな浮世絵が描かれていました。身体のなかをコミカルに描いて、その機能を 
明らかにしたものです。
杉田玄白(1733-1817)ほか『解体新書』(1774) 
とうぜん、それ以前の18世紀にはすでに日本にも実際の身体のなかを見る解剖学は入ってきています。 
『ターヘル・アナトミア』の翻訳書としての「解体新書」が出されたのが1774年です。 
これが西洋の翻訳書として初の本が医学書というのもおもしろい。
アンドレアス・ヴェサリウス(1514-1564)『人体の構造』(1543)より 
ヨーロッパにおける最初の解剖学書といわれるのが、現代人体解剖の創始者と言われるアンドレアス・ヴェサリウスが、1543 
年に実際に解剖して見たものを詳細に著した“De humani corporis fabrica”(人体の構造)です。 
これが先のパルミジャーノやポントルモらのマニエリストたちが、内的構図と言い出した時期と一致するのに気づきますか? 
内実を重視することと、人間の中身をみることの意識は同時におき、しかも、どちらかといえば、人体構造の内部への意識が、 
精神を重視する意識を芽生えさせたともいえるのです。 
人体内部が視覚化されることで、内面を重視した絵画が描けるようになったのだ、と。
人間は神の写し 
かつ 
世界・宇宙の縮図 
これ、実は画期的なパラダイムの転換がこの時代に起ころうとしているということなんですね。17世紀の中頃です。 
というのも、ルネサンス期くらい(もっといえば、17世紀初期くらい)までは、人間は「神の写し」かつ「宇宙の縮図」であ 
るということを誰も疑っていなかったのです。
この万象で人間のなかに、統一されていないものが 
あるだろうか。地、水、火、風、 
生命、感覚、霊魂、そして神聖きわまる実在の 
力強い主がその身を退き、土塊のなかに 
自らの似姿を息づかせた。 
  それゆえこの秘蔵物こそ 
  大いなる世界の小さな縮図、 
死せる世界の生きて脈動する骨組みなのだ。 
Giles Fletcher(1586-1623)”Christ's Victory and Triumph”(1610) 
この17世紀初頭の英国詩人の詩で描かれるように、人間というミクロコスモスと世界・宇宙というマクロコスモスは、相似の 
関係にあると考えられていました。
川の流れと 
血液の流れ 
だから、医者でさえ、大地を流れる川の流れと、人体を流れる血液の流れには相似性があると疑わなかった。 
それゆえ、天文学が宇宙の謎を明らかにしようとすることと、解剖学が自分自身のなかに世界の謎を解く鍵を探し求めるのは 
完全にイコールだったのです。世界は隙間なく充満され、途切れなくつながっていて、何ものも孤立していなかった。 
こうした前提があっての、16世紀における内実と見せかけの対立なんですね。
アンドレア・ポッツォ(1642-1709)「ローマ・イニャツィオ聖堂の天井画」(1685) 
そして、話を戻して遠近法。時代は、17世紀に。 
マニエリスムを超えて、バロックの時代になると、視覚を驚かすような騙し絵的な要素が強まる。 
「驚かせる」「驚異」ということが芸術家に強く意識されます。 
16世紀の「内実」VS「見せかけ」という対立が、17世紀になると「真偽」の対立へとシフトしていきます。そんななか、描か 
れたのが先の静物画やトロンプ・ルイユなんですね。
ディエゴ・ベラスケス(1599-1660)『ラス・メニーナス(女官たち)』(1656) 
そして、同じく17世紀。 
これも視線に驚きを与える効果をもつよう、複雑な視線が絡み合う、スペインの宮廷画家だったベラスケスの代表作。 
中央のマルガリータ王女をはじめ、描かれた女官たちは鑑賞者のほうに視線を向ける。鑑賞者の位置にいるのは、背後の鏡に 
映ったフェリペ4世夫妻。そして、その王たちを描く画家自身が画面に描かれているという凝った仕掛け。先のヤン・ファン・ 
エイクの作品の流れです。 
魔の王の視線を描くと同時に、その虚構性(真偽のほど)を暴いている絵画ともいえます。
ルイ14世(1638-1715年)によるヴェルサイユ宮殿(1682に完成) 
こうした視覚表現の真偽が議論される一方で、視覚表現をたくみに用いる魔術的操作が世界に対して行われていきます。 
そのひとつが同じく17世紀の代表的な権威の象徴であるヴェルサイユ。 
ここでも宮殿と庭園の遠近法的配置に注目。
宮殿を中心=消失点として庭園が広がっています。
ヴェルサイユ宮殿の庭園 
逆に宮殿側からは庭園が一望できる
ジェレミ・ベンサム(1748-1832)「パノプティコンの構想図」 
この発想は、その後、イギリス人哲学者ジェレミ・ベンサムが考案した、看守塔を中央に、囚人たちの個室をその周囲に配置 
した全展望監視システム=パノプティコンの構想にもつながります。
イニゴー・ジョーンズ(1573-1652)”Engraving published in Les Plaisirs de L'Isle”(1673-74) 
演劇の舞台にも遠近法は影響を与えます。 
英国ヴィクトリア期の建築家イニゴー・ジョーンズは、プロセニアム・アーチと移動型舞台装置をイギリスの演劇に導入した 
ことでも知られています。 
遠近法で描かれた移動型の舞台背景と、絵画の額縁のようなプロセニアムアーチにより、遠近法同様の統一感を演劇空間にも 
たらしたといえます。
典型的なエリザベス期の劇場・スワン座の張り出し舞台を描いた1596年のスケッチ 
それ以前の劇場の様子がどうだったかといえば、エリザベス期のスワン座の舞台を描いたスケッチのように、舞台は客席に張 
り出し、観客が舞台を取り囲む形で劇は演じられます。 
それ以降の平面的な絵を見るような演劇と、場に居合わせてそこで行われることをいっしょに体感する形の演劇との違い。そ 
れが劇場のレイアウトにも如実に表現されています。
クロード・ロラン (1604/1605‒1682) 『ヘリコン山のアポロンとミューズ』(1680) 
ルネサンス期以降の美術においては絵画が主流になるといいましたが、この劇場の平面化も含め、さまざまなものが絵画化す 
るピクチュアレスクという動きもみられるようになります。英国式庭園などもその1つですね。 
背景には、17世紀のクロード・ロランに代表される地中海風景や古代風建築を描いた写実的な風景画のイギリス貴族間での流 
行がありました。そうした絵画を邸宅の壁に飾っていた貴族たちが、窓の外に実際にそれを再現したくなたというわけですね。
復元されたグローブ座 
また、平面化以前のエリザベス期演劇では、その代表的なものともいえるシェイクスピアの演劇には、台本がなかったといい 
ます。 
それは視覚化された台本=プランがなかったことを意味します。プラン=平面ですね。
要素をどう配置するか? レイアウト 
こうした要素のレイアウトによる意味の生成がデザインであることは疑いもないですよね? 
でも、それって基本的には「眼を騙す」ことの延長にあるということも確かです。
詐術としてのデザイン 
ドイツの思想家ヴィレム・フルッサーは、デザインという言葉が”策略や詐術に関連した文脈に置かれる”ということを『デザ 
インの小さな哲学』という著書のなかで指摘しています。
フルッサーは、デザインという名詞が「計画」や「意図」「形」や「基本構造」という意味をもつと同時に、「陰謀」や「悪 
だくみ」を意味することを指摘します。 
また、動詞としても「何かを考えだす」「下絵を描く」という意味と同時に、「装う」「戦略的に処置する」という意味をも 
つことを指摘します。
イーフレイム・チェンバーズ(1680-1740)『サイクロペディア』(1728) 
フルッサーはまた「力学」「機械」「技術」「芸術」などの語も、デザインという語同様に、騙す、欺くという意味をもって 
いることを指摘します。 
それらは自然を欺き、人工的なものを通じて自然を上回ろうとするものです。たとえば、梃子が重力を欺くように。
視覚的な配置の工夫により 
騙す、欺く技術としてのデザイン 
どう騙す(意味をつくりあげる)ために、何をどう配置するか? 
さて…。
集める 
並べる配置するためには集めなくてはいけません。 
そして、集めたものをどう並べるか?です。
オレ・ウォルムの「驚異の部屋」 
15世紀から18世紀にかけてのヨーロッパでは、様々な珍品を集めた博物陳列室としての「驚異の部屋(ヴンダーカンマー、ク 
ンストカンマー)」の流行が見られます。
現存する最古の平面天球図『カンティーノ平面天球図』(1502) 
世界は、大航海時代を経て、水平的に広がり、
ガリレオ・ガリレイの望遠鏡 
天文学の発展により、垂直的にも広がっていた。 
天文学への興味が、解剖学への興味ともつながっていたということは、先にも言ったとおりですよね。 
でも、そうしたミクロコスモスとマクロコスモスの一致という考え方にほころびが生じていたのもこの時代でした。これまで 
ヨーロッパの人々が見たことがモノ、知らなかったコトが大量に世界に溢れ出しはじめていたからです。 
つまり、世界が分からなくなった。ようやく、今回の主題である「分かる」ということとの関係がみえてきましたね。
フランチェスコ・カルチェラーリの「驚異の部屋」 
そんな未知なるものごとを、わからないまでも、何とか自分の手のうちにおさめ、並べることで未知との距離を保とうとした。 
それが「驚異の部屋」の流行だったと思います。
パリ自然博物館 
実は、この驚異の部屋が、いわゆるミュージアムの素なんですね。 
しかも、この時点では、自然に関する博物館か歴史や民俗に関する博物館か、はたまた美術館なのかという区別もありません 
でした。
ハンス・スローン(1660-1753) 大英博物館(1753年設立) 
イギリス人の医師で収集家であったハンス・スローンの死後、蔵書や手稿、版画、植物や動物の剥製、硬貨や印章、カメオな 
どの収集品を国に遺贈。そのコレクションを元に1753年に大英博物館ができた。
ヴンダーカンマー(驚異の部屋) 
博物館 
百貨店、万国博覧会
1887年のボン・マルシェ(建築はギュスターヴ・エッフェルとL. A. ボワロー) 
世界最初の百貨店であるボン・マルシェは1852年頃から百貨店のシステムを確立。その際、ショーウィンドウや大安売りの季 
節もので客を呼び寄せる手法をパリ万国博覧会を参考につくったといわれています。 
建物は、1887年にオペラ座をモデルに、ギュスターヴ・エッフェルとL. A. ボワローの手により改装されています。 
集めたものをいかに並べると、知の体系化につながるかとか、商品の販売につながるかとかを徹底的に考えられた時代です。 
モノのレイアウトをいかに人が価値を感じるストーリーに仕立てられるか?ということですね。
ヤン・ブリューゲル(父)とルーべンス『視覚の寓意』(1617) 
さらに集めて並べられたのは珍品、貴品、商品だけではなく、驚きの対象である絵画も並べられました。そして、並べた絵画 
をさらに描いた絵画も描かれます。
ダフィット・テニールス (子)(1610-1690)『レオポルト・ウィルヘルム大公の画廊』(1651) 
ギャラリー画と呼ばれるジャンルには、たくさんの画中画が描かれている。 
先のベラスケスの「ラス・メニーナス」にも光が当たらず暗い額縁として描かれていないが、壁に絵画が飾られていました。
美術カタログ&オークション 
ギャラリー、美術展 
美術史 
こうした美術品を並べることは実は、美術カタログ、とくにオークション出品用のカタログからはじまっています。それが何 
から来たかというと、亡くなった人の財産リストなんですね。 
それがギャラリーや美術展でのレイアウトになり、美術史という物語にもなっていきます。
パリの主要な美術館 
パリの美術館の配置・分類も美術史という物語がベースになっていますよね。 
古代からはじまり、中世をのぞいて、ルネサンス期から古典主義時代くらいまでを包摂するルーブルを中心に、中世を扱うク 
リュニー、新古典主義から印象派をとおって、象徴主義や世紀末芸術くらいを扱うオルセー、それとかぶるかたちで印象派と 
ポスト印象派に焦点を絞ったオランジュリー、そして、現代美術を扱うポンピドゥー・センター。 
美術史が各美術館にふりわけられる形でレイアウトされている。
ルーブル美術館の2階の案内図 
もちろん、各美術館内の展示プランも、美術史を視覚化するかたちでデザインされています。
どう並べるか? 
それ自体が思考であり、ストーリー
こういうのとか
こういうのもそうですね
集めて並べるという意味ではこういうのとかね。あっ、KJ法です。
視覚的に配置すること自体が 
思考することになる 
価値・意味を生みだす作業になる
思考するために、平面にプロットする 
たとえば旅行の計画をたてるために地図に行き先をプロットしたり
そして、思考するために、平面を見る 
年表を通じて、学術、美術、科学という異なる分野の人物や出来事の相関を確認したり
原研哉「公立刈田綜合病院サイン計画」 
平面のように見る 
実空間も平面のサインを読むかのようにデザインされたり
ダニエル・リベスキンド「ユダヤ博物館」 
平面図=PLAN 
ラテン語で平らなを意味するplanusに由来。
PLANとしてのdesign 
PLANとしての見ること 
そして、計画=デザイン。
design 
複数の要素を平面へと統合し 
分かるように抽象化するための技術 
(あるいは詐術) 
そして、要素の統合化、意味の創出といえば、18世紀に…
ディドロ、ダランベールら 『百科全書(エンサイクロペディア)』(1751-1772) 
『エンサイクロペディア』の編集を行ったディドロやダランベールをはじめ、ヴォルテールやジャン=ジャック・ルソーなどを 
含む啓蒙思想家たちがあらわれたことも指摘しておいてよいでしょう。驚異の部屋から連なる博物学の流れです。 
そして、この百科全書派の登場は、1728年に発行されたイーフレイム・チェンバーズの『サイクロペディア(百科事典)』に 
影響を受けてのものでした。
イーフレイム・チェンバーズ(1680-1740)『サイクロペディア』(1728) 
そのサイクロペディア。 
並べる順番ということでは、1728年に世界初のアルファベット順の百科全書が登場ということで画期的でした。 
1753年、スローンの驚異の部屋が大英博物館に生まれ変わるすこし前のことです。わからないまま、雑多に保管した驚異の部 
屋から、体系化することで意味を創出しようとした博物館へと移行する時代です。
並べるための基準=思考
イーフレイム・チェンバーズ(1680-1740)『サイクロペディア』(1728) 
そのサイクロペディアでは、 
人も解剖されれば…
イーフレイム・チェンバーズ(1680-1740)『サイクロペディア』(1728) 
船も解剖されています
イーフレイム・チェンバーズ(1680-1740)『サイクロペディア』(1728) 
また、宇宙も分類するし…
イーフレイム・チェンバーズ(1680-1740)『サイクロペディア』(1728) 
遠近法も分類されます
イーフレイム・チェンバーズ(1680-1740)『サイクロペディア』(1728) 
そして、要塞まで分解して分類されちゃいます
イーフレイム・チェンバーズ(1680-1740)『サイクロペディア』(1728) 
ところで… 
それぞれのページは「テーブル」と名付けられている。
Table = 表 
表として並べて分類することで「分かる」
並べて、対比して、体系化する
「分かる」ことは「分ける」こと 
さらに言えば、分けて名付けること 
分けて名付けることで、それまで未知で近付き難かったモノが、既知で身近になる。実際には、モノが言葉に置き換わること 
で、人は永遠にモノから遠ざかることになるともいえます。 
その意味では「分かる」ことは「分からなくなる」ことでもあります。
カール・フォン・リンネ(1707-1778)”The Animal Kingdom” from 『Systema Naturae』(1735) 
分類学の父と呼ばれたリンネの分類表です。 
リンネはラテン語2語による生命命名法を生みだしました。 
一方で、規則=秩序に従わないものは表の欄外に「パラドクサ」の名の下に排除されます。
カール・フォン・リンネ(1707-1778)”Drawing of Systema Sexuale” 
科学は観察を重視します。リンネもそうでした。 
上のようなスケッチをリンネは残しています。 
そして「記録すべきものは、数、形、比率、位置である」と言っています。 
見ることを重視しながら、見ることは決定的に限定され、見ないことが強要されたのだともいえます。
ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)「月のクレーターの模写」『星界の報告』(1610) 
月のクレーターを自ら緻密に模写したガリレイも、“明証性”の観点から驚異博物館を批判しています。
抽象化=余計なものを排除してシンプルに 
そうしたテーブルを用いた機械的体系化によって「分かる」ことが18世紀の分かり方でした。
16世紀~17世紀初頭:類似 
17世紀中頃~18世紀:同一/相違 
なので、17世紀の中頃に置きた思考のパラダイムの変化を、 
こんな風に対比することができます。 
類似性から、同一性/相似性へ。
同じものがあったか、なかったか 
この違いって…
中世の彩色写本 
同じものはない
グーテンベルグ聖書 
同じものがある
活版印刷本は 
最初の大量生産の商品 
マクルーハン
同じ/違う 
真/偽 
オリジナル/コピー 
先に、16世紀までの「内実」と「見せかけ」の対立が、17世紀には「真偽」の対立にとって変わるようになったといいまし 
た。 
ようするに、こういう対立って本質的なものじゃなくて、あくまで変化する時代への反応としてあらわれたものということを 
思い出すべきなんですね。まさに、僕らはこういう面で過去のデザインに騙されているわけです。
ポール・サンドビー(1731-1809)”The Laterna Magica”(1760) 
「英国水彩画の父」と呼ばれるポール・サンドビーによる当時流行していた幻灯機を使う様子を描いた一枚。 
幻灯機やカメラ・オブスクラなどの光学技術による視覚表現は、それまで画家がもっていた視覚表現技術=まやかしをより一 
層世俗化させました。 
そのなかで見世物、いかさまを排除しようとする「反イリュージョニズム」の声が高まっていきます。
ライト・オブ・ダービー(1734-1797)『空気ポンプの実験』(1768) 
そうした流れのなか、それまでごちゃまぜになっていた科学と錬金術・魔術との分離が進められます。 
ライト・オブ・ダービーこと、ジョセフ・ライトは「産業革命の精神を初めて表現した画家」と称されています。そのライト・ 
オブ・ダービーの『空気ポンプの実験』で描かれる光景のように、この時代の科学実験は見世物すれすれでした。
ライト・オブ・ダービー(1734-1797)『賢者を探す錬金術師』(1771) 
『賢者を探す錬金術師』という絵も描かれていますが、実際には、錬金術と科学の分離は18世紀にはかなり進んでおり、この 
絵はすでに失われた過去をあえて描いたものといえそうです。
啓蒙 
Enlightenment 
17世紀後半から18世紀中頃にいたる時代はいわゆる啓蒙の時代といわれます。 
真偽の対立は、この頃は真偽を偽らず、誠実に真を提示しようとするかでした。
くらひら 
蒙きを啓く 
Enlightenment 
誠実に、真なるものに光を当てようとするか。 
そう、くらきをひらくですし、エントリとメントにはライトが隠れています。 
光をあてることが、認知、すなわち「分かる」ことに結びつくように意味が変化した言葉は多い。
Enlightenment 啓蒙 
Illuminate 啓発 
Vision ビジョン 
光を当てることで「分かる」 
Table、分けることで分かるという話をしましたが、もう1つの「分かる」ための戦略、つまりデザインの戦略がこの光を当て 
ることなんですよね。
(平面に)光を当てて見る 
光を通じて見る 
自ら発光する光に包まれる 
ここは3回目のテーマだったりするんですけど、すこし話をしておくと、光を通じて「見る」ということにも2種類あるんで 
すね。
スクリーン 
光を通じて見る 
ステンドグラス 
前者がスクリーンへの投射、あるいは照明をあててモノを見えるようにすること 
後者がステンドグラスのように自ら発光することで存在をこちらへ投げかけてくるもの
光を当てる 
遠近法的な主客分離 
対象から離れた見る者 
モノ自体が発光 
世界とともにある 
場への参加 
遠近法ー平面化の話との関係でいうと、光をあてるというのはまさに遠近法との関係にあります。 
一方で、後者のモノ自体が発光するというのは、ルネサンス以前の世界との関係に近い。人間が宇宙の縮図として、それとつ 
ながっているような。 
そこに戻るわけではないにせよ、「世界への参加」というのはいまの問題でもある。 
その意味では、ルネサンス期以降
テーブル 
分けて名付ける 
同一性/相違性 
魔の王 
視覚表現(sign)を 
まとわせる 
分かる 
さて、すこし強引にまとめましょう。まとめる必要はないんですけど。 
今日みてきたところでは、「分かる」ことに向けて2つのことが行われています。 
①テーブル:分けて名付ける、それは秩序づけることであり、その完了の目印として名前を与えること。それは視覚的なレイ 
アウトで要素間の関係を明らかにすることで意味を生成する。 
②魔の王:これは視覚表現をまとったモノであり、その意味ではモノ自体から人を遠ざける作業かもしれません。
サブジェクトから 
プロジェクトへ 
最後に。 
先にも名前を出したフルッサーの別の著作に「サブジェクトからプロジェクトへ」という本があります。この本も大きな意味 
でデザインを扱った本です。 
そこで、フルッサーはいまや人は世界に従属する存在サブジェクトであることから、世界そのものを投影プロジェクトション 
する存在に変わったとしています。その意味では「分かる」ことに重点を置いてきた、今日話したようなデザインの役割はす 
でに終わったといえるかもしれません。しかし、僕らは惰性的に同じ思考を行っている感がある。 
そういうプロジェクトの時代において僕らが考えるべきことは、どうデザインするかということよりも、「分かる」ことに変 
えて何を目的にデザインするか?ということなのだろうと思います。そこで定めた目的に応じて、魔王のテーブルのうえでの 
作業を引き続き続けること。それこそが僕らが考えるべきことかなと思っています。

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