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ポスト構造䞻矩を超えお


              統䞀思想研究院    倧谷明史

䞉ゞャック・デリダ


デリダの思想
①゚クリチュヌルずパルマコン
プラトンの『パむドロス』(Phaedrus)には文字の発明の物語がある。そこには、曞かれた
蚀葉に関する、゜クラテスずパむドロスの次のような察話がある(1)。


 ゜クラテスの蚀葉―䞀「蚀葉ずいうものは、ひずたび曞きものにされるず転々ずめぐ
 り巡り歩く」―䞀に察しおパむドロスは、
                   「あなたの蚀われるのは、ものを知っおいる
 人が語る、生呜をもち、魂をもった蚀葉のこずですね。曞かれた蚀葉は、これの圱で
 あるず蚀っおしかるべきなのでしょうか」ず問いかけ、゜クラテスは「たさしくその
 ずおりだ」ず答える。ロゎスは、その背埌に息子のために匁じ責任を取っおくれる父
 がいるから「正嫡子」ず呌ばれる。父がいなくなれば、蚀葉はあやしげなミュトス
 (mythos)や「魂をもたない」蚘号になり、
                       「転々ずめぐり歩く」私生児になる、ずいう
 のである。


 「文字の発明」は䟿利であるが、それによっお蚀葉が生呜を倱ったりする、぀たり文字
は薬にもなるが毒にもなるずいう二重性をも぀ずいう。プラトンはこの二重性に察し、
                                      「私
生児」を排陀し぀぀、正しい「皮」
               芪子関係、血筋だけを残そうずしたのである。
 このプラトンの『パむドロス』からヒントを埗お、デリダは、話された蚀葉を意味する
パロヌルparoleず、曞くこず、曞く行為、たた曞かれたものを意味する゚クリチュヌ
ル(écriture)を察比しお論じおいる。パロヌルは真正の蚀葉ロゎスであるのに察しお、
゚クリチュヌルは頜萜した蚀葉ロゎスであるずいう。すなわち「パロヌルは魂、内面
性、蚘憶、生、珟前、真理、本質、善、たじめ、父法ずの正垞な関係に察応し、゚ク
リチュヌルは物質、倖面性、想起、死、䞍圚、虚停、芋かけ、悪、ふたじめ、父法か
                
らの逞脱私生児性に察応する」 ずいうのである。぀たり「パロヌルにはそのテロ
ス、目的論的な本質があり、真理、知識、生呜に満たされた、充実したパロヌルがその理
想ずなっおいるのである」
           。
 デリダは、以䞊のような゚クリチュヌル論を提起した。゚クリチュヌルずは、パルマコ
ン(pharmakon)、぀たり治療薬でもあれば毒薬でもあり、治療薬に芋えながらじ぀は毒薬
なのだずいうこず、これがデリダの゚クリチュヌル論の本質である。


                     1
デリダによれば、至高の䞻䜓である神は曞く必芁がない。神は自己自身のうちで絶察的
に充実しおおり、他者ずの関係を必芁ずしない。王は曞くこずなく語る䞻䜓であっお、自
分の声をただ曞きずらせるだけである。゜クラテスも䜕ひず぀曞かず、ただプラトンにそ
の声を曞きずらせただけであった。
 しかるに蚀葉は曞かれるこずによっお、その真理性を倱うずいう。デリダによれば、
                                      「゚
クリチュヌルこそ、哲孊者を倖郚に連れ出す劙薬パルマコンであり、圌を本来の軌道
                    
から逞脱させる毒薬パルマコンなのだ」 。
 デリダは蚀う。
       「曞くこず゚クリチュヌルはその぀ど、消倱、埌退、抹消、巻䞊げ、
消耗のようなものずしおあらわれおくる」(5)。デリダの狙いは、「曞くこず」「曞かれた
                                     、
もの」
  、぀たり「゚クリチュヌル」をすべお粉砕するこずであった。぀たり、すべおの「゚
クリチュヌル」、すべおの「テキスト」には、ある狙い――独特の圢而䞊孊的な前提――
が隠れおいるこずを蚌明し、粉砕しようずしたのである
                           。かくしおデリダは、曞かれ
た思想の真理性をこずごずく砎壊しようずした。たさに「パルマコンの毒を䞖界䞭にばら
たくデリダ」ず蚀われるゆえんである。


 ②脱構築
 脱構築ずは、読み手の偎から、曞かれたものにたいしお、曞き手の意図から離れお、新
たな意味を構築するこずを蚀う。


 『オックスフォヌド英語蟞兞』1989 幎版によれば、脱構築ずは、
i ある事物の構築を解䜓する行為。
ii 哲孊的および文孊的蚀語の問われないたたになっおいる圢而䞊孊的前提や内的矛
   盟を暎露するこずに向けられおいる。


 むギリス、サンダヌランド倧孊教授のスチュアヌト・シム(Stuart Sim)によれば、脱構
築の基本的前提ずなっおいるのは次の䞉぀である(7)。
i蚀語は、意味の䞍安定さず確定䞍胜性を深い刻印ずしお抱えおいる。
iiそのような䞍安定さず確定䞍胜性がある以䞊、いかなる分析方法哲孊もしくは批
評なども、テキストの分析に関しお暩嚁を䞻匵できない。
iiiそれゆえ、解釈は自由な広がりをも぀行為ずなり、䞀般的に了解されおいる分析
ずいう䜜業よりも、ゲヌムに近い行為になる。


 デリダの思想を玹介しおいる本の䞭で説明されおいる、脱構築の性栌を列挙すれば、次
のようになる。


a. ずらし、倉圢するもの


                      2
「それは、蚀語的、抂念的、心理孊的、テクスト的、矎孊的、歎史的、倫理的、瀟䌚的、
政治的、そしお、宗教的颚景を激しく揺さぶり、ずらし、倉圢しおしたおうずするものな
  
のだ」 。
b.   寄生するもの
「脱構築にはどこか本質的に寄生的なずころがある。デリダがこう述べおいるように、
                                      “脱
                    
構築ずは぀ねに寄生に぀いおの蚀説である”」 。
c. 分裂、亀裂を生むもの
「䞀芋したずころ明癜に単玔な蚀明であったずしおも、分裂ないし亀裂を免れられない。
                                   
  “原子分割䞍可胜なものなど存圚しない。
                      ”すべおは分割可胜である」   。
d. 決定䞍可胜性を導入するもの
「脱構築は、  ロゎスの法のなかに決定䞍可胜性を再導入するこずによっお、決定䞍可
                            
胜なものの経隓のなかで別の決定がなされるこずを芁求する」   。
e. あらゆる芏範を疑問に付すもの
     「道埳や政治家から受け継いだあらゆる芏範コヌドを疑問に付す、それが脱構築
   
である」   。
f. 物事をあいたいにするもの
     「無駄な蚀葉を饒舌に語りながら、物事をあいたいにする。それにもっずも適しおい
                                       
るのが、脱構築の理論である」
             ――ピヌタヌ・レノン, Peter Lennon   。
g. 本質を吊定するもの
 「脱‐構築は  本䜓を珟前せしめたいく぀かの力の由来をあらわにするこずによっお、
                                
その力の党面的な効力を倱効させるずいう仕方で遂行されるのである」   。


  脱構築は、このように砎壊的、吊定的なものである。ずころが䞀方で脱構築にたいしお、
次のような匁解的な肯定的な䞻匵もなされおいる。


a. 新たな「決定」の思想である
     「脱構築はある意味で、新たな‘決定’の思想であるずいえる。それは決定䞍可胜性
の思想であるず同時に、決定の思想でもあり、同時に決定䞍可胜性の思想でもあるこずこ
                               
そ、脱構築をしお新たな決定の思想たらしめおいるずいえるだろう」    。
b. 脱構築は正矩である
「もしも正矩それ自䜓ずいうようなものが、法の倖あるいは法のかなたに存圚するずした
ら、それを脱構築するこずはできない。同様にたた、もしも脱構築それ自䜓ずいうような
ものが存圚するずしたら、それを脱構築するこずはできない。脱構築は正矩なのである」

     。
. 脱構築は愛である
「脱構築は、ず圌は瀺唆する、
             ‘愛なしには決しお始たらない。’あるいは、より簡朔な蚀


                       3
い方をするなら、‘脱構築は愛である’
                  」  。
. 脱構築は肯定的である
「ハむデガヌの‘砎壊’
          ‘解䜓’
             、あるいは‘圢而䞊孊の克服’が単なる吊定や批刀ではな
                          
かったように、デリダの脱構築も吊定的なものではない」    。


③ 差異ズレ
  デリダによれば、これたでの哲孊は誀っおいる。氞遠の真理などずいうものはない。
 蚀語のうちに芋出されるのは、「ズレ」や「差異」のシステムだけである。むギリスの
 哲孊者、ポヌル・ストラザヌン(Paul Strathern)によれば


 「事物の本質」に含たれおいる氞遠の真理などずいうものを求めおきたのは間違いだ。
 そのような代物ではなく、自らが䜿う蚀語にこそ、目を向けねばならない。ではデリダ
 の考えでは、蚀語ずはどのようなものなのだろうか。蚀語は察象ずの本質的な関係など
 持ち合わせおいない。自分自身によっお瀺される抂念ずも本質的な関係を持ち合わせお
 いない。蚀葉の意味はそのような関係から出おくるのではない。蚀語のうちに芋出され
 るのは、「ズレ」や「差異」のシステムだけである。蚀葉の意味はこの「差異」から生
            
 たれおくるにすぎない」   。


 デリダはさらに、差異だけが存圚するのであっお、
                       「自分自身であり続ける」ような「肯
定的な蚀葉」などありえないずいう。蚀語は぀ねに途方もない流動性のなかにあるずいう
のである。
 デリダの芋解によれば、意思の疎通には必ずズレが぀いお回るものであり、蚀葉の意味
は、最初の意味から絶えず倉化しおゆき、意味が完党にわかったずいう感芚は぀ねに先送
                                     
りされおいくもので、絶え間なく倉化しおゆくプロセスだずみるべきなのである。


 ④ 差延
 デリダは、意味は぀ねに「違うものになる」こずを説明するのに、
                              「差延」
                                 différance)
ずいう名詞を持ち出した。差延ずは、「異なる」ずいう意味だけでなく、時間的に「遅ら
せる、遅延させる」ずいう䞡方の意味を含む名詞ずしおデリダが新たに䜜ったものである。
 そしお「差延が指し瀺しおいるのは、‘原子など存圚しない’ずいう事実である。差延
は、ある察象の名前ではない、珟前するこずが可胜であるような、䜕がしかの存圚者の名
                           
前ではない。そしお、そうであるからには、抂念でもない」     のである。さらに、「差
                                     
延の担い手゚ヌゞェント、著者、そしお䞻人であるような䞻䜓は存圚しない」     ず
いうのである。぀たり差延を導く䞻䜓はなく、差延は戯れおいるずいうのである。
 東京倧孊の哲孊教授、高橋哲哉によれば、「芁するに差延ずは、空間的差異であれ、時
間的差異であれ、蚀語的差異であれ、非蚀語的差異であれ、空間/時間の差異であれ、蚀


                        4
語/非蚀語の差異であれ、ずもあれ差異を生み出し぀づける運動なのだ。  差異の戯れ
            、、、、、、、、、、、、、、、、     、、、
ずは、もろもろの差異が抹消䞍可胜か぀決定䞍可胜な仕方で、぀ぎ぀ぎに生たれ぀づける
運動である」結局、意味は぀ねに「違うものになり」「先送りされる」のである。
      。                     、


â‘€   散皮
    デリダは蚀葉の意味が絶えず倚様化しおいくこずを瀺すために、 散皮」
                                 「
disséminationずいう名詞を持ち出した。散皮は「意味を撒き散らす」ずいう意味で
ある。デリダが瀺そうずしたのは、蚀葉はその正統的な由来ず思われるものから離れお思
わぬ方向に倚様に延びおゆく力があるのを芋おずるこずであった。぀たり散皮ずは、哲孊
ず呌ばれるものを䞍断に眮き換えおゆくこずにほかならない。それが「哲孊の脱構築」で
あったのである。


⑥ 代補
 「代補」(supplément)ずは、䜕かに察しおそれをさらに豊かにするために付け加えられ
るものであり、か぀、同時に単なる「超過分」ずしお付加されるものでもある。デリダに
よれば、代補は䞊倖れた感染力を持぀りむルスのようなものである。デリダは蚀う。「り
                                    
むルスこそ私の著䜜の唯䞀の察象であったのだず蚀っおもいいのかもしれない」    。
    デリダにずっおは、代補の論理以前には䜕もなく、「代補から起源ぞず遡ろうず願っお
も、起源に芋出すのは代補なのである」()。結局、「初めに代補があった」のである。
぀たり蚀葉の䞭には、初めから、りむルスが宿っおいたずいうこずである。


⑩ 圢而䞊孊の吊定
 圢而䞊孊は䞀般に、超感芚的な䞖界を真なる実圚ず考え、これを玔粋な思考によっお認
識しようずする孊問であり、神の存圚、神の蚀葉ロゎス、目的論などをその特城ずし
おいる。
 圢而䞊孊に察しお戊いを挑んだのがノィトゲンシュタむンずデリダであった。二人ずも、
解決のための鍵は蚀語にあるず考えた。けれども、その方法は異なっおいた。ポヌル・ス
トラザヌンは次のように語っおいる。


    デリダは‘哲孊の問題’を解決する際、蚀語を内郚から砎裂させるずいう単玔な手段
    を甚いた。蚀語の意味を爆発させ、無数の断片に匕き裂こうずした。  他方、ノィ
    トゲンシュタむンによれば、  蚀語の䜿甚の誀りから、哲孊ずいうものが生じる。
    も぀れた糞を解きほぐせば、誀りは消え去るはずである。哲孊の問いには答えがない
    だけではない。そもそも、問われおはならないものなのである。  いわばノィトゲ
    ンシュタむンはシルクハットのなかのりサギを消したのに察し、デリダは無数のりサ
    ギを぀くり出したのである()。


                        5
デリダが目指しおいたのは、哲孊圢而䞊孊に疑問を突き぀け、哲孊を尋問するこず
であったのであった。デリダにずっおの「哲孊」ずは、通垞の意味での哲孊ではない。哲
孊に疑念を突き぀けるこずこそ、デリダのいう「哲孊」であった。


⑧ 絶察的真理の吊定
 䞖玀、スコットランドの哲孊者ディノィッド・ヒュヌムが、すべおの知識は経隓、
぀たり知芚に基づくず蚎えた。知識は経隓に由来するずいう経隓論を培底的に突き詰めお
いけば、人間の客芳的な知識は厩れ萜ちおしたう。したがっおヒュヌムによれば、絶察的
な真理はあり埗ず、知識は盞察的なものにならざるを埗ないのであった。
幎、オヌストリアの数孊者クルト・ゲヌデルが、数理論理孊の手法を甚いお、䞍
完党性定理を打ち立お、数孊が決しお確実なものであり埗ないこずを蚌明した。それにた
いしお、デリダは‘論理のプロセス党䜓’を無効なものにしお、哲孊が確実なものでない
こずを瀺そうずしたのであった。


⑹ 他者
    高橋哲哉は、
         「脱構築はい぀も、蚀語の〈他者〉に深くかかわっおいる。ロゎス䞭心䞻
矩の批刀ずは、䜕よりもたず〈他者〉の探求であり、〈蚀語の他者〉の探求なのだ」 ()
ず蚀う。そしお「他者の呌びかけぞの応答ずしおのみ脱構築ははじたる」()ず蚀う。で
は、他者ずは䜕であろうか。
 サセックス倧孊の英語教授、ニコラス・ロむル(Nicholas Royle)は「デリダは぀ねに蚀
語に先立぀ものや、蚀語を超え出るものに関心を持っおきた。しばしば圌はそれを‘力’
ず呌んでいる」()ず蚀う。デリダによれば、「力ずは、それなしでは蚀語がそれである
ずころのものではありえなくなるような、そのような蚀語の他者なのである」()。぀た
り蚀語に先立぀「力」が、蚀語の他者であるずいう。それは蚀語を背埌から動かしおいる
䜕ものかである。
 そしお未来においお来るべき「党き他者」に぀いお、デリダは「神や人間、あるいはそ
のような星座におけるどの圢象䞻䜓、意識、無意識、自我、人間男ないし女、その
他諞々ずも、もはや混同されるこずのできない党き他者」()であるず蚀う。それはた
さに「正䜓のなき者」である。


⑩   マルクス䞻矩の圱響
 デリダは、原゚クリチュヌルの「原暎力」、たたは「根源的暎力」に蚀及し、蚀葉は暎
力であるずいう。これは「始めに蚀葉があった。蚀葉は暎力であった」ずいうこずである
 デリダは蚀う。「蚀説が根源的に暎力的なら、蚀説はみずからに暎力を加えるほかはな
く、自己を吊定するこずによっお自己を確立するほかはない」。それは「暎力に察抗する


                      6
暎力」である。蚀語における戊いずは、高橋哲哉が蚀うように、「圢而䞊孊的蚀説ず脱構
築的蚀説ずの戊い」ず考えられる()。デリダはさらに「蚀語はみずからのうちに戊いを
認め、これを実行するこずによっお際限なく正矩のほうぞむかっおいくほかはない」()
ず蚀う。これはたさに、蚀ず蚀の闘争によっお発展するずいう蚀語的な唯物匁蚌法である。
     では、蚀語の暎力ず蚀語をもっお闘えずいう呜什は、そもそもどこから来るのか、ずさ
らに問いを進めおいる。暎力ず闘え、暎力に抵抗せよずいう呜什は、そもそもどこから来
るのか デリダによれば、「党き他者」の䟵入から来るのである。
     蚀語には、倖からあるいは埌から偶然的な補足物ずしお本䜓に付加されるものが、
本䜓の内奥に䟵入し、そこに棲み぀き、それに取っお代わっおしたうずいう運動があるず
いう。これは事物正の䞭には、事物を吊定するもの反が生じお、その正ず反の察
立、闘争によっお事物は発展するずいう、唯物匁蚌法ず発想が同じである。
     デリダはマルクス䞻矩の誀りを指摘しながらも、「新しい文化、資本の、マルクスの著
曞ず資本䞀般の䞡方に぀いお別の読み方ず分析の仕方を発明するような文化の必芁性」(
)
     を蚎えおいる。そしお、マルクスの粟神を生かし぀づけるこずに意味があるずしお、
                                          「新
しいむンタヌナショナル」を創蚭しようず呌びかけた。実際、圌の著曞、『マルクスの亡
霊』は「新しいむンタヌナショナル」ぞの新たな呌びかけであった。デリダは、たさにポ
スト構造䞻矩のマルクス䞻矩者なのである。


⑪ ダヌりィニズムの圱響
     ダヌりィニズムによれば、生物の皮は固定されたものでなく、絶えず突然倉異によっお
倉化しおいるずいう。デリダは、それず同様に、蚀葉はたえず倉化しおいるずいう。
     デリダによれば、差異だけが存圚するのであっお、「自分自身であり続ける」ずいう性
質を持぀「肯定的な蚀葉」などたったくないずいうのである。蚀語は぀ねに途方もない流
動性のなかにあるずいうこずに他ならないのである。
     キリスト教の創造論によれば、神が生き物を皮類にしたがっお創造なさったのであり、
生物の皮は䞍倉なものである。ずころが、ダヌりィニズムによれば、固定された皮、氞遠
なる皮などはあり埗ない。デリダは、それず同様に、蚀葉にも同䞀性アむデンティティ
はないず䞻匵するのである。
     デリダにずっお、
            「アむデンティティの䞍調」なしのアむデンティティなど存圚しない。
デリダの関心は「あるひず぀のアむデンティティが䞎えられたり、受け取られたり、ある
いは到達されたりするこずなど決しおない。ただ、同䞀化の幻想の終わりなき、そしお際
限なきプロセスが持続するだけなのである」()。「アむデンティファむ同䞀化する
こずは぀ねに、付け加えるこず、぀くろうこず、成り代わるこずの論理を䌎っおいる」の
であり、        いただ発明されるべきものなのだ」 ().人間は未だ進
   「私たちは぀ねに                 。
化の途䞊にあるずいうダヌりィニズムの䞻匵ず同じである。




                       7
⑫ フロむト䞻矩の圱響
 ニコラス・ロむルによれば、「デリダの論の運びは、フロむトの゚クリチュヌルに察す
る深い賞賛ず重芁性に察する敬意によっお突き動かされおいる」()のであり、『トヌテ
                                     「
ムずタブヌ』からのあの䞀節は  デリダの‘ために’特別に曞かれおいた、あたかも圌
がやっおくるのを埅っおいお、圌がそれを指摘するこずを埅っおいたかのような、そんな
興味深い、あるいはぞっずするような感芚を、぀かのた私たちに抱かせるような、そうい
う契機のひず぀である」()のである。぀たり、自己の思想圢成においお、デリダはフロ
むトを匷く意識しおいたのであった。


⑬ 愛ず性、そしお死
 デリダは、「愛なしには決しおはじたらない」のであり、「脱構築は愛である」ず蚀う。
それに぀いお、ニコラス・ロむルは、デリダにずっおの愛はドラッグであり、「デリダの
テキストが瀺唆するのは、魔に取り憑かれた心の論理、魔に取り憑かれた愛の、‘魔を愛
する者’の仕事䜜品の論理である」ず蚀う()。
 デリダは、死は愛の条件であるずいう。
                  「私たちは、ただ、死すべき者だけを愛するし、
私たちが愛する者の可死性死すべき定めは、愛にずっお偶然的で倖圚的な䜕かなので
はなく、むしろ、その条件なのだ」()。デリダはたた、「愛は、死が私たちを分か぀た
で存圚する」ず蚀い、さらにデカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」に察抗しお「私は
喪に服する、それ故に私は存圚する」ず蚀う()。死のゆえに愛があり、死のゆえにわれ
われの存圚があるずいうのである。


⑭ メシアニズム
デリダは来るべきものずしお「宗教なきメシア䞻矩」を掲げる。それは「身分も、称号
も  党も、囜も、民族的共同䜓も、共通の垂民暩も、ひず぀の階玚ぞの共通の垰属も、
           「あらたなむンタヌナショナル」である()。
なしの」結び぀きであり、
 「宗教なきメシア䞻矩」ずは、「砂挠のメシアニズム」ずか「絶望のメシアニズム」ず
も蚀われる。到来する他者が固定され、芏定され、珟前する存圚者ずなるこずはけっしお
ないこず、それは぀ねに「来たるべきもの未来」であり、「玄束」であり぀づけるこず
を意味しおいるからである。


2デリダぞの批刀ず統䞀思想の芋解
①゚クリチュヌルずパルマコン
 デリダによれば、話された蚀葉であるパロヌルは真正の蚀葉ロゎス、正嫡子である
のに察しお、曞かれた蚀葉である゚クリチュヌルは頜萜した蚀葉ロゎス、私生児であ
るずいう。
 確かに、話された蚀葉が䞀次的であり、曞かれた蚀葉が二次的である。しかし前者が真


                     8
正の蚀葉、埌者が頜萜した蚀葉ずいうのは誀りである。䞀般的に、話された蚀葉は曖昧で
ある堎合が倚く、曞かれた蚀葉はそれを論理的に敎理したものであり、明瞭になっおいる
のである。たた話された蚀葉は、曞かれなければ、消え去っおいくしかないのである。


②脱構築
 脱構築ずは、読み手の偎から、曞かれたものにたいしお、曞き手の意図から離れお、新
たな意味を構築するこずをいうずいうが、曞かれたものがどんどん倉化し、倚様化しおい
くわけではない。デリダは、脱構築によっお、あたかも曞かれたものがどんどん倉質しお
いくかのように語っおいるが、曞かれたものは䞍倉であり、著者の意図も䞍倉である。読
む人の解釈に倚様性があるずいうこずにすぎないのである。
 脱構築はたた、ずらし、倉圢し、かき乱し、曖昧にするものであるずいうが、䞀方で脱
構築は、愛であり、正矩であり、肯定的なものであるずいう。ずらし、倉圢し、かき乱し、
曖昧にするずいう脱構築が、いかにしお愛であり、正矩であり、肯定的なものになりうる
のであろうか。
 これはマルクス䞻矩の唯物匁蚌法が「察立物の統䞀ず闘争によっお発展する」ず䞻匵し
た論理ず同様なものである。唯物匁蚌法の本質は「闘争によっお発展する」ずいうこずで
あるが、闘争だけを蚀えば、人々に䞍安を䞎える恐れがあるので、あえお統䞀ずか、平和
を前面に持っおきたのである。それず同様に、脱構築は砎壊の思想であるず蚀えば、人々
から受け入れられにくいので、脱構築は愛であり、正矩であり、肯定的であるなどず匁解
しおいるのである。しかし本質は、やはり砎壊の思想である。マルクス䞻矩は資本䞻矩瀟
䌚を砎壊する思想であったが、デリダの脱構築は䌝統的な哲孊圢而䞊孊を砎壊しよう
ずする思想なのである。


③ 差異ズレ
 デリダによれば、差異だけが存圚するのであっお、
                       「自分自身であり続ける」
                                  アむデン
ティティずいう性質を持぀「肯定的な蚀葉」などたったくないずいう。
 しかし、ポヌル・ストラザヌンが蚀うように、「もし同䞀的なもの、぀たりアむデンテ
ィティがなければ、抂念も存圚しない。様々なものをたずめ同䞀化する抂念など、たった
く考えられ埗なくなる」()のである。
 蚀葉の意味は「差異」から生たれおくるずいうが、蚀葉の意味は「差異」から生たれお
くるのではない。蚀葉の意味は「差異」―盞察関係―を通じお珟れるのである。統䞀思想
の衚珟で蚀えば、目的を䞭心ずした、抂念ず抂念、呜題ず呜題の授受䜜甚を通じお、意味
が衚珟されるのである。


④ 差延
 デリダは、意味は぀ねに「違うものになる」こずを説明するのに、差延ずいう名詞を持


                       9
ち出した。そしお差延の戯れにより、意味は぀ねに「違うものになり」「先送りされる」
                                、
ずいう。
 差延の戯れずは、ダヌりィニズムにおける突然倉異に盞圓するものず蚀えよう。ダヌり
ィニズムによれば、生物の皮は突然倉異によっお絶えず倉化しおいくのであり、䞍倉なる
皮はありえない。しかし突然倉異は皮を倉化させるようなものではなかった。皮の䞭での
埮小な倉異にすぎないのである。それず同様に、差延によっお、意味がたえず「違うもの
になる」ずいうこずはない。蚀葉に方蚀があるように、衚珟や発音に倚様な倉化はあるず
しおも、意味は基本的に䞍倉なのである。


 â‘€ 散皮
 デリダは蚀葉の意味が絶えず倚様化しおいくこずを瀺すために、
                             「散皮」ずいう名詞を
持ち出した。これも差延ず同様、ダヌりィニズムの突然倉異の発想ず同じである。しかし、
突然倉異によっお皮の圢質が䞀郚倉化するずしおも、皮そのものは䞍倉であるように、蚀
葉の意味が絶えず倚様化しおいくずしおも、基本ずなる意味は䞍倉であり、アむデンティ
ティを保持しおいるのである。


 ⑥ 代補
 代補ずは、䜕かに察しおそれをさらに豊かにするために付け加えられるものであるが、
それは䞊倖れた感染力を持぀りむルスのようなものであるずいう。そしお蚀葉の䞭には、
初めから、りむルスが宿っおいたずいうのである。
 これもダヌりィニズムの突然倉異の発想ず軌を䞀にしおいる。すなわち宇宙線、玫倖線、
皲劻などによっお、遺䌝子の組み換えが行われるが、その際、ある生物の DNA に、倖から
他の遺䌝子のかけらが泚入されるこずに盞圓するものである。しかし自然界においお、遺
䌝子の組み換えが起きおも、皮が別の皮に倉わるようなこずはない。それず同様に、代補
によっお、テキストの意味がどんどん倉わっおいく、ずいうようなこずはありえないので
ある。


⑩ 圢而䞊孊の吊定
 圢而䞊孊は神の存圚、神の蚀葉ロゎス、目的論などをその特城ずしおいるが、デリ
ダはそれをこずごずく粉砕しようずいうのである。
このような圢而䞊孊吊定のスピリットはマルクス䞻矩、ダヌりィニズム、フロむト䞻矩に
共通するものである。統䞀思想はマルクス䞻矩、ダヌりィニズム、フロむト䞻矩を批刀、
克服し、神の実圚、神のロゎスによる創造、創造目的を明らかにしおきた。蚀語孊的なマ
ルクス䞻矩、ダヌりィニズム、フロむト䞻矩ずもいうべきデリダの思想も、マルクス䞻矩、
ダヌりィニズム、フロむト䞻矩の厩壊ずずもに、厩壊しおいくこずであろう。




                    10
⑧ 絶察的真理の吊定
 デリダは、絶察的な真理はあり埗ず、哲孊は確実なものでないず䞻匵した。しかしデリ
ダのそのような䞻匵にもかかわらず、普遍的、絶察的な真理は実圚するのである。
 䌝統的なキリスト教、仏教、儒教、むスラム教などが説いた埳目芏範は本質的に共
通なものであり、時代を超えお普遍的、絶察的なものである。
ポヌル・ストラザヌンは、数孊や科孊の知識は普遍的、絶察的なものであるず蚀い、次の
ようにデリダに反論しおいる。
             「ずはいえ、バヌクリヌやヒュヌムからの攻撃があっおも、
結局、数孊や科孊は生き延びた。ゲヌデルから刃を突き぀けられおも、数孊も科孊も掻動
を続けおいる。これは䜕を意味しおいるのだろうか」()。実際、われわれは䞉角圢の内
角の和が 180 床であるこずを疑わないのである。


⑹ 他者
    デリダによれば、蚀語に先立぀「力」
                    、それなしでは蚀語がそれであるずころのもので
はありえなくなるような「力」が、蚀語の他者であるずいう。しかしそれは、アむデンテ
ィティのないものであり、「正䜓のなき者」「党き他者」であるずいう。それは䜕であろ
                    、
うか。それは無であり、混沌ずも蚀うべきものであろう。それが蚀語を背埌から動かしお
いるずいうのである。ちょうど自然遞択が生物を支配しおいるように。


⑩   マルクス䞻矩の圱響
 マルクス䞻矩は、事物は闘争によっお発展するず䞻匵し、発展のためには暎力が必芁で
ある、そしお人類歎史は支配階玚ず被支配階玚ずの階玚闘争の歎史であるずいう。デリダ
によれば、「始めに蚀葉があった。蚀葉は暎力であった」のであり、哲孊の歎史は「圢而
䞊孊的蚀説ず脱構築的蚀説ずの戊いであった」ずいう。
 デリダは、蚀葉は暎力であるずいうが、そうではない。蚀葉は愛の理想䞖界を䜜るため
のものであった。すなわち「始めに蚀葉があった。蚀葉は愛であった」のである。そしお
人類歎史は、神を䞭心ずした善なる蚀葉ず、サタンを䞭心ずした悪なる蚀葉の戊いであっ
たのである。


⑪ ダヌりィニズムの圱響
    すでに芋おきたように、デリダの思想は、生物はたえず倉化し、倚様化しおいくずい
うダヌりィニズムに類䌌したものである。デリダの思想は、たさに蚀語的進化論ず蚀うべ
きものである。生物の皮が突然倉異ず自然遞択によっお進化するずいうダヌりィニズムが
誀りであるように、差異ズレ、差延、散皮、代補、そしお脱構築によっお、蚀葉の意
味がどんどん倉わっおいくずいうデリダの䞻匵は誀りである。


⑫ フロむト䞻矩の圱響


                     11
ニコラス・ロむルが述べおいるように、デリダの思想にはフロむトの圱響もあった。統
䞀思想はフロむト䞻矩に察する批刀ず克服をなしおいるので、ここでは省略するこずにす
る。


⑬ 愛ず性、そしお死
    デリダにずっお、脱構築は愛であり、その愛は「魔に取り憑かれた愛」であるずいう。
それはたさにサタン的な愛であり、真の愛ではあり埗ない。
    デリダは、たた死は愛の条件であるずいうが、そうではない。人間は本来、愛の完成ず
ずもに、蝶がさなぎから脱皮するように、叀くなった肉身を捚おお霊界で氞存するのであ
っお、死は愛の完成を意味するものである。
    デリダはたた、「愛は、死が私たちを分か぀たで存圚する」「私は喪に服する、それ故
                               、
に私は存圚する」ず蚀うが、
            「愛は、死を超えお存圚する」
                         「私は愛する、それ故に私は存
圚する」ず蚀うべきである。
    デリダはさらに「莈䞎」(don)に぀いお、「その極限においおは、莈䞎ずしおの莈䞎は、
莈䞎ずしお珟れおはならない。莈䞎される者にずっおも、莈䞎する者にずっおも、である」
ず蚀う()。これは、䞎えおも、䞎えたこずを忘れる真の愛に通じるものである。たた「節
床を持ち、尺床を持っおいるような莈䞎は、莈䞎ではない」()ず蚀うが、これは、蚈算
づくの愛ではいけないずいうこずであり、やはり真の愛に通じるものである。デリダには、
サタン的な愛ず真の愛が共存しおいるず蚀えよう。


⑭ メシアニズム
    デリダは来るべきものずしお「宗教なきメシア䞻矩」を掲げる。      「宗教なきメ
シア䞻矩」ずは、「砂挠のメシアニズム」ずか「絶望のメシアニズム」ずも蚀われる。そ
れは人類を垌望のカナンの地に導くものではなく、絶望の砂挠に導くものである。統䞀思
想は人類を垌望のカナンの地に導く、真なるメシアを埅望する「垌望のメシアニズム」を
掲げおいるのである。


èš»
1䞊利博芏『デリダ』枅氎曞院、2001 幎、86 頁。
2高橋哲哉『デリダ』講談瀟、2003 幎、75 頁。
3同䞊、73 頁。
4同䞊、63 頁。
5ポヌル・ストラザヌン、浅芋昇吟蚳『90 分でわかるデリダ』青山出版瀟、2002 幎、
      77-78 頁。
6同䞊、36 頁。
7スチュアヌト・シム、小泉朝子蚳『デリダず歎史の終わり』岩波曞店、2006 幎、33


                      12
頁。
8ニコラス・ロむル、田厎英明蚳『ゞャック・デリダ』青土瀟、2006 幎、57 頁。
9同䞊、205 頁。
10同䞊、56 頁。
11高橋哲哉『デリダ』245 頁。
12ポヌル・ストラザヌン『90 分でわかるデリダ』93 頁。
13同䞊、110 頁。
14斎藀慶兞『デリダなぜ「脱―構築」は正矩なのか』NHK 出版、2006 幎、55 頁。
15高橋哲哉『デリダ』119 頁。
16同䞊、189 頁。
17ニコラス・ロむル『ゞャック・デリダ』266 頁。
18䞊利博芏『デリダ』77 頁。
19ポヌル・ストラザヌン『90 分でわかるデリダ』40-41 頁。
20スチュアヌト・シム『デリダず歎史の終わり』38 頁。
21ニコラス・ロむル『ゞャック・デリダ』148 頁。
22同䞊、148 頁。
23高橋哲哉『デリダ』104 頁。
24ニコラス・ロむル『ゞャック・デリダ』101 頁。
25同䞊、102 頁。
26ポヌル・ストラザヌン『90 分でわかるデリダ』81 頁。
27高橋哲哉『デリダ』159 頁。
28同䞊、202 頁。
29コラス・ロむル『ゞャック・デリダ』123 頁。
30同䞊。
31ニコラス・ロむル『ゞャック・デリダ』305 頁。
32高橋哲哉『デリダ』136-37 頁。
33同䞊、140 頁。
34ニコラス・ロむル『ゞャック・デリダ』92 頁。
35同䞊、118 頁。
36同䞊、119 頁。
37同䞊、190 頁。
38同䞊、191 頁。
39同䞊、266-68 頁。
40同䞊、299 頁。
41同䞊、300 頁。
42同䞊、248 頁。


                         13
43ポヌル・ストラザヌン『90 分でわかるデリダ』51 頁。
44同䞊、47 頁。
45ニコラス・ロむル『ゞャック・デリダ』272 頁。
46同䞊、278 頁。




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  • 1. ポスト構造䞻矩を超えお 統䞀思想研究院 倧谷明史 䞉ゞャック・デリダ デリダの思想 ①゚クリチュヌルずパルマコン プラトンの『パむドロス』(Phaedrus)には文字の発明の物語がある。そこには、曞かれた 蚀葉に関する、゜クラテスずパむドロスの次のような察話がある(1)。 ゜クラテスの蚀葉―䞀「蚀葉ずいうものは、ひずたび曞きものにされるず転々ずめぐ り巡り歩く」―䞀に察しおパむドロスは、 「あなたの蚀われるのは、ものを知っおいる 人が語る、生呜をもち、魂をもった蚀葉のこずですね。曞かれた蚀葉は、これの圱で あるず蚀っおしかるべきなのでしょうか」ず問いかけ、゜クラテスは「たさしくその ずおりだ」ず答える。ロゎスは、その背埌に息子のために匁じ責任を取っおくれる父 がいるから「正嫡子」ず呌ばれる。父がいなくなれば、蚀葉はあやしげなミュトス (mythos)や「魂をもたない」蚘号になり、 「転々ずめぐり歩く」私生児になる、ずいう のである。 「文字の発明」は䟿利であるが、それによっお蚀葉が生呜を倱ったりする、぀たり文字 は薬にもなるが毒にもなるずいう二重性をも぀ずいう。プラトンはこの二重性に察し、 「私 生児」を排陀し぀぀、正しい「皮」 芪子関係、血筋だけを残そうずしたのである。 このプラトンの『パむドロス』からヒントを埗お、デリダは、話された蚀葉を意味する パロヌルparoleず、曞くこず、曞く行為、たた曞かれたものを意味する゚クリチュヌ ル(écriture)を察比しお論じおいる。パロヌルは真正の蚀葉ロゎスであるのに察しお、 ゚クリチュヌルは頜萜した蚀葉ロゎスであるずいう。すなわち「パロヌルは魂、内面 性、蚘憶、生、珟前、真理、本質、善、たじめ、父法ずの正垞な関係に察応し、゚ク リチュヌルは物質、倖面性、想起、死、䞍圚、虚停、芋かけ、悪、ふたじめ、父法か  らの逞脱私生児性に察応する」 ずいうのである。぀たり「パロヌルにはそのテロ ス、目的論的な本質があり、真理、知識、生呜に満たされた、充実したパロヌルがその理 想ずなっおいるのである」 。 デリダは、以䞊のような゚クリチュヌル論を提起した。゚クリチュヌルずは、パルマコ ン(pharmakon)、぀たり治療薬でもあれば毒薬でもあり、治療薬に芋えながらじ぀は毒薬 なのだずいうこず、これがデリダの゚クリチュヌル論の本質である。 1
  • 2. デリダによれば、至高の䞻䜓である神は曞く必芁がない。神は自己自身のうちで絶察的 に充実しおおり、他者ずの関係を必芁ずしない。王は曞くこずなく語る䞻䜓であっお、自 分の声をただ曞きずらせるだけである。゜クラテスも䜕ひず぀曞かず、ただプラトンにそ の声を曞きずらせただけであった。 しかるに蚀葉は曞かれるこずによっお、その真理性を倱うずいう。デリダによれば、 「゚ クリチュヌルこそ、哲孊者を倖郚に連れ出す劙薬パルマコンであり、圌を本来の軌道  から逞脱させる毒薬パルマコンなのだ」 。 デリダは蚀う。 「曞くこず゚クリチュヌルはその぀ど、消倱、埌退、抹消、巻䞊げ、 消耗のようなものずしおあらわれおくる」(5)。デリダの狙いは、「曞くこず」「曞かれた 、 もの」 、぀たり「゚クリチュヌル」をすべお粉砕するこずであった。぀たり、すべおの「゚ クリチュヌル」、すべおの「テキスト」には、ある狙い――独特の圢而䞊孊的な前提―― が隠れおいるこずを蚌明し、粉砕しようずしたのである 。かくしおデリダは、曞かれ た思想の真理性をこずごずく砎壊しようずした。たさに「パルマコンの毒を䞖界䞭にばら たくデリダ」ず蚀われるゆえんである。 ②脱構築 脱構築ずは、読み手の偎から、曞かれたものにたいしお、曞き手の意図から離れお、新 たな意味を構築するこずを蚀う。 『オックスフォヌド英語蟞兞』1989 幎版によれば、脱構築ずは、 i ある事物の構築を解䜓する行為。 ii 哲孊的および文孊的蚀語の問われないたたになっおいる圢而䞊孊的前提や内的矛 盟を暎露するこずに向けられおいる。 むギリス、サンダヌランド倧孊教授のスチュアヌト・シム(Stuart Sim)によれば、脱構 築の基本的前提ずなっおいるのは次の䞉぀である(7)。 i蚀語は、意味の䞍安定さず確定䞍胜性を深い刻印ずしお抱えおいる。 iiそのような䞍安定さず確定䞍胜性がある以䞊、いかなる分析方法哲孊もしくは批 評なども、テキストの分析に関しお暩嚁を䞻匵できない。 iiiそれゆえ、解釈は自由な広がりをも぀行為ずなり、䞀般的に了解されおいる分析 ずいう䜜業よりも、ゲヌムに近い行為になる。 デリダの思想を玹介しおいる本の䞭で説明されおいる、脱構築の性栌を列挙すれば、次 のようになる。 a. ずらし、倉圢するもの 2
  • 3. 「それは、蚀語的、抂念的、心理孊的、テクスト的、矎孊的、歎史的、倫理的、瀟䌚的、 政治的、そしお、宗教的颚景を激しく揺さぶり、ずらし、倉圢しおしたおうずするものな  のだ」 。 b. 寄生するもの 「脱構築にはどこか本質的に寄生的なずころがある。デリダがこう述べおいるように、 “脱  構築ずは぀ねに寄生に぀いおの蚀説である”」 。 c. 分裂、亀裂を生むもの 「䞀芋したずころ明癜に単玔な蚀明であったずしおも、分裂ないし亀裂を免れられない。    “原子分割䞍可胜なものなど存圚しない。 ”すべおは分割可胜である」 。 d. 決定䞍可胜性を導入するもの 「脱構築は、  ロゎスの法のなかに決定䞍可胜性を再導入するこずによっお、決定䞍可  胜なものの経隓のなかで別の決定がなされるこずを芁求する」 。 e. あらゆる芏範を疑問に付すもの 「道埳や政治家から受け継いだあらゆる芏範コヌドを疑問に付す、それが脱構築  である」 。 f. 物事をあいたいにするもの 「無駄な蚀葉を饒舌に語りながら、物事をあいたいにする。それにもっずも適しおい  るのが、脱構築の理論である」 ――ピヌタヌ・レノン, Peter Lennon 。 g. 本質を吊定するもの 「脱‐構築は  本䜓を珟前せしめたいく぀かの力の由来をあらわにするこずによっお、  その力の党面的な効力を倱効させるずいう仕方で遂行されるのである」 。 脱構築は、このように砎壊的、吊定的なものである。ずころが䞀方で脱構築にたいしお、 次のような匁解的な肯定的な䞻匵もなされおいる。 a. 新たな「決定」の思想である 「脱構築はある意味で、新たな‘決定’の思想であるずいえる。それは決定䞍可胜性 の思想であるず同時に、決定の思想でもあり、同時に決定䞍可胜性の思想でもあるこずこ  そ、脱構築をしお新たな決定の思想たらしめおいるずいえるだろう」 。 b. 脱構築は正矩である 「もしも正矩それ自䜓ずいうようなものが、法の倖あるいは法のかなたに存圚するずした ら、それを脱構築するこずはできない。同様にたた、もしも脱構築それ自䜓ずいうような ものが存圚するずしたら、それを脱構築するこずはできない。脱構築は正矩なのである」  。 . 脱構築は愛である 「脱構築は、ず圌は瀺唆する、 ‘愛なしには決しお始たらない。’あるいは、より簡朔な蚀 3
  • 4. い方をするなら、‘脱構築は愛である’ 」 。 . 脱構築は肯定的である 「ハむデガヌの‘砎壊’ ‘解䜓’ 、あるいは‘圢而䞊孊の克服’が単なる吊定や批刀ではな  かったように、デリダの脱構築も吊定的なものではない」 。 ③ 差異ズレ デリダによれば、これたでの哲孊は誀っおいる。氞遠の真理などずいうものはない。 蚀語のうちに芋出されるのは、「ズレ」や「差異」のシステムだけである。むギリスの 哲孊者、ポヌル・ストラザヌン(Paul Strathern)によれば 「事物の本質」に含たれおいる氞遠の真理などずいうものを求めおきたのは間違いだ。 そのような代物ではなく、自らが䜿う蚀語にこそ、目を向けねばならない。ではデリダ の考えでは、蚀語ずはどのようなものなのだろうか。蚀語は察象ずの本質的な関係など 持ち合わせおいない。自分自身によっお瀺される抂念ずも本質的な関係を持ち合わせお いない。蚀葉の意味はそのような関係から出おくるのではない。蚀語のうちに芋出され るのは、「ズレ」や「差異」のシステムだけである。蚀葉の意味はこの「差異」から生  たれおくるにすぎない」 。 デリダはさらに、差異だけが存圚するのであっお、 「自分自身であり続ける」ような「肯 定的な蚀葉」などありえないずいう。蚀語は぀ねに途方もない流動性のなかにあるずいう のである。 デリダの芋解によれば、意思の疎通には必ずズレが぀いお回るものであり、蚀葉の意味 は、最初の意味から絶えず倉化しおゆき、意味が完党にわかったずいう感芚は぀ねに先送  りされおいくもので、絶え間なく倉化しおゆくプロセスだずみるべきなのである。 ④ 差延 デリダは、意味は぀ねに「違うものになる」こずを説明するのに、 「差延」 différance) ずいう名詞を持ち出した。差延ずは、「異なる」ずいう意味だけでなく、時間的に「遅ら せる、遅延させる」ずいう䞡方の意味を含む名詞ずしおデリダが新たに䜜ったものである。 そしお「差延が指し瀺しおいるのは、‘原子など存圚しない’ずいう事実である。差延 は、ある察象の名前ではない、珟前するこずが可胜であるような、䜕がしかの存圚者の名  前ではない。そしお、そうであるからには、抂念でもない」 のである。さらに、「差  延の担い手゚ヌゞェント、著者、そしお䞻人であるような䞻䜓は存圚しない」 ず いうのである。぀たり差延を導く䞻䜓はなく、差延は戯れおいるずいうのである。 東京倧孊の哲孊教授、高橋哲哉によれば、「芁するに差延ずは、空間的差異であれ、時 間的差異であれ、蚀語的差異であれ、非蚀語的差異であれ、空間/時間の差異であれ、蚀 4
  • 5. 語/非蚀語の差異であれ、ずもあれ差異を生み出し぀づける運動なのだ。  差異の戯れ 、、、、、、、、、、、、、、、、 、、、 ずは、もろもろの差異が抹消䞍可胜か぀決定䞍可胜な仕方で、぀ぎ぀ぎに生たれ぀づける 運動である」結局、意味は぀ねに「違うものになり」「先送りされる」のである。 。 、 â‘€ 散皮 デリダは蚀葉の意味が絶えず倚様化しおいくこずを瀺すために、 散皮」 「 disséminationずいう名詞を持ち出した。散皮は「意味を撒き散らす」ずいう意味で ある。デリダが瀺そうずしたのは、蚀葉はその正統的な由来ず思われるものから離れお思 わぬ方向に倚様に延びおゆく力があるのを芋おずるこずであった。぀たり散皮ずは、哲孊 ず呌ばれるものを䞍断に眮き換えおゆくこずにほかならない。それが「哲孊の脱構築」で あったのである。 ⑥ 代補 「代補」(supplément)ずは、䜕かに察しおそれをさらに豊かにするために付け加えられ るものであり、か぀、同時に単なる「超過分」ずしお付加されるものでもある。デリダに よれば、代補は䞊倖れた感染力を持぀りむルスのようなものである。デリダは蚀う。「り  むルスこそ私の著䜜の唯䞀の察象であったのだず蚀っおもいいのかもしれない」 。 デリダにずっおは、代補の論理以前には䜕もなく、「代補から起源ぞず遡ろうず願っお も、起源に芋出すのは代補なのである」()。結局、「初めに代補があった」のである。 ぀たり蚀葉の䞭には、初めから、りむルスが宿っおいたずいうこずである。 ⑩ 圢而䞊孊の吊定 圢而䞊孊は䞀般に、超感芚的な䞖界を真なる実圚ず考え、これを玔粋な思考によっお認 識しようずする孊問であり、神の存圚、神の蚀葉ロゎス、目的論などをその特城ずし おいる。 圢而䞊孊に察しお戊いを挑んだのがノィトゲンシュタむンずデリダであった。二人ずも、 解決のための鍵は蚀語にあるず考えた。けれども、その方法は異なっおいた。ポヌル・ス トラザヌンは次のように語っおいる。 デリダは‘哲孊の問題’を解決する際、蚀語を内郚から砎裂させるずいう単玔な手段 を甚いた。蚀語の意味を爆発させ、無数の断片に匕き裂こうずした。  他方、ノィ トゲンシュタむンによれば、  蚀語の䜿甚の誀りから、哲孊ずいうものが生じる。 も぀れた糞を解きほぐせば、誀りは消え去るはずである。哲孊の問いには答えがない だけではない。そもそも、問われおはならないものなのである。  いわばノィトゲ ンシュタむンはシルクハットのなかのりサギを消したのに察し、デリダは無数のりサ ギを぀くり出したのである()。 5
  • 6. デリダが目指しおいたのは、哲孊圢而䞊孊に疑問を突き぀け、哲孊を尋問するこず であったのであった。デリダにずっおの「哲孊」ずは、通垞の意味での哲孊ではない。哲 孊に疑念を突き぀けるこずこそ、デリダのいう「哲孊」であった。 ⑧ 絶察的真理の吊定 䞖玀、スコットランドの哲孊者ディノィッド・ヒュヌムが、すべおの知識は経隓、 ぀たり知芚に基づくず蚎えた。知識は経隓に由来するずいう経隓論を培底的に突き詰めお いけば、人間の客芳的な知識は厩れ萜ちおしたう。したがっおヒュヌムによれば、絶察的 な真理はあり埗ず、知識は盞察的なものにならざるを埗ないのであった。 幎、オヌストリアの数孊者クルト・ゲヌデルが、数理論理孊の手法を甚いお、䞍 完党性定理を打ち立お、数孊が決しお確実なものであり埗ないこずを蚌明した。それにた いしお、デリダは‘論理のプロセス党䜓’を無効なものにしお、哲孊が確実なものでない こずを瀺そうずしたのであった。 ⑹ 他者 高橋哲哉は、 「脱構築はい぀も、蚀語の〈他者〉に深くかかわっおいる。ロゎス䞭心䞻 矩の批刀ずは、䜕よりもたず〈他者〉の探求であり、〈蚀語の他者〉の探求なのだ」 () ず蚀う。そしお「他者の呌びかけぞの応答ずしおのみ脱構築ははじたる」()ず蚀う。で は、他者ずは䜕であろうか。 サセックス倧孊の英語教授、ニコラス・ロむル(Nicholas Royle)は「デリダは぀ねに蚀 語に先立぀ものや、蚀語を超え出るものに関心を持っおきた。しばしば圌はそれを‘力’ ず呌んでいる」()ず蚀う。デリダによれば、「力ずは、それなしでは蚀語がそれである ずころのものではありえなくなるような、そのような蚀語の他者なのである」()。぀た り蚀語に先立぀「力」が、蚀語の他者であるずいう。それは蚀語を背埌から動かしおいる 䜕ものかである。 そしお未来においお来るべき「党き他者」に぀いお、デリダは「神や人間、あるいはそ のような星座におけるどの圢象䞻䜓、意識、無意識、自我、人間男ないし女、その 他諞々ずも、もはや混同されるこずのできない党き他者」()であるず蚀う。それはた さに「正䜓のなき者」である。 ⑩ マルクス䞻矩の圱響 デリダは、原゚クリチュヌルの「原暎力」、たたは「根源的暎力」に蚀及し、蚀葉は暎 力であるずいう。これは「始めに蚀葉があった。蚀葉は暎力であった」ずいうこずである デリダは蚀う。「蚀説が根源的に暎力的なら、蚀説はみずからに暎力を加えるほかはな く、自己を吊定するこずによっお自己を確立するほかはない」。それは「暎力に察抗する 6
  • 7. 暎力」である。蚀語における戊いずは、高橋哲哉が蚀うように、「圢而䞊孊的蚀説ず脱構 築的蚀説ずの戊い」ず考えられる()。デリダはさらに「蚀語はみずからのうちに戊いを 認め、これを実行するこずによっお際限なく正矩のほうぞむかっおいくほかはない」() ず蚀う。これはたさに、蚀ず蚀の闘争によっお発展するずいう蚀語的な唯物匁蚌法である。 では、蚀語の暎力ず蚀語をもっお闘えずいう呜什は、そもそもどこから来るのか、ずさ らに問いを進めおいる。暎力ず闘え、暎力に抵抗せよずいう呜什は、そもそもどこから来 るのか デリダによれば、「党き他者」の䟵入から来るのである。 蚀語には、倖からあるいは埌から偶然的な補足物ずしお本䜓に付加されるものが、 本䜓の内奥に䟵入し、そこに棲み぀き、それに取っお代わっおしたうずいう運動があるず いう。これは事物正の䞭には、事物を吊定するもの反が生じお、その正ず反の察 立、闘争によっお事物は発展するずいう、唯物匁蚌法ず発想が同じである。 デリダはマルクス䞻矩の誀りを指摘しながらも、「新しい文化、資本の、マルクスの著 曞ず資本䞀般の䞡方に぀いお別の読み方ず分析の仕方を発明するような文化の必芁性」( ) を蚎えおいる。そしお、マルクスの粟神を生かし぀づけるこずに意味があるずしお、 「新 しいむンタヌナショナル」を創蚭しようず呌びかけた。実際、圌の著曞、『マルクスの亡 霊』は「新しいむンタヌナショナル」ぞの新たな呌びかけであった。デリダは、たさにポ スト構造䞻矩のマルクス䞻矩者なのである。 ⑪ ダヌりィニズムの圱響 ダヌりィニズムによれば、生物の皮は固定されたものでなく、絶えず突然倉異によっお 倉化しおいるずいう。デリダは、それず同様に、蚀葉はたえず倉化しおいるずいう。 デリダによれば、差異だけが存圚するのであっお、「自分自身であり続ける」ずいう性 質を持぀「肯定的な蚀葉」などたったくないずいうのである。蚀語は぀ねに途方もない流 動性のなかにあるずいうこずに他ならないのである。 キリスト教の創造論によれば、神が生き物を皮類にしたがっお創造なさったのであり、 生物の皮は䞍倉なものである。ずころが、ダヌりィニズムによれば、固定された皮、氞遠 なる皮などはあり埗ない。デリダは、それず同様に、蚀葉にも同䞀性アむデンティティ はないず䞻匵するのである。 デリダにずっお、 「アむデンティティの䞍調」なしのアむデンティティなど存圚しない。 デリダの関心は「あるひず぀のアむデンティティが䞎えられたり、受け取られたり、ある いは到達されたりするこずなど決しおない。ただ、同䞀化の幻想の終わりなき、そしお際 限なきプロセスが持続するだけなのである」()。「アむデンティファむ同䞀化する こずは぀ねに、付け加えるこず、぀くろうこず、成り代わるこずの論理を䌎っおいる」の であり、 いただ発明されるべきものなのだ」 ().人間は未だ進 「私たちは぀ねに 。 化の途䞊にあるずいうダヌりィニズムの䞻匵ず同じである。 7
  • 8. ⑫ フロむト䞻矩の圱響 ニコラス・ロむルによれば、「デリダの論の運びは、フロむトの゚クリチュヌルに察す る深い賞賛ず重芁性に察する敬意によっお突き動かされおいる」()のであり、『トヌテ 「 ムずタブヌ』からのあの䞀節は  デリダの‘ために’特別に曞かれおいた、あたかも圌 がやっおくるのを埅っおいお、圌がそれを指摘するこずを埅っおいたかのような、そんな 興味深い、あるいはぞっずするような感芚を、぀かのた私たちに抱かせるような、そうい う契機のひず぀である」()のである。぀たり、自己の思想圢成においお、デリダはフロ むトを匷く意識しおいたのであった。 ⑬ 愛ず性、そしお死 デリダは、「愛なしには決しおはじたらない」のであり、「脱構築は愛である」ず蚀う。 それに぀いお、ニコラス・ロむルは、デリダにずっおの愛はドラッグであり、「デリダの テキストが瀺唆するのは、魔に取り憑かれた心の論理、魔に取り憑かれた愛の、‘魔を愛 する者’の仕事䜜品の論理である」ず蚀う()。 デリダは、死は愛の条件であるずいう。 「私たちは、ただ、死すべき者だけを愛するし、 私たちが愛する者の可死性死すべき定めは、愛にずっお偶然的で倖圚的な䜕かなので はなく、むしろ、その条件なのだ」()。デリダはたた、「愛は、死が私たちを分か぀た で存圚する」ず蚀い、さらにデカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」に察抗しお「私は 喪に服する、それ故に私は存圚する」ず蚀う()。死のゆえに愛があり、死のゆえにわれ われの存圚があるずいうのである。 ⑭ メシアニズム デリダは来るべきものずしお「宗教なきメシア䞻矩」を掲げる。それは「身分も、称号 も  党も、囜も、民族的共同䜓も、共通の垂民暩も、ひず぀の階玚ぞの共通の垰属も、 「あらたなむンタヌナショナル」である()。 なしの」結び぀きであり、 「宗教なきメシア䞻矩」ずは、「砂挠のメシアニズム」ずか「絶望のメシアニズム」ず も蚀われる。到来する他者が固定され、芏定され、珟前する存圚者ずなるこずはけっしお ないこず、それは぀ねに「来たるべきもの未来」であり、「玄束」であり぀づけるこず を意味しおいるからである。 2デリダぞの批刀ず統䞀思想の芋解 ①゚クリチュヌルずパルマコン デリダによれば、話された蚀葉であるパロヌルは真正の蚀葉ロゎス、正嫡子である のに察しお、曞かれた蚀葉である゚クリチュヌルは頜萜した蚀葉ロゎス、私生児であ るずいう。 確かに、話された蚀葉が䞀次的であり、曞かれた蚀葉が二次的である。しかし前者が真 8
  • 9. 正の蚀葉、埌者が頜萜した蚀葉ずいうのは誀りである。䞀般的に、話された蚀葉は曖昧で ある堎合が倚く、曞かれた蚀葉はそれを論理的に敎理したものであり、明瞭になっおいる のである。たた話された蚀葉は、曞かれなければ、消え去っおいくしかないのである。 ②脱構築 脱構築ずは、読み手の偎から、曞かれたものにたいしお、曞き手の意図から離れお、新 たな意味を構築するこずをいうずいうが、曞かれたものがどんどん倉化し、倚様化しおい くわけではない。デリダは、脱構築によっお、あたかも曞かれたものがどんどん倉質しお いくかのように語っおいるが、曞かれたものは䞍倉であり、著者の意図も䞍倉である。読 む人の解釈に倚様性があるずいうこずにすぎないのである。 脱構築はたた、ずらし、倉圢し、かき乱し、曖昧にするものであるずいうが、䞀方で脱 構築は、愛であり、正矩であり、肯定的なものであるずいう。ずらし、倉圢し、かき乱し、 曖昧にするずいう脱構築が、いかにしお愛であり、正矩であり、肯定的なものになりうる のであろうか。 これはマルクス䞻矩の唯物匁蚌法が「察立物の統䞀ず闘争によっお発展する」ず䞻匵し た論理ず同様なものである。唯物匁蚌法の本質は「闘争によっお発展する」ずいうこずで あるが、闘争だけを蚀えば、人々に䞍安を䞎える恐れがあるので、あえお統䞀ずか、平和 を前面に持っおきたのである。それず同様に、脱構築は砎壊の思想であるず蚀えば、人々 から受け入れられにくいので、脱構築は愛であり、正矩であり、肯定的であるなどず匁解 しおいるのである。しかし本質は、やはり砎壊の思想である。マルクス䞻矩は資本䞻矩瀟 䌚を砎壊する思想であったが、デリダの脱構築は䌝統的な哲孊圢而䞊孊を砎壊しよう ずする思想なのである。 ③ 差異ズレ デリダによれば、差異だけが存圚するのであっお、 「自分自身であり続ける」 アむデン ティティずいう性質を持぀「肯定的な蚀葉」などたったくないずいう。 しかし、ポヌル・ストラザヌンが蚀うように、「もし同䞀的なもの、぀たりアむデンテ ィティがなければ、抂念も存圚しない。様々なものをたずめ同䞀化する抂念など、たった く考えられ埗なくなる」()のである。 蚀葉の意味は「差異」から生たれおくるずいうが、蚀葉の意味は「差異」から生たれお くるのではない。蚀葉の意味は「差異」―盞察関係―を通じお珟れるのである。統䞀思想 の衚珟で蚀えば、目的を䞭心ずした、抂念ず抂念、呜題ず呜題の授受䜜甚を通じお、意味 が衚珟されるのである。 ④ 差延 デリダは、意味は぀ねに「違うものになる」こずを説明するのに、差延ずいう名詞を持 9
  • 10. ち出した。そしお差延の戯れにより、意味は぀ねに「違うものになり」「先送りされる」 、 ずいう。 差延の戯れずは、ダヌりィニズムにおける突然倉異に盞圓するものず蚀えよう。ダヌり ィニズムによれば、生物の皮は突然倉異によっお絶えず倉化しおいくのであり、䞍倉なる 皮はありえない。しかし突然倉異は皮を倉化させるようなものではなかった。皮の䞭での 埮小な倉異にすぎないのである。それず同様に、差延によっお、意味がたえず「違うもの になる」ずいうこずはない。蚀葉に方蚀があるように、衚珟や発音に倚様な倉化はあるず しおも、意味は基本的に䞍倉なのである。 â‘€ 散皮 デリダは蚀葉の意味が絶えず倚様化しおいくこずを瀺すために、 「散皮」ずいう名詞を 持ち出した。これも差延ず同様、ダヌりィニズムの突然倉異の発想ず同じである。しかし、 突然倉異によっお皮の圢質が䞀郚倉化するずしおも、皮そのものは䞍倉であるように、蚀 葉の意味が絶えず倚様化しおいくずしおも、基本ずなる意味は䞍倉であり、アむデンティ ティを保持しおいるのである。 ⑥ 代補 代補ずは、䜕かに察しおそれをさらに豊かにするために付け加えられるものであるが、 それは䞊倖れた感染力を持぀りむルスのようなものであるずいう。そしお蚀葉の䞭には、 初めから、りむルスが宿っおいたずいうのである。 これもダヌりィニズムの突然倉異の発想ず軌を䞀にしおいる。すなわち宇宙線、玫倖線、 皲劻などによっお、遺䌝子の組み換えが行われるが、その際、ある生物の DNA に、倖から 他の遺䌝子のかけらが泚入されるこずに盞圓するものである。しかし自然界においお、遺 䌝子の組み換えが起きおも、皮が別の皮に倉わるようなこずはない。それず同様に、代補 によっお、テキストの意味がどんどん倉わっおいく、ずいうようなこずはありえないので ある。 ⑩ 圢而䞊孊の吊定 圢而䞊孊は神の存圚、神の蚀葉ロゎス、目的論などをその特城ずしおいるが、デリ ダはそれをこずごずく粉砕しようずいうのである。 このような圢而䞊孊吊定のスピリットはマルクス䞻矩、ダヌりィニズム、フロむト䞻矩に 共通するものである。統䞀思想はマルクス䞻矩、ダヌりィニズム、フロむト䞻矩を批刀、 克服し、神の実圚、神のロゎスによる創造、創造目的を明らかにしおきた。蚀語孊的なマ ルクス䞻矩、ダヌりィニズム、フロむト䞻矩ずもいうべきデリダの思想も、マルクス䞻矩、 ダヌりィニズム、フロむト䞻矩の厩壊ずずもに、厩壊しおいくこずであろう。 10
  • 11. ⑧ 絶察的真理の吊定 デリダは、絶察的な真理はあり埗ず、哲孊は確実なものでないず䞻匵した。しかしデリ ダのそのような䞻匵にもかかわらず、普遍的、絶察的な真理は実圚するのである。 䌝統的なキリスト教、仏教、儒教、むスラム教などが説いた埳目芏範は本質的に共 通なものであり、時代を超えお普遍的、絶察的なものである。 ポヌル・ストラザヌンは、数孊や科孊の知識は普遍的、絶察的なものであるず蚀い、次の ようにデリダに反論しおいる。 「ずはいえ、バヌクリヌやヒュヌムからの攻撃があっおも、 結局、数孊や科孊は生き延びた。ゲヌデルから刃を突き぀けられおも、数孊も科孊も掻動 を続けおいる。これは䜕を意味しおいるのだろうか」()。実際、われわれは䞉角圢の内 角の和が 180 床であるこずを疑わないのである。 ⑹ 他者 デリダによれば、蚀語に先立぀「力」 、それなしでは蚀語がそれであるずころのもので はありえなくなるような「力」が、蚀語の他者であるずいう。しかしそれは、アむデンテ ィティのないものであり、「正䜓のなき者」「党き他者」であるずいう。それは䜕であろ 、 うか。それは無であり、混沌ずも蚀うべきものであろう。それが蚀語を背埌から動かしお いるずいうのである。ちょうど自然遞択が生物を支配しおいるように。 ⑩ マルクス䞻矩の圱響 マルクス䞻矩は、事物は闘争によっお発展するず䞻匵し、発展のためには暎力が必芁で ある、そしお人類歎史は支配階玚ず被支配階玚ずの階玚闘争の歎史であるずいう。デリダ によれば、「始めに蚀葉があった。蚀葉は暎力であった」のであり、哲孊の歎史は「圢而 䞊孊的蚀説ず脱構築的蚀説ずの戊いであった」ずいう。 デリダは、蚀葉は暎力であるずいうが、そうではない。蚀葉は愛の理想䞖界を䜜るため のものであった。すなわち「始めに蚀葉があった。蚀葉は愛であった」のである。そしお 人類歎史は、神を䞭心ずした善なる蚀葉ず、サタンを䞭心ずした悪なる蚀葉の戊いであっ たのである。 ⑪ ダヌりィニズムの圱響 すでに芋おきたように、デリダの思想は、生物はたえず倉化し、倚様化しおいくずい うダヌりィニズムに類䌌したものである。デリダの思想は、たさに蚀語的進化論ず蚀うべ きものである。生物の皮が突然倉異ず自然遞択によっお進化するずいうダヌりィニズムが 誀りであるように、差異ズレ、差延、散皮、代補、そしお脱構築によっお、蚀葉の意 味がどんどん倉わっおいくずいうデリダの䞻匵は誀りである。 ⑫ フロむト䞻矩の圱響 11
  • 12. ニコラス・ロむルが述べおいるように、デリダの思想にはフロむトの圱響もあった。統 䞀思想はフロむト䞻矩に察する批刀ず克服をなしおいるので、ここでは省略するこずにす る。 ⑬ 愛ず性、そしお死 デリダにずっお、脱構築は愛であり、その愛は「魔に取り憑かれた愛」であるずいう。 それはたさにサタン的な愛であり、真の愛ではあり埗ない。 デリダは、たた死は愛の条件であるずいうが、そうではない。人間は本来、愛の完成ず ずもに、蝶がさなぎから脱皮するように、叀くなった肉身を捚おお霊界で氞存するのであ っお、死は愛の完成を意味するものである。 デリダはたた、「愛は、死が私たちを分か぀たで存圚する」「私は喪に服する、それ故 、 に私は存圚する」ず蚀うが、 「愛は、死を超えお存圚する」 「私は愛する、それ故に私は存 圚する」ず蚀うべきである。 デリダはさらに「莈䞎」(don)に぀いお、「その極限においおは、莈䞎ずしおの莈䞎は、 莈䞎ずしお珟れおはならない。莈䞎される者にずっおも、莈䞎する者にずっおも、である」 ず蚀う()。これは、䞎えおも、䞎えたこずを忘れる真の愛に通じるものである。たた「節 床を持ち、尺床を持っおいるような莈䞎は、莈䞎ではない」()ず蚀うが、これは、蚈算 づくの愛ではいけないずいうこずであり、やはり真の愛に通じるものである。デリダには、 サタン的な愛ず真の愛が共存しおいるず蚀えよう。 ⑭ メシアニズム デリダは来るべきものずしお「宗教なきメシア䞻矩」を掲げる。 「宗教なきメ シア䞻矩」ずは、「砂挠のメシアニズム」ずか「絶望のメシアニズム」ずも蚀われる。そ れは人類を垌望のカナンの地に導くものではなく、絶望の砂挠に導くものである。統䞀思 想は人類を垌望のカナンの地に導く、真なるメシアを埅望する「垌望のメシアニズム」を 掲げおいるのである。 èš» 1䞊利博芏『デリダ』枅氎曞院、2001 幎、86 頁。 2高橋哲哉『デリダ』講談瀟、2003 幎、75 頁。 3同䞊、73 頁。 4同䞊、63 頁。 5ポヌル・ストラザヌン、浅芋昇吟蚳『90 分でわかるデリダ』青山出版瀟、2002 幎、 77-78 頁。 6同䞊、36 頁。 7スチュアヌト・シム、小泉朝子蚳『デリダず歎史の終わり』岩波曞店、2006 幎、33 12
  • 13. 頁。 8ニコラス・ロむル、田厎英明蚳『ゞャック・デリダ』青土瀟、2006 幎、57 頁。 9同䞊、205 頁。 10同䞊、56 頁。 11高橋哲哉『デリダ』245 頁。 12ポヌル・ストラザヌン『90 分でわかるデリダ』93 頁。 13同䞊、110 頁。 14斎藀慶兞『デリダなぜ「脱―構築」は正矩なのか』NHK 出版、2006 幎、55 頁。 15高橋哲哉『デリダ』119 頁。 16同䞊、189 頁。 17ニコラス・ロむル『ゞャック・デリダ』266 頁。 18䞊利博芏『デリダ』77 頁。 19ポヌル・ストラザヌン『90 分でわかるデリダ』40-41 頁。 20スチュアヌト・シム『デリダず歎史の終わり』38 頁。 21ニコラス・ロむル『ゞャック・デリダ』148 頁。 22同䞊、148 頁。 23高橋哲哉『デリダ』104 頁。 24ニコラス・ロむル『ゞャック・デリダ』101 頁。 25同䞊、102 頁。 26ポヌル・ストラザヌン『90 分でわかるデリダ』81 頁。 27高橋哲哉『デリダ』159 頁。 28同䞊、202 頁。 29コラス・ロむル『ゞャック・デリダ』123 頁。 30同䞊。 31ニコラス・ロむル『ゞャック・デリダ』305 頁。 32高橋哲哉『デリダ』136-37 頁。 33同䞊、140 頁。 34ニコラス・ロむル『ゞャック・デリダ』92 頁。 35同䞊、118 頁。 36同䞊、119 頁。 37同䞊、190 頁。 38同䞊、191 頁。 39同䞊、266-68 頁。 40同䞊、299 頁。 41同䞊、300 頁。 42同䞊、248 頁。 13
  • 14. 43ポヌル・ストラザヌン『90 分でわかるデリダ』51 頁。 44同䞊、47 頁。 45ニコラス・ロむル『ゞャック・デリダ』272 頁。 46同䞊、278 頁。 14