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「歿後100年 Henry James『芸術家もの』における
”Romantic”についての考察」
100 Years After, The Summary of​ ​A Study of
“Romantic” in Henry James’ Artists’ Subject Matters
This is a study of “Romantic” which is expressed in Henry James’(1843-1916) short stories which
discuss about the subject matter of artists.
James revised his major novels then re-published these volumes in his last years and in them he wrote
a new preface on each story. In these prefaces, he repeatedly mentioned his idea about “romantic” and his
romantic was compared with his reality. At the beginning of my study, the following three questions came up to
me as a basis for my theory. 1. Were his romantic things expressed especially in his short stories about artists’
subjects rather than his other subject matters? 2. Did artists have some special thoughts rather than ordinary
people? 3. Was a romantic related to art somehow?
James actually practiced and loved art, and he was called an artist of language. He had been born a
natural artist; therefore, I thought that he might install special techniques in his short stories. Many of his stories
were based on true anecdotes which his friends told him, and those became his germ, then he gave full play to
his rich imagination by seed. It became his voice inside which hurried him to make it a drama. His voice inside;
it should be a motive power of artist’s creativeness.
By his picturesque technique of writing, I thought that he installed not only a big panorama of painting
all over the story, but also only one small painting as a beautiful moment. By installing one small painting-like
scene, how his romantic world and realistic society were blended or compared?
I would like to define romantic as follows. A romantic thing may be condensed into a small canvas,
then it may be art itself. Contrary, a reality is spread widely around the small canvas, then it’s a real society
around our ordinary life. A romantic thing is smaller than a reality in size; however, it includes much deeper and
richer experience than a reality in spiritual meaning. When human being faced with difficulty, their mind may be
transformed from reality into a romantic though, and the process may be a form of self-justification. It may be
the way to pass though without fail in his lifetime to be grown up as an artist and also as an human. The above
definition of a romantic will be testify by explaining the following issues. 1. Common difficulty for being artists.
2. The romantic poetry’s memory. 3. An anonymous narrator named “I”. 4. Two pieces of contrasting painting.
5. An irony of reversal.
The study is a result of examining carefully ​“Stories of Writers and Artists” in which James’ artist
subject matters were included and Prefaces of his New York Edition and ​“The Notebooks of Henry James”​.
序論 
 この研究論文は、歿後100年のヘンリー・ジェイ
ムズ(James,Henry, 1843-1916)の描きあげる「芸術
家もの」に表れるのロマンティックなものについて
の一考察である。 
 ジェイムズは、晩年、自身の主な作品に訂正加筆
し、序文を新たに書き加えて、ニューヨーク版とし
て再出版したのだが、ニューヨーク版序文集​1​
(以
下、序文集)には繰り返し、ジェイムズのロマン
ティックについての考えが述べられている。また、
このロマンティックなものはリアリスティックなも
のと対比されている。この考察にあたり、以下3つ
の疑問がわいた。1.ロマンティックなものは、特
に、「芸術家もの」に取り入れられているのではな
いか。2.芸術家には何か特別な思考回路があるの
ではないだろうか。3.このロマンティックなもの
は、芸術に密接な関係があるのではないだろうか。
序文集によると、ジェイムズが知り合いから聞い
た、ちょっとしたロマンティックな逸話が、ジェイ
ムズに対して、「ドラマにしろ、ドラマにしろ、ド
ラマにしろ!」​2​
と呼びかけるそうである。ドラマに
しろ、という内なる声にせかされて筆を執る。自己
の内部からの声、これこそ芸術家の制作活動への原
動力ではないだろうか。ジェイムズは一日たりとも
ペンを握らなかった日はなかったという。また、戯
曲が当たらず聴衆から罵声を浴びせられても、小説
が売れなくても書くことを止めなかった。この弛ま
ない努力こそ芸術家の基本精神ではないだろうか。
0 
 
ジェイムズは、幼少の頃からヨーロッパ生活を体験
する機会を持ち、アメリカ人としては恵まれた環境
を生かし、その芸術家としての才能を存分に発揮し
た。この天才的霊感の備わったジェイムズは、真の
芸術家である。 
 ジェイムズは、絵画を愛し、絵画制作を実践した
言語芸術家​3​
と呼ばれた芸術家の一人であるが故、
「芸術家もの」には、芸術家としての特別な技法が
取り入れられているのだろう。「芸術家もの」は、
物語全体がひとつの絵巻(Lubbockのいうところのパ
ノラマ​4​
)であるだけでなく、美しい一瞬を捕らえた
一幅の絵画になる場面(Picturesque)があると思われ
る。これが絵画的手法と呼ばれるものである。絵画
的一場面をその作中に取り入れることにより、ジェ
イムズの描くロマンティックな凝縮された世界が、
リアリスティックな現実社会とどのように呼応して
いるのかがこの考察の重要な点である。
 私は、このロマンティックなものを次のように定
義したい。ロマンティックなものがカンヴァスの中
に納まる絵画の狭い世界であり、それはロマンティ
シズムの芸術である。対して、リアリステックなも
のはそのカンヴァスの外側の広い世界であり、それ
は現実社会である。ロマンティックなものは物理的
に狭い世界にも関わらず、リアリスティックなもの
よりも深く自由な想像力を伴った経験の世界であ
る。また、人間が困難な状況に直面したときに、リ
アリスティックなものからロマンティックなものへ
の思考の移行が行われるが、その過程は自己正当化
であり、芸術家として、そして人間として成長する
ためには必ず通らなければならない道である。それ
は、1.芸術家の諸問題 2. ロマン派の詩的記憶の
問題、3. 匿名の語り手”I”の問題、4. 二枚の対照的絵
画の問題、5逆転のアイロニーの問題によって証明
される。これらの問題は、ジェイムズの「芸術家も
の」を編集した、​Stories of Writers and Artists​、そ
して、ニューヨーク版序文集と創作ノート​5​
を慎重に
考察した結果よるものである。
Ⅰドラマの萌芽
 ジェイムズの内なる声、「ドラマにしろ、ドラマ
にしろ、ドラマにしろ!」はドラマの萌芽であり、
ロマン主義の巨匠の作品​6​
をベースにしたドラマもあ
るが、実際に人から聞いた逸話であることが多い。
ジェイムズはそれらの声を日記のような創作ノート
に記して、その後作品に仕上げている。その内容
は、実際の出版された小説とは当然若干の違いがあ
る。1893年に出版された、「芸術家もの」短編であ
る、”​The Real Thing ​(1893)”の萌芽は、執筆から2年
前の1891年2月22日、パリのウェスト・ミンス
ター・ホテルで書かれた創作ノートにある。友達の
画家である、George du Maurier​7 ​
から聞いた、モデ
ルの仕事を探している一組の奇妙な夫婦の話​8​
であ
り、ジェイムズは、物語という言葉は適切でなく、
一幅の絵画として描くという、形式に関する萌芽も
得たことが、以下の引用からわかる。
  It must be an idea – it can’t be a ‘story’ in the  
 vulgar sense of the word, It must be a picture; it  
 must illustrate something. ​9
 また、翌年の1892年8月4日、ローザンヌのリッ
チモント・ホテルでも、全く別のモデル話​10​
につい
て記している。出版後の1895年 9月8日、オズ
ボーン・ホテルでは、次回作も”​The Real Thing​”の
ように single incident ​11​
でなければならないと記し
ている。創作ノートでは、このように、ジェイムズ
のドラマの萌芽は、あくまでも萌芽であり、実際の
ドラマとは粗筋が違う。他人の人生に起きたちょっ
とした逸話が、ジェイムズの想像力によって、何倍
も大きなものに発展していく様子を知ることが出来
る。
Ⅱ ロマンティシズム
 ジェイムズは、その序文集の中で、頻繁にロマン
ティックなものについての意見を述べている。ジェ
イムズの言うところのロマンティック(Romantic)
は、芸術史上のロマンティシズム(Romanticism)、
1 
 
文学の分類上のロマンス(Romance)に関連している
と考える。ここで、ロマンティックの一般的な定義
をし、ジェイムズのロマンティックとの比較を試み
ることによって、ジェイムズのいうところのロマン
ティックなものの定義を明確なものとしたい。
 ヨーロッパでいうところのロマンティシズムと、
アメリカでいうところのロマンティシズムとは同じ
ものではないと思われる。アメリカにおけるロマン
ティシズムの動きは、ヨーロッパとは遅れてやって
くる。アメリカ文学史においては、1850年をアメリ
カン・ルネサンスの最盛期とし、それは、ロマン
ティシズムの最盛期とも言える。アメリカン・ルネ
サンスとは、アメリカ独自の文学が花開いた時期と
しながらも、それはヨーロッパ諸国のルネサンス期
から、古典主義を経て、ロマンティシズムへの流れ
を汲み、模倣を重ねることによって、アメリカ独自
のロマンティシズムを築き上げたという分類にすぎ
ない。それでも、当時のアメリカ文学界の画期的な
動向として、歴史上注目される時期であり、その個
人主義的ロマンティシズムの動向により、作家たち
は自己の想像力を開放し、優れた作品が数多く生ま
れた。ヨーロッパのロマンティシズムについては後
述するが、アメリカのロマンティシズムの概要を下
記に引用する。
 (中略)当時の代表的な思想である、「超絶主
義」が典型的に示しているように、この時期の
ロマンティシズムは、個人の内面に対する無限
定な信仰に根ざしていた。超絶主義者にとって
魂は神聖不可侵な領域であり、自分以外のどん
な権威にも従属してはならないものだった。​12
 それでは、アメリカのロマンティシズムはその作
中でどのように表現されていたのであろうか。ロマ
ンスとは、既知の事実とか起こりそうなことに限定
されず、もしかしたら起きるかもしれないことをも
把握しようとすることである。作中には、象徴的な
ものが随所にちりばめられており、登場人物が現実
を生きている人間というよりは、あやつり人形のよ
うに、何かを象徴するかのごとく存在している。 
 一方、先駆的なヨーロッパのロマンティシズムは
どうだろうか。古典主義とは、古代ギリシャ・ロー
マの精神に立ち返ることであり、節度、均衡、調
和、静的、完成を重んじ、本能や空想や感情の極端
な動きを否定する精神である。その反動として、起
きたのが、ロマンティシズムの動向であり、古典主
義の理想とする静的、完成に反し、動的、未完、無
限、自由を求める。ロマンティシズムとは、決して
完成することがなく、自己内部の矛盾を抱えたまま
走り続け、その矛盾からついに抜け出せず死に至る
という、ロマン的イロニー​13​
である。良い見方をす
ると、常に発展し続ける進歩的な精神であると言え
る。ロマンティシズムは現実から逃避し、非合理主
義的傾向を強め、無限の憧れを抱き、彷徨い続ける
ことにより、自由を希求するとまとめることができ
よう。ここで、理想と現実社会との関わり方が問題
となり、そこにこそ、ジェイムズが「芸術家もの」
の中で描きたかったものがある。
 しかしながら、ジェイムズは、ロマンティシズム
擁護派でもなければ、アメリカン・ルネッサンス最
盛期であるロマンティシズムの時代に執筆活動をし
た作家でもない。ロマンティシズムの時代の後に、
ロマンティシズムに反発して、現実の人生をありの
ままに描く、リアリズムの時代に入るのだが、ジェ
イムズは、実人生に即した作品を描くリアリズム作
家と言われることが多い。それも本人が認めること
ではなかっただろう。ジェイムズはパリに住み、自
然主義のゾラと親交を持ち、現実の醜い部分までも
を写実的に描く自然主義に傾倒したかのように見え
て、自然主義のフランス文壇を堕落していると非難
していた。ジェイムズは、どのイズムにも属さず、
常に周囲を動的に捉え、時代に流されない確固たる
自己を持っていたのではないだろうか。
 ジェイムズが、アメリカのロマンス作家である、
E.A. Poe(1809-1849)やHawthorn(1804-1864)の
流れを汲んでいることは間違いないが、この考察で
取り上げる、「芸術家もの」に関してだけは、ヨー
ロッパのロマンティシズムの影響を抜きに考えるこ
2 
 
とは出来ない。その一つの例が、フランス・ロマン
ティシズムの神髄である、バルザック(1799-
1850)である。バルザックは、その『知られざる傑
作(1832)』の中で下記のように記している。
「芸術の使命は自然を模写することではない、
自 然を表現することだ。君はいやしい筆耕で
はない、詩人なんだ」と老人は頭ごなしポル
ピュスをさえぎって、強く叫んだ。「さもなけ
れば彫刻家は、女をそのまま鋳型にとれば、ほ
かになんにも 仕事はいらんわけじゃないか。
ところでね、ため しに君の愛人の手を鋳型に
とって、目のまえに  おいてみたまえ。まる
で似もつかない恐ろしい死骸に出くわすだけだ
ろう。そうして君は、彫刻家のみを求めにいか
ずにはいられなくなるだろう。彫刻家はその手
を正確に写しとることはしないが、その動きと
生命を君に彫り上げてみせるだろう。われわれ
は事物の精神を、魂を、特徴をつかまえなくて
はならない。(中略)」 ​14
 このドラマの筋そのものが、ジェイムズの”​The
Madonna of The Future​(1873)”に酷似している。ま
た、芸術家はタイプが固定された「ほんもの」を模
写するよりも、表現されたもののほうを好むという
ところが、”​The Real Thing​”に登場する挿絵画家の
芸術家精神に通じる。『知られざる傑作』の中でフ
レンホーフェルが、十年もの間、理想の女性の絵に
色を重ねあげ、芸術に日々精進しているが結果的に
は報われないところが、”​The Next Time​(1895)”の主
題に通じる。『知られざる傑作』はまさに、理想の
女性を求めて才能を枯渇させた芸術家、フレンホー
フェルの自己矛盾の葛藤のドラマであり、無限、未
完、自由、空想の世界に生きたために死に至るとい
う、ヨーロッパ・ロマンティシズムの極致である。
 ジェイムズが、「芸術家もの」に関しては、バル
ザックのロマンティシズムから影響を受けたと思わ
れるが、ジェイムズのそれは、ヨーロッパ・ロマン
ティシズムそのものではなく、バルザックのそれよ
りも現代的な現実に接近した世界を描いている。
ジェイムズの「芸術家もの」は、リアリズムの立場
をとりながらも、意図的にロマンティシズムの技法
を取り入れた中間地帯の文学であろう。また、ロマ
ンスとノベルの中間地帯に位置するとも言えるだろ
う。それでは、ジェイムズは、「芸術家もの」にお
いて、どのようにその想像的主題を、現実社会に密
着した主題をおびたように見せたのであろうか。
Ⅲ ロマンティックなものとリアリスティックなも
の
 ジェイムズのロマンティックなものはアリス
ティックなもの対比され、以下のように序文集の中
で述べられている。
私の理解では、リアルとは、遅かれ早かれ、な
んらかの方法で、われわれが知らないでいるこ
とはあり得ないことを意味し、その具体的な事
実がまだわれわれに知られないとしたら、それ
はわれわれの置かれた不完全な状況の偶然の結
果であり、偶然の総量と数に付随するできごと
に過ぎないのである。一方ロマンティックと
は、この世でどんなに恵まれた状況にあって
も、どんな財力があっても、どんな勇気を持っ
ていても、どんな知力に恵まれ、あるいはどん
なに冒険心を具えていても、われわれが絶対に
直接には知り得ないものを意味する。つまり、
われわれの思考や願望の美しい迂回路か尋常で
ない手段によってのみ、われわれに達すること
ができるものを意味するのである。​15​
 
 リアリスティックなものは、通常我々を取り巻く
目に見える世界で起こるが、出来れば我々が知りた
くない、目を背けたい事柄であることが多い。なぜ
なら、それらは現実社会で起こりうる、醜いもの、
つまりは嫉妬、金銭、名声に絡む事柄である。我々
はそれら醜い現実社会、または現実の醜い自分自身
と向き合わないようにし、幸せなもの、美しいもの
だけを虚構の現実として入手しようとする傾向があ
3 
 
る。しかし、虚構の世界にのみ生き続けることは不
可能であり、それを続けられているとしたら、あく
までも偶然に偶然が重なったまでのことである。幸
運にも偶然の総量と数が多かったため、醜い現実を
知らずにすんでいたとしても、遅かれ早かれ、人間
としての成長過程において、その偶然のバランスが
失われ、醜い現実社会、醜い自分自身、つまりは真
の人生に向き合わなければならない時が必ずやって
くるのである。
 一方、ロマンティックなものは、「直接には知り
えない」とジェイムズは述べている。それではどの
ように入手するのか。それは想像力を通してのみ入
手できる。その想像力はどのような事態に働くの
か。人間が窮地に追い込まれて、強くその状況を、
初めは回避したいと望み、後に打開したいと望む。
その結果、通常では考えられない尋常ではない手段
に及んだときに想像力が生まれる。つまりは、通常
に道徳的生活を送っていた善良な市民が、偶然にも
非道徳的自分と向き合う機会に遭遇してしまう。こ
こまではリアリステックなものであるが、それから
尋常でない心理状況に陥り、尋常でない行動をとる
ことによって、初めてロマンティックなものを知る
ことになる。ロマンティックなものを入手した人間
のみが、リアリスティックなものを受け入れられる
広い心を持った人間となるのではないか。ただし、
人間は弱い動物であるので、この人間の弱さとの対
面を現実のものとして受け入れることは難しい。そ
こで自己正当化の精神が作用する。自己正当化しな
がらも、広い心を持った人間に成長していく。自己
正当化は弱い人間の愚かな行為であるので、ここに
矛盾が生じるが、私は自己正当化を人間的成長に伴
うロマンティックな崇高なものとして肯定的にとら
える。弱さの証明としての行為である、「他人及び
自己に対して自己を欺き、良く見せること(自己正
当化)」を自己を高めるためにあえて実行し、認め
ることには矛盾が生じる。しかしながら、ジェイム
ズの取り入れたロマンティシズムとは、人間の内部
に発生する自己矛盾に対する葛藤から生まれる想像
力の崇高さを表現する活動である。理想は、キリス
トの善であり、古代ギリシャ・ローマの均整のとれ
た形式美であるが、それは古典の基準による理想で
ある。階級制の廃止、産業構造の変化などにより、
ジェイムズの生きた現代の生き方には適合しない部
分も多々生まれてきたのである。芸術に生きるとし
ても、金銭が必要であるし、芸術家として生きる証
としての名声も求めたい。仕事を得るには他者との
競争も発生し、勝つか負けるかが問題となる。これ
らを達成して芸術家の自己実現というのであれば、
自己、他者に対する裏切り、敗者への蔑みの上に成
立した自己正当化もまた、自己実現なのであろう。
 この考察で、特にジェイムズの「芸術家」ものを
とりあげる理由は、私はこのロマンティックなもの
を入手できる者は、その特異な環境と 天才的な資
質により、多くの場合芸術家であり、ロマンティッ
クなものの正体は、「人間の複雑さと社会的には邪
魔者でしかない」​16​
芸術であると考えるからであ
る。その序文の中で、「その対立するもの(芸術と
社会)が無限の状況を生み出す」​17​
と言っているこ
とから、結局、芸術は、芸術と現実社会の葛藤が生
み出すロマンティックなものではないか。また、芸
術は、その芸術の担い手である芸術家としての自己
(自我)と芸術との葛藤、自己(自我)と現実社会
の葛藤が生み出すロマンティックなものではない
か。
 19世紀終わりは芸術至上主義​18​
がはびこり、芸術
が実人生よりも重要であるとされたが、ジェイムズ
は人生は不信の対象であるとしながらも、人生を芸
術から完全に切り離して考えはしなかった。​19​
芸術
家が実人生に基盤をおかずに、作品を創造するので
あれば、ジェイムズの考えるところのロマンティッ
クなものは入手できない。また、ジェイムズは人生
を自分の体験をもとに写実的に描くより、他人の人
生から得た萌芽をもとに自己の想像力を作品に投影
した作家である。ロマンティシズムの芸術家が想像
力を伴うことなしに、作品を作り上げることはでき
ないと思われる。ロマンティックなものは、現実的
に対して芸術的であると言えよう。リアリスティッ
クな状況からロマンティックな状況への移行、つま
4 
 
り、人間の不完全な状況を自己正当化するのが芸術
であるとジェイムズは考えるのではないか。この自
己正当化とは、自己や他者を欺き、自分を良く見せ
ることであるから、「自己の理想化」にもつなが
る。この理想は、決して古代ギリシャ・ローマの善
と美を追い求めることとは限らず、現代社会におけ
る個々の価値基準に基づいた個々の自由な発想をも
とにした理想である。この自己正当化については第
6章「匿名の語り手”I”」で詳しく述べるとし、次に
序文集から下記を引用する。
描かれたロマンスの中に私が認め得る唯一の
“一般的”属性は、あらゆる場合に当てはまる属
性は、それが扱う経験の種類という事実である
-言わば、開放された経験ということである。
束縛されない、解き放たれた、なんの障りもな
く、普通にはわれわれがそれに付随するものと
解している。そして、なんらかの特別な関心ゆ
えに、“関連性のある”限定された状況、要する
に、あらゆる日常の社会活動に付き物の状況の
不都合さを完全に免れた雰囲気の中で働く経験
のことである。(中略)事実、経験の軽気球は
勿論地上につながっている。(中略)ロマンス
作家の技巧というのは、“その面白さのために”
こっそりとその鋼索を切ること。彼がそうする
のをわれわれが気付かないようにそれを切るこ
とにある。​20
 前述の引用では、リアリスティックな状況からど
のような回路を通ってロマンティックな状況へと移
行していくかを説明したが、この引用では、いわば
ロマンティックなものを描くロマンスの性質につい
て述べている。ジェイムズはその作品の中で一幅の
絵画的印象を描いていることで知られていることか
ら、このロマンティックな状況はカンヴァスに収
まった一幅の絵画に例えられるのではないだろう
か。一瞬の美しい状況を一幅の絵画として凍結させ
てみせるジェイムズの絵画的手法のひとつである。
ロマンティックなものがカンヴァスの中に納まる狭
い世界であり、リアリスティックな世界はそのカン
ヴァスの外側の広い世界であると考えられる。
 ロマンティックな“開放された状況”(=“無限、自
由、想像の世界”)は、日常的リアリスティックな状
況から免れて自由に空間を遊離する。ジェイムズ
は、この“開放された状況”を経験の軽気球に例えて
いる。軽気球は大地や空に比べたらほんの小さな限
定されたものしか載せることができないものであ
る。この軽気球は鋼索によって大地につながってい
るが、その鋼索のあまりの長さにより大地に縛られ
ているという意識なく自由に空間を遊離する。この
大地や空の空間はリアリスティックな状況であり、
綱が付いている以上、軽気球のロマンティックな状
況は、軽気球を取り巻く空間であるリアリスティッ
クな状況からしばらくは離れることはない。現実に
は、ロマンティックな想像力の世界は、自由に遊離
しているかのように見えながらも現実社会の手中、
または延長線上にあり、切り離せない関係にあると
いうことである。つまり、たとえ豊かな想像力を
もっていても現実から逃れられない運命にある。し
かしながら、ジェイムズは作者として、この軽気球
と大地とを結びつける鋼索をこっそり切ってしま
う。つまり、完全に何物からも解き放たれた状況を
つくってしまう。もともと軽気球は大地につながれ
ていることを知らないのであるから、ロマンスの登
場人物たちにとって、ロマンティックなものとリア
リスティックなものの関係にはなんら変わりは無
い。しかしながら、我々読者にとっては、いつの間
にかロマンティックなものがリアリスティックなも
のから遊離されていることに気がつき、ドラマ性を
高める結果となろう。
 物理的には、ロマンティックなものは容積が小さ
く、リアリスティックなものはそれをとりまく空間
であるからその容積が大きい。しかしながら、精神
的には、ロマンティックなものは、開放された、全
てのものから免れた深い自由な経験であり、リアリ
スティックなものは“限定された不完全な状況”であ
り、常識にしばられていて浅い経験と言える。
 そのロマンティックなもの、リアリスティックな
5 
 
ものは、ジェイムズの代表的な「芸術家もの」を
F.O.マシーセン(Matthiessen, F.O.)が編纂した”
Stories of Writers and Artists, (1944)” に見られ、
全てこの考察の参考とした。ジェイムズは確かに
「芸術家もの」以外の作品においても、ロマン
ティックなものとリアリスティックなものの両方を
表現しているが、結局は、想像力や精神の崇高さと
いった意味合いでのロマンティックなものが、社交
界、契約、お金などの意味合いでのリアリスティッ
クなものの犠牲になり、現実世界に立ち戻っていか
ざるをえないリアリズムの立場をとり、ロマン
ティックなものはあくまでも主人公の中の精神性と
して残るのみであることが多い。それに対して、
ジェイムズの「芸術家もの」では、芸術家であるが
ゆえの葛藤をテーマに、クライマックスでは、リア
リスティックなものから完全に開放された無限の状
況を創造する。この芸術家の葛藤については、第4
章で詳しく述べる。
 中でもこの考察で、代表的に取り上げたい”​The
Real Thing​”の粗筋は、以下のようである。小説は、
本来は肖像画家であるが、生計をたてるために挿絵
画家をしている画家のアトリエに、一組の上品な中
年夫婦が訪ねてくるところからはじまる。そのモ
ナーク夫妻(Major Monarch & Mrs. Monarch)は、
かつては身分もお金もあり優雅な生活を送っていた
が、破産寸前の状態になり、この画家ならば彼らを
挿絵のモデルに雇ってくれるのではと期待した。画
家はある小説の挿絵の仕事を依頼されており、彼ら
をモデルとして使ってみることにする。画家は、既
にミス・チャーム(Miss Churm) という若い女性
をモデルとして雇っており、彼女は身分の卑しいた
だの平凡な下町娘であるが、表現力に富み、プロの
モデルであった。モナーク夫妻は、型にはまったモ
デルであり、それが表現不足ととられ、画家の考え
るところの「アマチュアの欠点」を露呈する形と
なった。そこに更に、モデル兼召使いにしてほしい
という青年、オロンテ(Oronte)が登場し、彼もまた
そのモデルとしての天才ぶりを発揮させ、モナーク
夫妻の商売敵となる。美術批評家である友人、ホー
リー(Hawley) が画家の失敗を指摘した後、画家は、
挿絵のモデルにオロンテとミス・チャームを使用す
ることに決めた。それを知ると、モナーク夫妻は、
何とかアトリエでモデル以外の仕事を得ようと、
じょじょに召使のように振舞いだした。結局、モ
ナーク夫妻は、ほんものの貴族なのに偽者よりも貴
重になりえないという皮肉な運命を受け入れざるを
えなかったのだ。その後、モナーク夫妻に相当なお
金を渡すと、彼らはアトリエに姿を見せなくなっ
た。
 この「召使いとしての行為」のひとつである、モ
ナーク夫人がミス・チャームの髪に櫛を入れる、”
The most heroic personal service” ​21
、「モナーク
夫人の美しい行為」は、とてもロマンティックなも
のである。なぜかというと、その一点の行為によ
り、全ての状況が180度転換してしまったからであ
る。金銭のために情けない行為に及んでいたモナー
ク夫人は画家の心象の転換によって、悪から善、ま
たは醜から美へと昇華したし、モデルであるミス・
チャームの美しさは倍加されたのである。
 ロマンティックなものは、我々の思考や美しい迂
回路を通る。つまり想像力を伴い、読者に自由な解
釈の余地を与える。それにより、この”The most
heroic personal service” をめぐっては解釈が二つ
に分かれると考える。
  But she quieted me with a glance ​I shall
never forget--I confess I should like to have
been able to paint that and went for a
moment to my model. She spoke to her
softly, laying a hand on her shoulder and
bending over her; and as the girl,
understanding, gratefully assented, she
disposed her rough curls, with a few quick
passes, in such a way as to make Miss
Churm's head twice as charming. ​It was
one of the most heroic personal services
I've ever seen rendered.​ ​22
6 
 
 粗筋で述べた、「召使いとしての行為」について
細かく段階的に考察していくとその二つの解釈につ
いてわかる。「召使いとしての行為」は合計4回あ
る。1つ目はモナーク夫妻がオロンテにお茶を差し
出す場面、2つ目はモナーク夫人が、モデルのポー
ズをとっている最中のミス・チャームに駆け寄り、
髪を櫛でとくことによってミス・チャームの美しさ
を倍加させる場面。3 つ目はモナーク夫人が何かす
ることはないかと辺りを見回し、床に落ちていたボ
ロ布を拾った場面。4つ目はモナーク夫妻が、アト
リエのキッチンにおいてあった食器を洗い出した場
面である。この4つの行為は同じ「召使いとしての
行為」ではあるが、2つ目とは全く違う動機があっ
たとする解釈である。2つ目以外の行為は、アトリ
エを追い出されまいとする夫妻の抵抗を表現する情
けない姿である。2つ目の行為はどうだろうか。モ
ナーク夫人は、自分たちをもうモデルとして使う気
が画家にないと知った後にも関わらず、ミス・
チャームがポーズをとっているときに、彼女の髪を
くしでといてあげることによって、商売敵であるミ
ス・チャームの魅力を倍加させてみせるという行為
に及ぶ。ほんものの貴婦人がにせものの貴婦人の髪
を櫛でといてあげることが、貴婦人としてのプライ
ドを傷つけ、また商売敵を美しくすることにより、
自分の職が完全に失われる結果になったかもしれな
いのにである。「モナーク夫人の美しい行為」、そ
の瞬間が語り手である画家にとって一幅の絵画とな
り目に焼きついた。このような美しい表情なら是非
描いてみたいものだと思わせるのである。つまり、
この「モナーク夫人の美しい行為」が「ほんものが
偽者よりも貴重になりえないという残酷な運命のア
イロニー」を払拭し、ほんものの貴婦人を逆転勝利
に導いたわけである。
They (The Monarch) bowed their heads in
bewilderment to the perverse and cruel law in
virtue of which the real thing could be so much
less precious than the unreal; ​23
 しかしながら、モナーク夫人には逆転勝利の計算
はなかった。ミス・チャームに、貴婦人として、貴
婦人らしく美しくしてあげようという人間的行為に
及んだまでであった。これが「モナーク夫人の美し
い行為」についての解釈のひとつであり、読者の目
にも大変ロマンティックなものであり、このドラマ
のクライマックスとも言える場面としてとらえるこ
とが出来るだろう。二つ目の解釈については第6章
「匿名の語り手”I”」で述べる。以上が、私のロマン
ティックなものとリアリスティックなものの関係に
関する考察である。
Ⅳ 芸術家の諸問題
 芸術家には特有の思考回路が存在するのか。も
し、存在するとしたら、それはどのようにロマン
ティックなものに接続していくのかについて考察し
たい。ここで重要となるのは、19世紀に生きた芸術
家共通の諸問題である。ジェイムズの芸術家ものに
は、以下の4つの芸術家の問題がある。
 1つ目は”​Hawthorne​”​24​
にも述べられているよう
に、ないないづくしの国、アメリカから芸術修行の
ためにヨーロッパに渡ってくるアメリカ人がその無
垢さゆえ、経験の国、ヨーロッパの毒盃を飲み干し
て挫折していくという国際的状況の問題である。例
えば、”​The Madonna of the Future​”のセオボールド
(Theobald)は、アメリカから、芸術修行のためにパ
リに渡るのだが、絵を描くことも止め、10年もの
間、幻想のマドンナ、セラフィーナ嬢(Serafina)
に翻弄される。ついには、自身の画家としての才能
を枯渇させ、非業の死をとげる。芸術家には才能だ
けではなく、生まれながらの恵まれた環境が不可欠
であると言える。ジェイムズ自身の人生が、生まれ
ながらに芸術家として恵まれた環境であったのであ
る。下記に引用するのは、語り手であるH氏がセオ
ボールドに語ってみせたものであるが、環境に恵ま
れたジェイムズ自身の声であることはその内容から
明らかである。
"You seem fairly at home in exile," I made
7 
 
answer, "and Florence seems to me a very
easy Siberia. But do you know my own
thought? Nothing is so idle as to talk about our
want of a nursing air, of a kindly soil, of
opportunity, of inspiration, of the things that
help. The only thing that helps is to do
something fine. There's no law in our glorious
Constitution against that. Invent, create,
achieve. No matter if you've to study fifty times
as much as one of these. What else are you an
artist for? Be you our Moses," ​25
 2つ目は、芸術の商業化、もしくは世俗化と芸術
の追求のための貧困の問題である。例えば、”​The
Madonna of the Future” ​では、セオボールドが古典
的なイタリア・ルネサンス期の芸術を追求し、目標
とする芸術性の高さ故、貧困の中、一枚の絵も残せ
ず死んだのに対し、セラフィーナ嬢の愛人は、人形
細工を大量に売りさばいて成功をおさめた。また、​”
The Real Thing”​では、画家が本来は、肖像画家とし
て名声を得たかったのだが、日々の生活費のため、
仕方なく挿絵画家としてペン画を書いていたことも
世俗化といえよう。 ”​The Next Time​”では、リン
バート(Ralph Limbert)が、愛するモード(Moud)
と結婚するために、不本意にも作家ではなく、編集
者としての会社勤めの道を選び、本来の芸術性はさ
ておき、世俗うけする記事を書こうと努力をする。
芸術追求のためだからといって餓えるわけにはいか
ないのだ。
 3つ目は、芸術家の絶え間ない努力の問題であ
る。”​The Next Time “では、リンバートの書く記事
が大衆うけせず、会社を解雇になり、何度仕事から
干される状態になっても、この次こそは成功するぞ
という希望を捨てず、その死の間際までペンを離さ
なかった。リンバートとは対照的に、”​The
Madonna of the Future” ​では、画家を志しながらも
10年間全く絵筆を握らなかった堕落したセオボール
ドが描かれている。リンバートもセオボールドも結
果的に成功しない。また、”​Broken Wings​(1900)”
は、久しぶりに逢った以前の恋人同士が、互いに芸
術家として不遇の時代を過ごしていることを思い
切って打ち明けあうと、そこから芸術を諦めて恋愛
が始まるのではなく、お互いに次の制作にすぐさま
とりかかるという話である。芸術家の使命は、結果
を考慮せず、一日も休むことなく努力し続けること
なのであるが、それには血のにじむ様な努力と強い
精神力が必要であろう。 
 4つ目は、芸術家の想像力と実践力または才能の
有無の問題である。​”The Real Thing”​に登場する若
き日の画家は、想像力はあると自負していたが実践
力がまだ伴わなかったせいで、モナーク夫人を前に
して戸惑いが生じた。​”The Madonna of the Future”
のセオボールドは、有り余るほどの想像力がある
が、それを画布に残す実践力が伴わず、苦しんでい
た。結局、芸術は才能ある者からしか生まれないの
だ。芸術の天才について、アリストテレスは、哲学
であれ、政治であれ、詩や芸術であれ、これらの領
域において傑出した人間はみな憂鬱質であるとし、
プラトンは、病気によって惹き起こされる普通の狂
気と神的狂気を区別し、神的狂気の中に詩的狂気、
すなわち芸術的狂気があるとしている。これをプラ
トンの狂気論といい、アリストテレスの憂鬱質論と
結びつき、憂鬱質-天才-狂気​26​
という発想が生ま
れた。芸術的天才というものは本来、憂鬱質の人
間、神的狂気の人間でなければなれないものであ
り、ロマンティシズム文学に登場する芸術家たちも
それに該当するのであろう。
 創造とはもともと破壊性を伴う作業である。
ということは、ふつうの人間は創造なくして生
きていけるということだ。所与のもので、人間
は十分満足できる。(中略)ところが、このあ
りきたりの秩序に耐ええない者だけが創造の
デーモンにとらわれて世界から脱出しようとす
る。別の次元にむかって。​27
 これを芸術家特有の異常な思考回路が生まれる所
以とする。
8 
 
 下記は、”​The Real Thing​”からの引用である。
Her figure had no variety of expression --she
herself had no sense of variety. You may say
that this was my business and was only a
question of placing her. Yet I placed her in
every conceivable position and she managed to
obliterate their differences. She was always a
lady certainly, and into the bargain was always
the same lady. She was the real thing, but
always the same thing. There were moments
when I rather writhed under the serenity of her
confidence that she ​was​the real thing. ​28
 画家の苛立ちを細かく考察してみることによっ
て、前述した芸術家の諸問題がいかにロマンティッ
クであるかが明らかにされる。画家は一応、自分の
力不足を戒めてはいるのが第一段階の苛立ちであ
る。しかし、本当はモデルがほんものの貴族だから
型にはまりすぎているし、モデルとしてアマチュア
だから悪いのだという、アマチュア嫌悪の気持ちが
沸き起こるのが第二段階の苛立ちである。批評家の
友人、ホーリーに画家生命の終わりを警告されたの
が、第三段階の画家の苛立ちである。また、ミス・
チャームとオロンテを使って、『ラトランド・ラム
ゼイ』を仕上げると決めた段階で、まだモナーク夫
妻との縁が切れていないことに気づくのが、第四段
階の画家の苛立ちである。貴族である彼らがモデル
としてはアトリエに居られないと知ると、急に召使
いのように振る舞いだしたのを見て描く意欲が完全
に削がれてしまったのが、第五段階の画家の苛立ち
である。最終段階の画家の苛立ちは、モナーク夫妻
が出て行った後の後味の悪い感触によるものであっ
た。このように、次第に募っていく画家の苛立ちの
様は、自分の画家としての才能を疑うという自身へ
の苛立ちから、アマチュア嫌悪という立場をとらざ
るを得ないという芸術に対する苛立ち、干渉してく
るホーリーやモナーク夫妻への苛立ち、そしてまた
自己への苛立ちというように心象が変化していく。
モナーク夫妻への苛立ちの認知は、画家自身のエゴ
イズム認知へとつながっていく。自分さえ良けれ
ば、自分の名誉さえ守られれば、他人であるモナー
ク夫妻などどうなってもかまわないのである。しか
も、次第に自分の立場がモナーク夫妻のそれと重
なっていくのである。画家は、モナーク夫妻が自己
の姿の投影であることを認識せざるをえなかった。
モナーク夫妻を生かせば、自分が死ぬのである。
 画家は、自分の画家としての才能の欠如を認めた
くないばかりか、自分の人間としての欠陥さえ認め
たくはない。しかしながら、苛立ちの段階を通し
て、じょじょに自己の弱さに対面せざるを得ない状
態にあった。その弱さとは、芸術追求の精神に反対
して働く金銭重視、肖像画家としてではなく、挿絵
画家として生計を立てなければならないという信念
の断念、時間を忘れ没頭できるのが芸術であるはず
なのに、締切の期日に追われること、想像力、才能
の限界、芸術は、結局は他者との競争であるという
こと、芸術家であることを重視したならば、人間と
しての精神を犠牲としなければならないことであ
る。ここに、芸術家特有の、現実社会対する葛藤、
自己に対する葛藤、芸術に対する葛藤が見られる。
これらが、前述した、「芸術-憂鬱質-天才-狂
気」という連結した芸術家特有の思考回路だとし、
その特異さが異常であればあるほど、精神的な危険
度が高まり、芸術家の諸問題とロマンティックなも
のの関係が明らかになるのではないか。
Ⅴ ロマン派の詩的記憶
 画家は、この痛手に対して代償を払ってもかまわ
ないほどの価値を、このほんものとの思い出に見出
したと述べている。ほんものの貴婦人との思い出
が、画家の脳裏にとてもロマンティックに思い起こ
されることが、画家のその後の人生にとって、大き
な価値を与えたことがわかる。そのロマンティック
なものがどのように画家のその後の人生にかかわり
9 
 
を持ったかについて考察することにより、ロマン
ティックの精神性の崇高さについて証明したい。
I obtained the remaining books, but my friend
Hawley repeats that Major and Mrs. Monarch
did me a permanent harm, got me into false
ways. If it be true I'm content to have paid the
price--for the memory. ​29
 ここにこのジェイムズ小説のロマン派の詩的記憶
の問題がある。​”The Real Thing”, “Madonna of
The Future”, “The Next Time”​などの「芸術家もの」
の短編小説には、記憶の問題が提示されている。そ
れぞれの作品において、語り手は、思い出に残るあ
る人物について、現在から過去にさかのぼって、記
憶を語っているという共通点がある。心理的、時間
的、空間的距離をおくことによって、現在の自分の
立場とその当時の自分の立場の隔たりに感慨深いも
のを覚え、また二度と会うことのないあの人物が過
去に自分に与えた衝撃が、現在の自分にとっては崇
高な記憶としてのみ、よみがえってくるのである。
語り手である画家は、この物語を語った時点では、
もう青年ではなく、肖像画家として名声を得るのを
あきらめ、挿絵画家としてある程度安定した地位を
築いていたことだろう。あの忌々しい腹立たしい出
来事は画家にとって生きるか死ぬかの切実な問題で
あり、自分のエゴイズムにも気づかされたという非
常にリアリスティックなものだったが、あの出来事
がもしなかったら、画家はどうなっていたのだろう
か。画家としての道を誤った方向に向かわせようと
したほんものの貴婦人の幻想に惑わされて、自分を
見失うところであった画家が、芸術家としての、人
間としての未熟さを、若いころに体験しなければ、
画家の芸術性と人間性は高められなかったはずであ
る。
 語り手は、過去のこの出来事がリアリスティック
に忌々しいものであればあるほど、現時点において
は、ロマンティックで崇高なものに昇華させてい
る。モナーク夫人がミス・チャームの髪にくしを入
れた瞬間が真の美として凍結され、一幅の絵画とな
り、永遠の喜びに昇華したのも、語り手である画家
が現在から距離をおいて過去を見つめなおしている
からである。過去のエゴイスティックな行為に負い
目を持った語り手にとって、自分の過去の過ちから
逃れられる唯一の方法が、過去を崇高な思い出とし
て封印してしまうことだったのである。
 いったん距離をおいて記憶として描く手法は、ノ
ベルでありながら、ロマンスの装用をもたせ、また
ロマン派の詩としての装用を持たせる。イギリス・
ロマン派の詩人であるワズワース(Wordsworth,
William, 1770-1850)はルーシー詩篇のある一篇の
最終行で、”The memory of what has been, And
never more will be.” ​30​
と読み、ルーシーをメモリー
の中で今でも生き続ける存在とし、過去を詩の中で
凍結させた。​31 ​
以下は、ワズワースのルーシー詩
篇、 ”Three years she grew” の引用である。
(中略)
Thus Nature spake – The work was done –
How soon my Lucy’s race was run!
She died, and left to me
This heath, this calm, and quiet scene;
The memory of what has been,
And never more will be.
(Three years she grew) ​32
 ワズワースの詩の作成過程では、現実の体験に基
づいてすぐに詩形形象を結ぶのでなく、回想という
心理過程を経てはじめて詩作の段階となる。この回
想の段階で心理的、時間的、空間的距離をおいて過
去を見つめなおす行為により、想像力が高まり、詩
の崇高さが倍加するのである。
 ジェイムズの芸術家ものについても同じことが言
える。心理的、時間的、空間的距離をおいたもの
は、どんなにその当時にリアリスティックな出来事
であっても、想像力を伴ってロマンティックなもの
に昇華する。ワズワースと深い交流があった詩人、
コールリッジは、想像力を以下のように定義してい
る。
10 
 
想像力が、第一に相矛盾し合う異質な要素を融
合する力であること、第二には観察の対象をあ
りのままではなく変容させること、したがって
第三に習慣化され見慣れたものを新たに活性化
すること。​33
 「モナーク夫人は、型にはまったいつも同じ貴婦
人であり、表現力がない」、としながらも、画家
に、「あのような表情なら描いてみたいものだ」と
相矛盾したことを語らせている。つまり、観察の対
象である、モナーク夫人を画家の過去の回想によっ
て、「良いもの」に変容させている。
 ジェイムズ小説においては、想像力のカンヴァス
がロマンティックなものであり、無限大に広がるカ
ンヴァスの外はリアリスティックなものである。つ
まりリアリスティックなものは常にロマンティック
なものを内包した状態にある。下町娘のミス・
チャームが画家の前でポーズをとるとほんものの貴
婦人に見えたように、モナーク夫人もミス・チャー
ム同様のすばらしいモデルにもなりえたし、ミス・
チャーム以上のものにもなりえたのである。
 それが可能性として確かに画家の記憶の中に存在
していたということを、画家は語ることによって、
少しでも負い目を少なくしたいと願っていたのであ
る。​”The Madonna of The Future”​の語り手であるH
氏(H-)もまた、自分の行き過ぎた助言のせいで死に
至ったかもしれない友人に対して、​”The Next Time”
の語り手もまた、自分の援助が足りなかったせい
で、そして自分が妻にするかもしれなかったモード
と結婚したせいで、傑作を残せず無念の死をとげた
かもしれない友人に対して、負い目を持ち、凍結さ
せた過去の記憶を語ることによってのみ、過去の負
い目から救われるのである。
Ⅵ 匿名の語り手 “I”
 何故、ジェイムズが匿名の語り手”I”を用いる必要
があったのかについて説明することによって、不完
全な状況から葛藤を通して自己正当化へ至る過程が
ロマンティックであり、それが芸術であるというこ
とを証明したい。以下に序文集から引用する。
ところで、もし私が彼を主人公であると同時に
語り手にしていたならば、つまり彼に「一人
称」というロマンティックな特権を与えていた
なら-大規模にこれを行えば、この方法はどう
してもロマンス特有の暗黒の深淵に直面せざる
を得なくなるのだが - 多様性のみならず他
の多くの奇妙な問題が裏口からこっそりと持ち
込まれることになっただろう。​34
 一人称を用いるということは、語り手の告白であ
り、告白は常にロマンティックなものである。他人
の視点を介さず、常に一人の人物の視点を通しての
みドラマが展開されるということは非常にドラマを
秘密めいたものにするからである。一人の視点を通
してのみドラマが展開するということで、読者はそ
の語り手に対して疑いの心を持たざるを得ない。そ
の結果として、読者は多種多様な読み方をするであ
ろう。一方、もし読者が語り手を全面的に信頼した
ならば、語り手に誤った方向に導かれていくだろ
う。これが「ロマンス特有の暗黒の深淵」への直面
ではないだろうか。語り手を全面的に信頼してもし
なくても、読者は、様々な部分で、ドラマのつじつ
まが合わなくなるという奇妙な問題に遭遇すること
になる。回想という形をとっているがゆえ、そのつ
じつまの合わない原因は主に時間軸である。そこで
再読、再解釈を余儀なくされるのが、ジェイムズの
意図した、ロマンティックなものの経験の深さであ
る。また、様々な解釈を可能にするということは、
個と社会全体との調和を重んじる、理性重視の古典
主義に反して、個人の自由な判断に価値基準を置
く、ロマンティシズムの特徴である。
 ここで、「モナーク夫人の美しい行為」の第二の
解釈について述べる。第3章、「ロマンティックな
ものとリアリスティックなもの」で述べた、「モ
ナーク夫人のあのような表情なら是非描いてみたい
ものだ。」と語り手が思ったというのは誤った記憶
11 
 
である。遠い過去の記憶に誤りがあるというのはよ
くあることである。しかしながら、過去の出来事の
記憶に誤りがあるのはありうるが、過去の感情の記
憶に誤りがあるというのは考えにくい。つまり、語
り手は、今も尚、誤った過去の記憶を持ち続けてい
るのである。語り手は、自分の芸術家としての技術
や観察眼に自信がなかったことを隠すため、傲慢に
もモナーク夫妻を非難し、追い出してしまった過去
の自分を何とかして正当化したい気持ちに駆られ
た。そこで語り手が考えた出したのが、モナーク夫
人をモデルにしてみたかった瞬間が確かにあったの
だが、モナーク夫妻は自らアトリエを出て行ってし
まい、ついにあの美しいモナーク夫人を主人公にし
た挿絵を描けなかった、という曲げられた事実であ
る。「モナーク夫人の美しい行為」については、第
二の解釈では、モナーク夫人をモデルにしてみた
かった瞬間など初めからなかったというものであ
る。”​The Aspern Papers (1888)”の語り手”I”もま
た、自分の芸術欲のために利用しようとした、いき
遅れた中年女性のミス・ティータ(Miss Tita)が天使
のように美しく見えた瞬間があったと過去を回想し
て述べていること、そして”​The Madonna of The
Future​”の語り手H氏もまた、醜い年老いたセラ
フィーナ嬢が美しいと思ったと過去を回想して述べ
ていることも同様である。また、たとえ、実際にミ
ス・チャームの髪をとくしぐさがあったにしろ、あ
くまでも画家の気を引くための、金銭をねらっての
計算された行為であり、「人間としての行為」では
なかったのである。つまり、ボロ布を拾って辺りを
見回したり、皿を洗ったりした第1、3、4の行為の
動機と同じであった。偽りの記憶に塗り替えること
によって、画家は芸術家としての人間としての自負
心を持ち続けることができるのである。しかしなが
ら、自己の内部だけで自己正当化すればするほど、
負い目は大きくなっていくのではないか。それから
救われる唯一の方法が、他人に匿名で偽りの記憶を
語ることである。匿名であるところに、その記憶が
偽りである証拠がある。また、他人に語ることによ
り、自己の記憶と他人の記憶の中に、偽りではある
が、語り手”I “の美しい共有された記憶が封印され、
二度と虚偽だという事実が現在の語り手の人生に降
りかかってくることはない。
 一人称で語るということは、他者の視点が介在し
ないことから、語り手の語りは事実である部分もあ
るかもしれないし、そのほとんどが虚偽であるかも
しれないということを読者は考える。考える余地を
与えるのはジェイムズ小説特有である。読者にその
解釈を委ねるという手法は、大変ロマンティックな
ものである。前述のように、ロマンティックなもの
とは、われわれの思考や願望の美しい迂回路か尋常
でない手段によってのみ、われわれに達することが
できるものを意味する。匿名の語り手”I” が虚偽の証
言をして自己正当化したかもしれないというのは、
尋常ではない手段である。しかしながら、尋常では
ない手段を使用しなければ、語り手”I”の精神状態を
正常に保つことができなかったという究極の状態に
あるということは、非常にロマンティックではない
か。ジェイムズはあまり重要視していないことだ
が、ロマンティックであることは、リアリスティッ
クであることよりも危険度が大きいとしている。​26
精神状態の危うさから語った嘘というのは、ロマン
ティックである。ロマンティックなものとは極限の
状態に陥った人間の最後の砦であり、それは想像力
によって作り出される芸術であるともいえよう。語
り手”I”の求めたもの、それは自己正当化を許す、ロ
マンティックな想像の世界であった。
 結局、モナーク夫妻は画家にとってただの忌々し
い邪魔者であり、それは画家自身でもあった。なぜ
なら、モナーク夫妻の存在が、自分の芸術家として
の才能のなさを露呈させたからである。また、自分
の人間としての度量の狭さまでも露呈させられたか
らである。更には、自分の生活の糧としていた挿絵
の仕事まで失いかけていたからである。画家自身
が、モナーク夫妻同様に人生のがけっぷちに立たさ
れているのを、モナーク夫妻の登場によって知った
のは忌々しい出来事であったのだ。モナーク夫妻が
画家自身の投影であったことは、批評家、ホーリー
のモナーク夫妻についての見解を示した下記テキス
12 
 
トの引用からもわかる。
Hawley had made their acquaintance--he had
met them at my fireside--and thought them a
ridiculous pair. ​Learning that he (Hawley) was a
painter they (The Monarchs)tried to approach
him, to show him too that they were the real
thing; ​but he looked at them, across the big
room, as if they were miles away: they were a
compendium of everything he most objected to
in the social system of his country. Such people
as that, all convention and patent-leather, with
ejaculations that stopped conversation, had no
business in a studio. ​A studio was a place to
learn to see, and how could you see through a
pair of feather-beds?​35
モナーク夫妻は、ホーリーが芸術関係の仕事をし
ているとわかると彼に近づく。アトリエは観察眼を
養う場所なのに、モナーク夫妻のように羽根布団に
包まっていて何がわかるというのだとホーリーは警
告を発する。画家は、芸術には無用なモナーク夫妻
をアトリエに受け入れ続け、芸術性追求よりも世俗
に迎合するようになっていた。
「モナーク夫人の美しい行為」などはじめから無
かったのである。また、仮にあったとしても当時の
画家には気がつかなかっただろう。負い目を受け入
れ、消化する精神性を持つまでに成長したというこ
とが、ロマンティックで深い経験である。実際には
無かった場面が絵画的一瞬を捉え、芸術家の脳裏に
焼きつく。これが芸術家の想像力である。リアリス
ティックな状況からロマンティックな状況への移
行、つまり不完全な状況を自己正当化することは、
実際には目に見えないものを想像力によって視覚化
することでもある。それはまさに一幅の絵画を読者
の頭の中に描くというジェイムズの「芸術」なので
ある。
Ⅶ 対照的な2枚の絵画
ジェイムズの「芸術家もの」は、何故、一幅の絵
画を見ているように、一つのまとまりを見せ、読者
の目にロマンティックに映るのだろうか。
一つの物語は一つの物語であり、一枚の絵は一
枚の絵である、そして私は一つの中に二つの物
語、二枚の絵がみられることがぞっとするほど
嫌であった。(中略)丁度車軸を失った車輪が
車を動かすのに何の役にも立たないように、も
早大事な意図を表現するのに役立たなくなった
ということである。(中略)私がたまたま一枚
の絵の中に二枚の絵を見たことは、明らかに事
実であった。(中略)だから私の仕事は、完全
な絵画的融合を、つまり、最初の一つの構想の
間に、たとえそれらが全く異なった星の下に生
まれたとしても、お互いを犯さない何か共通の
関心を「求める」ことであった。​36
 ジェイムズは主題と構成にこだわった作家であ
る。他人から聞いたちょっとしたロマンティックな
話が萌芽となり、主題を創造するが、その主題は必
ずひとつのまとまりをもったものでなければならな
い。複数の主要な登場人物を物語に配置したからと
いって、それぞれの人生が読者の目に際立つように
主題を創造するのではない。
ジェイムズは、必ず一つの物語にこの瞬間を凍結
させたかったという一幅の絵画を持ち込む。これも
その一つの主題にそった形でひとつだけ創造され
る。ジェイムズは何よりも「一つのまとまり」とい
うものに関心が高いと思われる。その「一つのまと
まり」が走る二輪馬車の車輪であり、回転の中心で
ある車軸は前方に移動してはいるが、位置は固定し
ており、決して動かない。車輪がドラマであり、車
軸が丁度、物語の主題になっており、車軸を失うこ
とはドラマの主題を失うことである。序文にあるよ
うに、ひとつの物語の中に、二つの物語が表れるの
を嫌い、一つの絵に二つの絵が表れるのを避けた。
しかしながら、ジェイムズがティントレット
13 
 
(Tintoretto, 1518-1595) の一枚の絵に二枚の絵を見
て、それはそれで何がしかの融合を見せていること
を認めておおいに驚いている。また、それを「離れ
業」であるとし、自分には到底真似できぬものとし
ている。一枚の絵に二枚の絵を表すにしても、お互
いがお互いを犯さない方法でひとつの主題に向わせ
ることが、ジェイムズの新たな試みとなったのでは
ないだろうか。
 この論文に掲げた「芸術家もの」の中短編小説に
おいては、その二つの絵の共通の関心ごとというの
が「芸術」であることに他ならない。つまり、芸術
というひとつの主題に向かっている二枚の絵画が存
在すると考えられる。お互いがお互いを犯さない方
法とは何か。それはその2枚の絵画が絵画的融合を
果たし、あたかも一枚の絵画のように振舞うことで
ある。本当にひとつの関心に向かっているのであれ
ば、二枚の絵も一枚の絵になろうし、二つの物語も
一つの物語になろう。ここに掲げたいくつかの「芸
術家もの」に関して言うならば、語り手側の人生が
一つの物語であるし、語られている友人の人生が二
つ目の物語である。どちら側の人生も芸術の星のも
とに翻弄され、悲劇とも喜劇とも、そして敗北とも
勝利ともとれる人生を送る。ジェイムズは二つの物
語を一つの物語で描いたにしても、これら芸術家も
のはあくまでも語り手の視点、語り手の人生からの
み描かれている点で、やはり一つの絵巻であり、一
枚の絵画なのである。二枚の絵画と思われたもの
は、一枚はリアリスティックで物理的なもの、もう
一枚はロマンティックで精神的なものであり、後者
のみがロマンティックな想像の中の一幅の絵画であ
る。前者の物理的なもの、真実のものをも一幅の絵
と誤解させてしまうのがジェイムズの手法ではない
か。
(中略) 短編小説は、『逸話』と『絵』の何れか
を選ばねばならないし、厳密にその種類に従う
時にのみその役割を果たすことができる。私は
逸話も好きだが、絵には小躍りするくらいに嬉
しい。もっとも、疑いもなく、与えられた試み
がその境界線近くに位置することを承知しなけ
ればならない時もあるが。(中略) にもかか
わらず、そこでは大体に絵の要素が巧みに支配
していることが分かる。絵にはあの豊かに要約
された、そして遠近法による効果を狙いながら
 - 無機質な薄っぺらな拡大から反対の極に
あって - (中略)​37
 短編小説は、逸話と絵画のどちらかであらねばな
らない。いや、一方が主旋律となり、他方が伴奏と
なってもいいだろう。また、逸話と絵の境界線 -
その境界線は決して見えてはいけないのだが- に
ドラマがあってもいいだろう。いずれにせよ、一枚
の絵が短編小説全体の雰囲気を支配することにな
る。ジェイムズの描く一枚の絵は、限りあるカン
ヴァスの木枠の中に、その限りなく凝縮されたロマ
ンティックなものをおさめ、二次元でありながら、
その人物の背中を取り巻く空気までをも表現する。
カンヴァスの周囲は真の現実世界であり、それは物
理的にほとんど無限大であり、あくまでもロマン
ティックな絵画の世界と比べて、無機質な薄っぺら
いものとする。以下に述べるものは、前者がリアリ
スティックなもの、後者がロマンティックなもので
あり、リアリスティックな世界では決して描かれる
ことの無かった一枚の絵画の世界である。語り手の
記憶の中で、前者が逸話であり、後者が絵であると
され、その両者がお互いに存在していて、常に互い
に置き換えられるのであれば、ジェイムズはうまく
読者の目からその境界線を隠したと言えよう。
 “​The Real Thing​”では、モナーク夫人の型には
まったいつも同じ貴婦人と、また主人公としては永
遠に描かれることのなかったモナーク夫人のあの美
しい表情が、交互に画家の記憶の中でよみがえる。​”
The Madonna of The Future”​では、セオボールドの
何も描かれなかった真っ白な画布と、セオボールド
の想像の中での完璧なまでの美しいマドンナが、​”
The Next Time”​では、その芸術性の崇高さゆえに世
俗に受け入れられず駄作とされるであろう未完の大
作と、完成された傑作が、語り手の記憶の中で交互
14 
 
によみがえる。これが、ジェイムズ特有の絵画的手
法であり、リアリスティックなものと対比され、よ
りいっそうロマンティックな効果を高める。
Ⅷ 逆転のアイロニー
 ジェイムズ特有のアイロニーが、「芸術家もの」
に、悲喜劇性をもたらすことによって、ドラマの芸
術性を高めたのであろうか。
その結果は、彼らの意識も生活もすべてが空し
くずたずたに引き裂かれ、滅茶苦茶に破壊され
てしまうのだが、おまけにその真珠は極めて巧
みに造られた「イミテーション」にすぎなかっ
たことが分かり、結局、彼らの人生は何のため
に破壊されたのかということになる。(中略)
そのような恐ろしい過ちの根拠を変えるのであ
る。つまり、高価なほんものと考えられたが実
はにせものであったというのではなく、にせも
ので安物にすぎないと考えられていたがそれは
ほんものであったとするのである。​38
 上記は序文集の中の『模造真珠』についての記述
であるが、この考察で取り上げる「芸術家もの」に
も当てはまる。”​The Real Thing​”では、ほんものの
貴婦人であるモナーク夫人を使ってほんものの貴婦
人の挿絵を描こうとした画家の意図が外れ、モナー
ク夫人はいつも同じ貴婦人であり、想像力を働かせ
て描くことが出来ない。反対に、にせものの貴婦人
である町娘のミス・チャームはモデルとしての才能
があり、金色の眼をしたロシアの王女様にもなれた
のだ、なんとも皮肉な運命である、というのがこの
物語のモチーフではあるが、結末ではない。画家が
なんとかして、モデルとしてはにせもので役立たず
であり、画家の制作意欲を削ぐモナーク夫妻をアト
リエから追い出そうとしたのだが、実は追い出した
のは自分自身の姿の投影であった。また、モナーク
夫妻を追い出したことが画家の負い目となり、生涯
消えない心の傷となったのである。そのような状態
になるのであれば、何故、もっと人間的な対応がで
きなかったのだろう、もっと芸術家としての観察眼
があれば、あのような残虐な扱いをすることはな
かっただろうと思う。一度失った大切なものはもう
返ってこない。自身をとりつくろおうとした結果
が、自己と他者の崩壊につながったのである。後悔
したときにはもう遅いのだ。過ちの根拠の逆転であ
る。この逆転のアイロニーが、このドラマの悲喜劇
の要素であり、ロマンティックなものを高める効果
につながる。
結論
 これまでみてきたように、ジェイムズは、「芸術
家もの」の中に一枚の凝縮した絵画のイメージを導
入し、その場面はドラマのクライマックスとなり、
匿名の語り手”I”により、対照的なリアリスティック
な場面とロマンティックな場面が読者の脳裏に交差
するように語られている。その語り手”I”の信頼性は
ほとんどなく、若き日の語り手”I”の極限の状態を回
避するための自己正当化のドラマとなっている。語
り手”I”の自己正当化は、人間として芸術家としての
成長にとって、当然受け入れなければならない行為
であり、弱さからの行為でありながら、欠くことの
できない行為である。私は、自己正当化の罪の意識
を心に秘めたまま生き続けることを肯定的にとらえ
る。なぜなら、負い目を自己正当化するという行為
は、たとえ匿名を使用して他人に嘘の記憶を語って
みせたとしても、やはり負い目を大きくするばかり
であり、その大きさに耐えられるのは強い人間に成
長した証拠であるからである。また他人を痛みを自
分のことのように考えられる優しい人間に成長した
とも言えよう。ジェイムズが、その「芸術家もの」
の中で、一幅の絵画イメージを導入したように、ロ
マンティックなものがカンヴァスの中に納まる絵画
の狭い世界であり、それは想像力を伴った芸術美で
あり、ジェイムズの追求する絵画的手法である。対
して、リアリステックな世界はそのカンヴァスの外
側の広い世界であり、それは現実社会である。ロマ
ンティックなものは物理的に狭い世界にも関わら
ず、芸術家の共通に合わせもつ様々な苦悩により奥
15 
 
深いものとなる。そのひとまとまりの主題は、ロマ
ン派の詩的記憶の中に一瞬にして封じ込められる。
匿名の語り手”I”を持ち出すことにより語り手の信頼
性を低め、読者を誤った方向に導き、ドラマをロマ
ンスの深い暗黒の深淵に直面させる。逸話と絵画の
どちらともつかないように、その境界線ぎりぎりの
ところにドラマを創る。以上が、ジェイムズの「芸
術家もの」に共通するロマンティックなものであ
り、想像力を伴った崇高な芸術美である。それはリ
アリスティックな現実よりも、より深い経験の世界
であり、芸術家特有の思考回路故、その経験ができ
るのは多くの場合芸術家である。
註
1. ヘンリー・ジェイムズ著、多田 敏男訳、『ヘン
リー・ジェイムズ「ニューヨーク版」序文集』、大
阪、関西大学出版、1990  再版した全ての作品の
序文はないが、代表的な序文の和訳が掲載されてい
る。
2. ​Ibid​., p. 259
3. 渡辺久義、『ヘンリー・ジェイムズの言語』、
東京、北星堂、1978 p. 90  渡辺氏により、
ジェイムズが言語芸術家と呼ばれている根拠がある
と述べられている。
4.  Chase, Richard, ​The American Novel and Its
Tradition​, New York: Johns Hopkins UP, 1957
 p. 69  Lubbockが”panorama”について説明して
いると、Chaseが述べている。
5.   Matthiessen, F.O. and Murdock B, Kenneth,
ed., James,Henry; ​The Notebooks of Henry James​,
New York: Oxford UP, 1961.これを、一般にジェイ
ムズの「創作ノート」と呼ぶ。
6. 例えば、“The Madonna of The Future”はバル
ザックの『知られざる傑作(1845)』を種にしてい
るということは、その作中に明らかである。
7. George du Maurier(1838-1896).イギリスの
諷刺週刊誌、Punchの最も著名な諷刺画家であり、
自伝的小説の著者でもあった。ホイッスラー、ドガ
の相弟子であった。
8. ​Ibid​., p. 102
9. ​Ibid​., p. 103
10.​Ibid​., p.125
11. ​Ibid​., p. 212
12. 大橋健三郎、総説 アメリカ文学史、 p.46
13. フリードリヒ・シュレーゲルの説明。
14.バルザック著、水野亮訳、『知られざる傑作』
 p.l50
15. ヘンリー・ジェイムズ著、序文集 p. 31
16. ​Ibid​., p. 84
17. ​Ibid​., p.85
18. 渡辺久義は、当時の芸術至上主義を、「人生な
ど下僕共にまかせておけ」、「甘えを根本原理とす
る貴族主義的反俗」と表現している。また、芸術至
上主義の立場をとる、Wild, Oscar(1854-1900)は、
「芸術が人生を模倣するよりもはるかに多く人生は
芸術を模倣する。その結果、これの必然的帰結とし
て、外界の自然もまた芸術を模倣することにな
る。」とし、「まず芸術ありき」であるとした。自
然の霧ですらも、その神秘的美しさは、詩人や画家
が教えてくれたものであるとする激しい自然嫌悪を
示した。ジェイムズの「まず実人生ありき」の考え
とは対極を成す。
19. ​渡辺久義、『ヘンリー・ジェイムズの言語』、
pp. 103-106. ジェイムズとH.G.ウェルズとの間の芸
術と人生との関係についての対立について説明して
いるが、その争点が曖昧なまま、終わっている。
20. ヘンリー・ジェイムズ著、序文集 p. 33
21.  Matthiessen, F. O., ed. James, Henry;
Stories of Writers and Artists,​New York; 1944.
 ​p.190
22.​ibid. ​, pp. 186-187
23. ​Ibid​., p.190
24.  Tanner, Tony, ed., James, Henry, ​Hawthorne​,
New York: Macmillan & Co. Ltd., 1967
祖国アメリカには君主も、宮廷も、貴族も、城も、
廃墟もない、とヨーロッパ諸国に比べて芸術におい
て不利であるとしている。
25. James, Henry;​Stories of Writers and Artists 
16 
 
p. 21
26. 谷川渥、『芸術をめぐる言葉』第3刷、東京、
美術出版社、2003 p.26.
27. 坂崎乙郎、『ロマン派芸術の世界』第2刷、東
京、講談社、1977. pp.59-60
28.  James, Henry;​Stories of Writers and Artists
 ​pp. 178-179
29. ​Ibid​., p.191
30.  出口保夫、『ワーズワス 田園への招待』、
東京、講談社、2001. p.154
31. ​Ibid​., p. 154.
32. ​Ibid​., p.155. 出口氏は、重要なのは、「最終行に
ある過去の凍結部である」とした。
33. 山内久明他、『ヨーロッパ・ロマン主義を読み
直す』、東京、岩波、1997. p.102
34. ヘンリー・ジェイムズ著、序文集 p. 349
35.​Ibid.,​p. 32
36. ​Ibid.,​pp. 89-90
37. ​Ibid.,​ p.150
38. ​Ibid.,​ p.260
参考文献
第一次資料
Matthiessen, F. O., ed. James, Henry;​Stories of
Writers and Artists,​New York; 1944.
ヘンリー・ジェイムズ著、多田 敏男訳、『ヘン
リー・ジェイムズ「ニューヨーク版」序文集』、大
阪、関西大学出版、1990
第二次資料
Chase, Richard, ​The American Novel and Its
Tradition​, New York: Johns Hopkins UP, 1957
Gale L, Robert, ​A Henry James Encyclopedia​,
New York: Greenwood Press. 1989
Kirschke, J, James, ​Henry James and
Impressionism​, New York: Whitston, 1981
Matthiessen, F.O., American Renaissance​, New
York: Oxford UP, 1968
Matthiessen, F.O. and Murdock B, Kenneth, ed.,
James,Henry; ​The Notebooks of Henry James​,
New York: Oxford UP, 1961.
Tanner, Tony, ed., James, Henry, ​Hawthorne​, New
York: Macmillan & Co. Ltd., 1967
秋山正幸、『ヘンリー・ジェイムズ作品研究』、東
京、南雲堂、1981
芦原和子、『ヘンリー・ジェイムズ素描』、東京、
北星堂、1995
F.O. マシーセン著、青木次生訳、『ヘンリー・ジェ
イムズ-円熟期の研究』、東京、研究社、1972
エデル他著、行方昭夫編訳、『ヘンリー・ジェイム
ズの世界 – ジェイムズ評論集- 』4版、東京、北星
堂、1970
坂崎乙郎、『ロマン派芸術の世界』第2刷、東京、
講談社、1977.
早瀬博範編、『アメリカ文学と絵画』、東京、渓水
社、2000
バルザック著、水野亮訳、『知られざる傑作』 第
80刷、東京、岩波書店、2004
フリードリヒ・シュレーゲル著、山本定祐訳、『ロ
マン派文学論』、東京、冨山房、1978
ヘンリー・ジェイムズ著、青木次生編、『ヘン
リー・ジェイムズ作品集8 評論随筆』、東京、国
書刊行会、1984
ヘンリー・ジェイムズ著、川西進訳、『ヘンリー・
ジェイムズ短編選集 第二巻 芸術と芸術家』、東
京、音羽書房、1969
ヘンリー・ジェイムズ著、舟阪洋子他訳、『自伝 あ
る少年の思い出』、京都、臨川書店。1994
谷川渥、『芸術をめぐる言葉』第3刷、東京、美術
出版社、2003
出口保夫、『ワーズワス 田園への招待』、東京、
講談社、2001
柳町敬直編、『西洋美術館』、小学館、東京、1999
年
山内久明他、『ヨーロッパ・ロマン主義を読み直
す』、東京、岩波、1997.
渡辺久義、『ヘンリー・ジェイムズの言語』、東
京、北星堂、1978
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