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概要書	
	
	 本論文は、フィッシャー、ミンスキーに至る負債デフレ論の形成過程について景気循環論の
観点から述べる。本論文の構成は以下のようになる。	
	 第一節では、本論文の研究対象である負債デフレ論について述べる。そして負債デフレ論の
現代的有用性、歴史的系譜、本論文の視点について説明する。	
	 第二節では、フィッシャーの景気循環理論について分析し、彼の景気循環理論が振動収束的
なものから、振動発散的なものへと変化したことを明らかにする。	
	 第三節では、ミンスキーの景気循環理論を扱い、ミンスキーの景気循環理論がケインズの理
論の中で見逃されてきた「不確実性」、「金融」、そして特に「循環」という三要素を基調とする
ことを明らかにする。	
	 第四節では、両者の理論をヒックスの玉突き台の理論から整理し、フィッシャーの負債デフ
レ論(乗数効果)は、ミンスキーの考えた移転支出(加速度原理)、利子率の高騰(上限)、政
府による公共生産への支出(下限)によってまとめられる循環モデルになったと結論づける。	
	 第五節ではこれまでの議論をまとめ、現代の経済との関連性を述べる。また、研究不足の点
についても述べる。
2
「負債デフレ論」形成の歴史的経緯	
	
3212A044-6	
	
田中	 元
3
はじめに	
	
	 本論文は、フィッシャー、ミンスキーに至る負債デフレ論の形成過程を扱う。そしてそのモ
デルの変遷について、ヒックスの玉突き台の理論を用いる。本論文の執筆動機は以下の三点で
ある。	
	 第一に、負債デフレ論研究が日本経済に有用と思われるからである。負債デフレ論は不況の
処方箋として、金融緩和によるインフレ率、資産価格の上昇による需要回復を唱える。また日
本は平成バブルの崩壊後に「失われた20年」と呼ばれるほどの長期不況に沈み、さらに2009年
のサブプライムローンショック後も他国と比較して少量の金融緩和しか行わなかったため、先
進国の中で唯一デフレに陥るなど低迷を続けてきた。しかし2013年4月から始まった黒田東彦
日銀総裁による大規模な金融緩和によってまず資産価格、期待インフレ率の上昇がはじまり、
景気は上向いたことでデフレギャップは縮小に向かった。それまで日本では金融緩和が景気に
影響を与えないという意見が主流であったが、筆者はこの金融緩和によって、フィッシャー、
ミンスキーに引き継がれる負債デフレ論の研究が、日本経済にも有用であることが明らかにさ
れたと考える。	
第二に、フィッシャー、ミンスキー研究には、循環論の側面からのアプローチが不足してい
ると筆者が考えるからである。フィッシャーといえば、フィッシャー方程式や貨幣数量説など
に注目が集まる一方で、彼の循環論を分析しようとした文献は少ない。またミンスキーについ
ても、彼が明らかにしたポンツィ金融を始めとした金融を媒介としたバブル発生の仕組みにつ
いては注目が集まるが、彼が本当に明らかにしたかった経済の循環性については研究不足であ
ると思う。この点から本研究は、フィッシャー、ミンスキー理論を景気循環の側面から分析す
る。	
第三に、筆者は玉突き台の理論が負債デフレ論研究の新たな観点であると考えるからである。
フィッシャー、ミンスキーに受け継がれた負債デフレ論の変遷を扱った研究はただでさえ少な
く、さらにその分析はまだ浅い。筆者はこの点について、玉突き台の理論は負債デフレ論の構
造を明確に分析できると考える。	
以上の三つの理由、「負債デフレ論の現代的有用性」、「フィッシャー、ミンスキー研究の不足
点」、「負債デフレ論への新たな視野」から本論文の執筆に至った。
4
第一節	 負債デフレ論とは何か	
	 	
	 本節では本論文の研究対象である負債デフレ論について述べる。以下はまず①で負債デフレ
論について説明し、②で負債デフレ論の先行研究を述べ、③では負債デフレ論の系譜への本論
文の視点を述べる。	
	
①	 リフレーション政策における負債デフレ論	
	 リフレーション政策とは、量的緩和政策を通じた安定化政策である。そしてそのリフレーシ
ョン政策の提唱者となったのが、Irving	Fisher(以下フィッシャー)である。Fisher(1933)
p.350 の脚注では、負債デフレ論の成り立ちが以下のように述べられている。そもそも彼が負債
と清算の関係について思いついたのは、1931 年のことであった。さらにその発想から発展した
「負債デフレーション理論」はまず、同年のイェール大学でのフィッシャーの講義の中で述べ
られ、1932 年 1 月 1 日のアメリカ科学振興協会で、初めて公式の場で述べられたという。彼は
負債デフレ論が自分のオリジナルであると主張する一方で、Wesley	Clair	Mitchell(以下ミッ
チェル)が彼に、ヴェブレンの理論は負債デフレ論にもっとも近いと伝えたと述べている。	
	 負債デフレ論においては、予期されてないデフレ、インフレは実質残高効果をもたらす。債
務者、債権者の限界消費性向が同じであれば、インフレ、デフレはただの資産移転になる(ピグ
ー効果)が、フィッシャーは債権者よりも債務者のほうが限界消費性向が高いため、デフレによ
る実質債務負担の上昇は不況を及ぼすと考えた(フィッシャー効果)。このため、負債デフレ論
では、マクロ、ミクロ面において期待の働き方が異なる。マクロ面では債務者、債権者ともに
デフレ期待を持つようになり、ミクロ局面では各々は自らの資産変動に注意を払う。その結果、
債権者は需要の増大を予想しインフレ期待を、債務者は需要の減退を予想しデフレ期待をもつ
ようになる。	
	 フィッシャーはこのように負債の清算よりもデフレのほうが早く進行し、むしろ負債の実質
負担を上昇させる事態を、「債務者が借金を返せば返すほど、より借金が増えて貧しくなるパ
ラドックス」(Fisher(1933)p.344)と名付け、大恐慌の原因であると考えた。そしてそのような
問題を払拭するためには、中央銀行による積極的な緩和政策、リフレーション政策が必要であ
ると提唱した。	
	 フィッシャーは大暴落の始まる一週間前に有名な「株価は、恒久的に続く高原状態に達した」
という歴史的誤謬をおかしている。彼の論争相手であって、大恐慌より約 2 ヶ月前の 1929 年 9
月 5 日に全米経営者会議の年次総会においても、株価について悲観的な見方を維持し続けた R	W	
Babson が大恐慌を機に名を挙げた一方で、フィッシャーはこの誤診により、資産だけでなく、
社会的地位さえも失った。しかしだからといって、フィッシャーが愚鈍な経済学者であったと
5
はいえない。彼は当時の経済学者の中で経済の因果関係に対して傑出して広範な視野を持って
いた。彼の大恐慌とは、本来 FRB によって防がれるべきだったマネーサプライの収縮によって
もたらされたという見識は多くの経済学者に支持された。1
Middleton(2014)は、フィッシャーの
1920 年代での影響力は不明確であったとしても、1970 年代にはその影響力は疑いのないものだ
としている。たとえばフィッシャーには、三重の功績があるとする。交換式の構築や貨幣現象
についての著作、事業の習慣や技術が産業活動に永続的な影響をもたらしかねないという考え、
数学、統計学の利用を提唱したことだ。そして今日の経済学における数学的アプローチや市場
の効率性への信頼などは、フィッシャー抜きでは考え付かないものだったろうと、最大級の賛
辞を送っている。2
	
	 彼の負債デフレ論は、なぜ 1929 年から 1930 年までのデフレーションが、1921 年など他の年
と異なって不況をもたらしたかを明確に説明した3
。予期せぬデフレーションによる実質債務負
担の上昇と、破産のリスクからもたらされる不均衡については、James	Tobin(以下トービン)、
Hyman	P	Minsky(以下ミンスキー)など著名なマクロ経済学者に引き継がれることとなる4
。	
	 フィッシャーは負債デフレ論の分析からルーズベルト大統領に為替レートの安定化よりもリ
フレーション政策の必要性を説得するなど政治的な影響力はあったが、負債デフレ論はこれま
でアカデミックな世界ではあまり影響力がなかった。それは負債デフレーションとは債務者か
ら債権者への単なる再分配に過ぎず、また貨幣の実物経済へのショックは一時的なものにすぎ
ないという貨幣の中立性が一般的な認識であったからである。	
	 しかしながらそのような負債デフレーション理論も、最近復活を遂げている。その理由は二
点ある。まず一つ目の理由として、コーポレートファイナンスの分野で優位となってきたエー
ジェンシー・コスト・アプローチのように、ミクロ経済学、マクロ経済学とで影響の異なる要
因を扱う研究の台頭により、理論的に補強されつつから。二つ目の理由として、昨今のサブプ
ライムローン問題との共通性から、大恐慌期における経済学者の分析に注目が集まっているか
らである。金融危機は発展途上国や過去の遺産であると考えていた多くの経済学者にとって、
彼らの非常に難解な金融技術やマクロ経済学の知識への信頼は大きく揺れた。Dimand(2014)は、
1
	Milton	Friedman、Anna	Schwartz、John	Keneneth	Galbraith など。	
2 また興味深いのは、Middleton がフィッシャーの思いもつかない波乱万丈な人生が、彼に科学
的方法論をとらせた背景になっているとしている点だ。例えばフィッシャーが父親、姉妹を早
くに亡くし、娘の Margaret さえも失ったこと、巨額の利益、損失をあげたこと、経済学者とし
て盛衰をくりかえしたこと、また自分自身の健康になやんだことなど。
3 Dimand(1994)ではフィッシャーの理論をトービンの WKP モデルを用いて、名目負債の額が大き
ければ大きいほど経済が不安定化することを明らかにし、フィッシャーの考えた通り過剰負債
が原因で、1921 年よりも 1929 年のデフレーションのほうが経済は不安定化する可能性は高かっ
たと述べている。
4 Dimand(1998)では異端であった負債デフレ論は、同じく異端の経済学者であったミンスキーに
よってとりあげられたとしている。
6
今回の危機が過去の経済学者の思想への興味に火をつけたと分析し、そのような経済学者のひ
とりとしてフィッシャーの存在を挙げる。そして実際に、FRB 議長のベン・バーナンキや、当時
のイングランド銀行総裁のマーヴィン・アリスター・キングによる量的緩和は、彼らがフィッ
シャーの負債デフレ論に対して論文を書いていたのが理由であったと主張する。5
このように負
債デフレ論研究には、サブプライムローン問題の処方箋としての研究意義もあると考えられる。	
	
②	 先行研究	
	 負債デフレ論の先行研究は多い。そのうち理論的アプローチのサーベイの多くは、エージェ
ンシー・コスト・アプローチのような、マクロ的に非中立的な問題(予期せぬデフレ、銀行の預
金保有行動)の実体経済への影響を分析したものだ。FRB 総裁のベン・S・バーナンキは、負債デ
フレーションについて度重なる研究を続けている6
。彼の20年間にわたる大恐慌のマクロ経済
学について書いた9本の論文をまとめた Bernanke	(2000)の第三章では、大恐慌の原因に関する
研究には、国際金本位制度に関わる大混乱状態を起因とするものが多いとしながら、それまで
の研究では特に関心が払われてこなかった、実質賃金と金利、さらには金融契約の物価との非
連動性に注目して、デフレーションの経済への影響を考察している。デフレーションは銀行が
パニックに陥った主たる原因であり、その銀行パニックが信用フローに悪影響をもたらす程度
にしたがって、実態経済も影響を受ける。バーナンキはそのような物価下落が実質賃金、実質
金利を通じて金融部門に影響を与える第一の影響とし、さらに第二の潜在的影響として予期せ
ぬデフレーションが金融契約のメカニズムを通じ 1930 年代の米国経済に実質的な影響を与えた
負債デフレーションがあると考える。	
現代の標準的な経済学では、貨幣的ショックの実質効果は短期的なものであり、長期的には
そのショックは失われると考える。しかし実際には負債を含む金融契約の多くが名目値で設定
されているため、予期されていないデフレーションは名目負債の実質的価値の上昇、それによ
る借り手の自己資本基盤の悪化を招き、借り手の金融上の立場を弱めてしまう。金融部門、非
金融部門にまたがる、負債デフレーションによって誘発された金融的困難(financial	distress)
は、たとえ企業が破産しなくても、経済活動に死荷重を与えるものである7
。こうして貨幣は負
債という媒介物を通し、経済への非中立性をもちえる。以上のようにBernanke(2000)は、大恐
慌において負債デフレ論の実証的可能性はあると言及しつつも、確実にその効果があったかど
うかについてはデータの制約からまだ検討が不十分であると結論づけている。	
5 Bernanke(1981)、(1983)、(1995)、(2000)、(2007)	や、King(1994)など。
6 Bernanke(1983),Bernanke	and	Gertler(1990)など。
7
	Bernanke(1990)でも同様の結論を導いている。
7
日本人の研究者も、負債デフレ論に注目している。藪下&田中(1995)は実物的景気循環論と
貨幣金融的景気循環論の対立に注目したうえで後者のほうが金融危機を十分に説明できるもの
とする。そして後者の立場に立ち、合理的な銀行にたいして予期せぬデフレがもたらす、銀行
の保有準備、ひいては貨幣乗数への効果について分析している。そして負債デフレが銀行の保
有する準備率を上昇させ、貨幣乗数を低下、つまり、貨幣供給量を抑制すると考える。そして
その程度は、パラメーターm1の大きさによる。もしm1が大きい、つまり、予期せぬデフレによる
不安から、預金者がより多く預金を引き出したり銀行が多額の準備金を保有しようとすればす
るほど、貨幣乗数は減少することになる。8
同論文ではそのような場合には、中央銀行は準備率
の大きさの調整だけでなく、m1を抑制するように人々の金融システム全体への信頼を回復させな
ければならないと結論付けている。9
	Gertler&Kiyotaki(2010)では、標準的なフレームワーク
を使い、いかに金融の仲介物における乱れが実体経済に影響をもたらすか、またそれをどのよ
うに中央銀行が緩和するのか分析している。そして同時に、そのような金融システムの不安定
性をマクロ経済学に内在化する分析は最近20年間でも行われてきたものだと、Dimand(2014)
とは対照的に、現代の経済学者を擁護している。	
	 解決策として積極的な中央銀行の役割を強調する論文が多い中で結論がユニークなのが、
Eggertsson	&	Krugman	(2012)である。その中では負債デフレ論の理論的側面に焦点を当て、ど
れだけのショックがもたらされるか、定式化が試みられている。そして興味深いことに、一時
的な財政支出は民間投資をクラウデイング・アウトすることなく、むしろ債権者に消費をうな
がすものだと主張している。	
以上のように負債デフレ論の数学的意義の主眼は、マクロ的に非中立的な問題を、合理的な
銀行モデルに組み込む点、いわゆるマクロ経済学のミクロ的基礎づけにあるといえるだろう。10
そして負債デフレ論を理解していたバーナンキは、実際に金融危機が生じた際に迅速な金融緩
和に移れた。彼は銀行システムを安定化させるための中央銀行の積極的な介入の必要性を歴史
に学んでいたのだ。	
8
	松本(2004)は、経済の不安定性をはかる尺度を名目賃金率が伸縮的に反応する速度とする点で
特徴がある。また内田(2007)はこのように人々の流動性選好が高まると利子率が上昇し、負債
デフレーションが発生しかねない状況を、Minsky(1975)と軸を一にすると指摘する。	
9
金融システムへの信頼の回復という意味では、インフレターゲティングがその手法の一つだ。
浅田(2007)は、期待インフレ率をもちこんだ「修正 IS-LM モデル」を用いて、流動性の罠のも
とでもリフレーション政策が有効であると示している。
10 負債デフレーション理論は約半世紀を経てニューケインジアン経済学の文脈の中で復活をと
げたと中島(2007)は述べている。
8
負債デフレ論の学説史からのアプローチはまずRobert	W	Dimandがいる。彼はフィッシャーに
ついて多数の著作を残しているが、特に負債デフレ論の系譜という意味では、Dimand(1994)で
負債デフレ論はトービン、ミンスキーによって引き継がれたと考える。また同じく学説史研究
だが中路(2002)で興味深いのは、フィッシャーが景気循環を否定していないと解釈する点だ。
フィッシャーは大恐慌以前の著作から、自らの景気循環理論の動態理論の構築を行っており、
Fisher(1933a)において初めて実物的要因を分析するようになったという。フィッシャーにとっ
て景気循環論の作用因とはW.S.ジェヴォンズの「太陽黒点説」や、H.S.ジェヴォンズの「太陽
の放射線」説、ヘンリー・ムーアの「金星説」のような単一的、外部的なものではなかった。
彼のいう景気循環の作用因はあくまで複雑で内生的なものであり、彼はそれらを九つの要因に
絞って分析し、そして投資機会をその始動要因においたのだ。そのようなフィッシャーを他の
景気循環論者との比較で整理したのが、Patrick&Leathers(2008)であり、ヴェブレン、フィッ
シャー、シュンペーター、ミンスキーの四者四様の負債デフレ論のカテゴリー分けを行ってい
る。そしてフィッシャーが発散的なモデルを想定している一方で、ヴェブレン、シュンペータ
ー、ミンスキーは、技術、金融における革新が経済に画一的な影響をもたらすと想定している
とする。さらにヴェブレン、シュンペーターが、技術革新が経済の変化において大きな役割を
果たすと考える一方で、ミンスキーの金融不安定仮説は、それを民間部門の金融革新と政府の
政策によって引き起こされる経済環境の変化に求める。ミンスキーにとって、ヴェブレン、シ
ュンペーターが考えるほど、技術革新は経済発展、変化の絶対必要な要因ではなかった。そし
てフィッシャー、ミンスキーはともに金融資産、特に株価に注目し、デフレーションに対して
有効な策を金融政策に求めた。	
以上のように負債デフレ論の学説史の側面からのサーベイの意義は、負債デフレ論がどのよ
うな景気循環理論の構造を持ち、またどのように系譜されていったかという点にある。そして
負債デフレ論とは負債や物価などの貨幣的要因に注目した内生的景気循環論であり、それらを
受け継いだのはミンスキーであったといえるだろう。負債デフレ論者であったヴェブレン、シ
ュンペーターがあくまで景気循環論者であり政策介入の必要性を唱えなかった一方で、フィッ
シャー、ミンスキーの両者は金融資産の価格の変化から積極的な金融政策の必要性を理解して
いたのだ。	
これまでの議論をまとめると、従来の負債デフレ論の数学的アプローチの多くは、負債デフ
レ論が重要視するマクロ的に非中立的である物価、負債といった貨幣的要因をマクロ経済学の
モデルに組み込み、実物経済への波及効果を明らかにする点にあった。そしてさらに学説史か
らの分析では、負債デフレ論の系譜が明らかにされ、フィッシャー以外に負債デフレ論を適切
9
に理解していたのがミンスキーであったことがわかった。両者は介入政策の必要性を唱えた一
点では共通しているが、フィッシャーからミンスキーに至って負債デフレ論が幾つか修正が加
えられている。Patrick&Leathers	(2008)では、①インフレ率の下落は、支払協定を満たすた
めのキャッシュ・フロー圧力を作るような絶対物価の下落と等しいこと、②資産の投げ売りに
つながる実質利子率の上昇は、フィッシャーの分析したような苦悩からの資産の流動化に似て
いるという修正が加えられたとした。またWolfson(1996)では①産出物価格の下落の関係性、②
銀行の役割、③負債デフレプロセスの始まり、④資産価格の下落の役割の四点で修正があった
とされている。	
③	 本論文の視点	 	
	 ミンスキー自身も負債デフレ論と同様に、彼独自の金融不安定仮説がサブプライムローン問
題を分析するうえで脚光を浴び、注目されている存在である。負債デフレ論がミンスキーによ
ってどのような修正が加えられ完成していったのかという研究には、負債デフレ論研究、ミン
スキー研究という二重の意義があるといえるだろう。	
	 そして本研究では従来までの研究では使用されてこなかった景気循環理論をツールとして、
負債デフレ論の変遷に新たな視野を提供する。そのような学説史と景気循環の関係について、
先行研究としてインスピレーションを受けたのが、篠原(1991)である。篠原は「過少消費説」
と「過剰投資説」という二大理論の有効性を、コンドラチェフサイクルの側面から分析した。
篠原は「過少消費説」の代表論者としてケインズ、「過剰投資説」の代表としてハイエクを例に
挙げ、「ハイエクの完全雇用というのは、労働力の完全雇用というよりは資源・エネルギー制約
に近い状態である」(163頁)とした。そしてその制約状態とは、コンドラチェフの長波の天井
近くを意味し、そのような状態でこそハイエクの警戒した「インフレと失業の併存」が生じ、
高金利の持続、クラウディング・アウトの恐れが顕在化すると考えた。そして異なる経済学説
の取り扱いについて、「長期波動の局面の相違いかんにより、あるいはハイエクが蘇り、あるい
はケインズが蘇る。どちらにひいきすればよいかを考えがちの、日本のエコノミストほど滑稽
な態度はない」(篠原(1991)176頁)と、コンドラチェフサイクルの局面、時代ごとの理論の
重要性の推移を指摘した。さらに嶋中は篠原の分析を引き継ぎ、嶋中(2009)でコンドラチェフ
サイクルに基づいて、学説史の循環論を提唱している。	 	
	 以上のように本論文の視点である学説史の変遷を景気循環論から分析する手法は、篠原、嶋
中の影響を大きく受けている。このように経済学者の思想的変遷を文章的にだけでなく、視覚
10
的に客観性を備える機能があると考えられる。そしてさらに今回はフィッシャー、ミンスキー
の関係を簡潔に説明できる点から、Hicks(1965)の玉突き台の理論を用いる。	
④	 まとめ	
	 フィッシャーによって生み出された負債デフレ論とは、現代の経済現象についても十分有用
な理論である。そして本論文はその歴史的系譜を、フィッシャーからミンスキーに見る。そし
てその際に分析ツールとして、玉突き台の理論を用いる。
11
第二節	 フィッシャーの景気循環論	
	
	 本節では、フィッシャーの景気循環論の変遷について論じる。フィッシャーは 80 年にわたる
長い生涯で多数の著作を残したが、景気理論や景気政策論は彼の中心的な研究テーマの一つで
あり、その理論は常に変化し続けてきたものだ。本章の結論は以下の二つである。第一にフィ
ッシャーの循環論は、『利子率』	(Fisher(1907))における「フィッシャー交換式」11
、『貨幣
の購買力』(Fisher(1911))での「貨幣数量説」12
という貨幣的要因に注目した循環論から、『好
況と不況』(Fisher(1932))では「新たな投資機会」、「過剰負債」という実物的要因が組み合
わさった、より広範な循環論へと変遷していったということである。13
第二に、内部負債の量の
変化に伴い、『貨幣の購買力』(Fisher(1911))において彼が想定していたのが振り子的な自己
収束モデルであったのが、『好況と不況』(Fisher[1932])においては転覆した船に例えられる、
より不安定な発散的なものへと変化していったということだ。以下では彼の循環論の変遷を、
彼の三つの代表的な著作に基づき①から③まで時系列で述べていく。そして④では Palley(2008)
に基づき、フィッシャーの景気循環理論がより不安定なものへと変化したことを述べる。	
	
① 『利子率』(Fisher(1907))	
	 本節では彼の景気循環理論の変遷の出発点を、物価水準と利子率の相互作用に関する優れた
モノグラフである『利子率』(Fisher(1907))に求める。フィッシャーはこのモノグラフの第
一部(理論編)において、「フィッシャー方程式」を導出した。そして第二部(実証編)において、
世界の主要金融センターのデータを用いて、以下の四つの事実を導きだす。①高い物価は高い
利子率に、低い物価は低い利子率に対応する。②物価および賃金の上昇と下落は、利子率の行
程に対応する。③物価(あるいは賃金)の変動に対する利子率の調整は不十分である。④この
調整は、短期間よりも長期間に対してより十分となる。そして特にフィッシャーは、③の名目
利子率と、物価上昇率の調整のずれから企業利潤、銀行貸し出しの変動が起き、経済の循環が
始まると考えた。14
	
	
	
11 j = i + a + i ∙ a	 (j=名目利子率, i=実質利子率、a=物価上昇率)
12 MV + M)
V′ = PT	 (M=平均的な[現金]通貨量,V=現金の流通速度,M’=預金通貨量,V’=預金
の流通速度,P=単一量で表した価格水準,T=単一量で表した取引量)
13 フィッシャーの景気循環論の変遷が三書に渉るという見解については、中路(2002),古川
(2005(1),(2),(3))を踏襲した。ちなみに田中(1996)や Assous(2013)は、『利子率』を除
いた二書に変遷を見いだす。
14Fisher(1907)pp.75-78 を参照した。
12
② 『貨幣の購買力』(Fisher(1911))	
	 『貨幣の購買力』(Fisher(1911))においてより彼の循環論は体系的にまとめられる。冒頭
でフィッシャーが本書の目的を古典的な貨幣数量説の再論述と拡充と述べているように、本書
はしばしば貨幣数量説や物価理論に関する基本文献として扱われる。しかし同時に貨幣数量説
はフィッシャーの景気循環論の主軸の一つであることも忘れてはならない。フィッシャーは、
貨幣の流通速度 V と取引量 T が一定である限り、貨幣数量説は正しいと考える。15
また、現金通
貨 M と預金通貨 M‘とを区別し、両者は一定的な比例関係を持っていると考えた。両者の比例関
係が成立しない期間、物価水準の上昇ないし下落が見られる機関を「過渡期」(Transition	
Periods)とし、ここに景気循環との関係を見いだそうとした。	 	
	 フィッシャーは景気の変動については、以下のように考えていた。(Fisher(1911)p.63)	
1	 物価が上がる。	
2	 V と V’が上昇する。名目利子率も上昇するが、十分ではない。	
3	 利潤が増加し、借り入れが増える。そして T が増加する。	
4	 M’が M に比例して拡大する。	
5	 物価は上がり続け、1に戻る。	
	 まずなんらかの原因によって M が増加し P が上昇した場合、名目利子率 j はすぐには反応し
ないため、実質利子率 i は下落する。企業が主に銀行からの借り入れに依存して投資をすると
考えると、実質利子率 i の下落は企業の借り入れコストの減少であるため、借り入れが増える。
是に伴い名目利子率 j も上昇するが、その動きは鈍い。しかし一応名目利子率 j は上昇してい
るため貸し手であり銀行もよりいっそう貸し出しを増やす。これによって前述の M の増加に伴
ってその一定比例分増加していた M’が、さらに増加する。これによって P はさらに上がる。こ
のような貨幣的累積過程が、フィッシャーの意図する好況のプロセスである。	
	 そして以上のプロセスは名目利子率 j が物価上昇率 a よりも上昇したとき、つまり実質利子
率 i が上昇し始めたときに行き詰まる。フィッシャーはこの名目利子率 j の急騰の理由を、以
下のように述べている。	
	
「遅れはしたが、(名目)利子率はしだいに歩調をはやめて上昇する。そしてその率が物価上昇
率を超過するやいなや全局面は変わる。もし物価が年率2%で上昇しているなら、ブームは(名
目)利子率が2%高くなるまでつづくだろう。(名目)利子率の上昇は、物価の上昇を相殺する。
15 笹原(1985)は、フィッシャーのそのような均衡状態と「過渡期」つまり現実とを区別しよ
うとしていた姿勢に、フィッシャーが実物面での景気循環はあり得ないという貨幣ヴェール観
に基づき、セイの法則をあくまで守ろうとする立場が貫かれており、それが彼の一種楽観的な
景気循環論にも現れていると指摘する。
13
銀行は銀行準備額に対して不自然な貸出額の拡大に耐えきれず、自己保守のための利上げを強
制される。(名目)利子率が引き上げられるや否や、借り手はもはや大きな利益をなすことを望
むことはできなくなり、貸し出し需要は拡大をやめる。」(Fisher(1911)p.64)16
	
	
	 フィッシャーはそのような預金通貨の拡大を制限し、縮小させる銀行の利上げの他の原因と
して、「法律や(銀行経営上での)思慮の双方に基づいて預金通貨の量は銀行準備額のある最大
倍数以下に制限されているし、銀行準備額それ自体も利用可能な(手元)貨幣量によって制限
されている」(Fisher(1911)p.64)17
ことに触れている。	
	
	 このようにしておそかれはやかれ預金通貨の限界、貸し出しの限度に到達し、貸し出しの抑
制、そのための名目利子率の引き上げが実施されることになる。そして、	
	
「利子率は恐慌相場まで上昇する。窮地に追い込まれたこれらの企業者は負債を返済するため
に通貨をもたなければならないが、それをえるには高い利子を甘んじて支払わざるを得ない。
(そこで)かれらの一部は破産の憂き目を余儀なくされるが、そのようにして破綻が起きれば
借り入れ需要は減退する。価格の上昇運動の最大局面は恐慌と呼ばれるものである。つまり恐
慌は破産によって特徴付けられる状態であり、貨幣をもっとも必要している時にそれが不足す
るために破産がおきるのである。」(Fisher(1911)p.65)18
	
	
	 銀行側の貸し出し金利の引き上げの結果、高い借り入れ金利を払えない債務者は破産する。
すると、借り入れ M’も減少する。先の5つのプロセスに従い、今度は P が下落する。こうして
不況が発生する。	
フィッシャーは以上のような信用サイクルを、振り子の運動に例える。そしてそのような振
り子は約十年周期で訪れ、そのような安定均衡を妨げる要因として最も多い①貨幣量の増加に
加え、②経営面での事業者の確信に対する衝撃③個々の取引量に影響する農業の不作④発明を
あげる(Fisher(1911)p.70)。	
フィッシャーは①のようなケースとして、1907年の危機があるとする。(Fisher(1911)
p.70 脚注)19
彼によれば1907年の危機は1857年の危機と同様、貨幣拡大による危機であ
16 笹原(1985)の邦訳を参考にした。
17 同上。
18 同上。
19 名目利子率と実質利子率の上昇のズレが及ぼすプロセスについては、フィッシャーはすでに
『利子率』で「そのような累積課程は滅多にないがその影響は深刻である。」(p.336)と述べて
14
る(Fisher(1911)p.279)。フィッシャーは彼の貨幣数量説を構成する関連数値を集め、19
07年に信用サイクルは最高点に達したことを明らかにする。20
	
	
	 預 金
(bil
lions
)	
準 備 金
( milli
ons)	
預 金 /
準備金	
手 形 交 換
(billion
s)	
M’V’
( bill
ions)	
	
物価指
数	
	
物 価
上 昇
率	
名 目
利 子
率	
実 質
利 子
率	
1904	 3.31	 658	 5	 113	 228	 113.2	 0.7	 4.2	 3.5	
1905	 3.78	 649	 5.8	 144	 279	 114	 5.3	 4.3	 -1	
1906	 4.06	 651	 6.2	 160	 315	 120	 6.6	 5.7	 -0.9	
1907	 4.32	 692	 6.2	 145	 323	 127.9	 -1.7	 6.4	 8.1	
1908	 4.38	 849	 5.1	 132	 294	 125.7	 	 	 4.4	 	 	
	
	 フィッシャーは三番目の預金準備金比率について、もし彼の言う銀行の利子率引き上げの説
が正しいという前提のもとで、以下のことが言えるとしている。	
	
「準備金に対する預金の高い比率がきっかりと、銀行に彼らの割引率を上昇させ、信用の更な
る拡大を引き締めた。そして危機とそれにつづく短期間の不況がやってきた。」(Fisher(1911)
p.272)	
	
	 またこれと関連して印象的なのが、フィッシャーなりの景気対策論の曖昧さである。彼は同
様に貨幣供給量の少なさに注目した『好況と不況』(Fisher(1932))で繰り返し積極的なリフ
レーション政策を訴えるのだが、この時点では人々への経済学の知識の波及を唱えているにす
ぎない(Fisher(1911)p.323)。本書も同じく貨幣数量説、交換式に基づく分析であり、そう
いう意味で経済学的な対応を全く言及していない訳ではないが、物価変動の緩和をあげるにと
どまっている。後述するように、フィッシャーの思想の変遷の一端がここに見受けられる。	
	 以上のようにフィッシャーは、名目利子率の調整の遅れの原因を具体的に貸し手と借り手の
契約の存在に求め、また新たに導出した「貨幣数量説」に基づき、物価上昇の最大要因を貨幣
に求めた。古川(2005(1))は、このように企業の費用要因を、名目利子率の物価の変化に対する
いる。ここにも二書に渉るフィッシャーの貨幣的景気循環理論の一貫性が見られるだろう。	
20 預金と準備金は翌年も上昇している。これについてフィッシャーは、預金は前年と比べて大
きく変化していないこと、準備金については彼が想定した通り銀行が危機の後に自己強化のた
めに準備金を拡大していることが現れているとする。
15
調整の遅れのみに求めた彼の循環論は、他の費用として物価と賃金の調整の遅れも指摘した
1912 年のミッチェルによる『貨幣の購買力』の書評で批判され、これ以降フィッシャーは、企
業の費用の定義を広げるようになると分析する。	
	
③ 『好況と不況』(Fisher(1932))	
	 そのような彼の実物要因に注目した循環論が完成したのが、『好況と不況』(Fisher[1932])で
あった。フィッシャーはここで新たに「投資機会」と「過剰負債」という二つの実物的な問題
を設定する。何らかの技術進歩21
・発見によって開拓された新たな投資機会は、企業の借り入れ
による投資を生み出す。そのような「投資」活動は一時的には利益を生み出すが、のちに新規
参入者の「投機」活動によって世の中全体で負債が積み重なり、過剰負債な状態となる。そし
て過剰負債を心配したことからの預金の切り崩し、負債の投げ売りによる現金の確保が、世の
中に出回る貨幣量の減少、物価の下落につながり(貨幣数量説)、企業の実質負債は増加する。
つまり、バランスシートが悪化する。また一方で物価が下落していることに加え、名目利子率
は固定的であるので、実質利子率が上昇する(フィッシャー交換式)。バランスシートの悪化、
実質利子率の上昇22
という二つの要因から、企業はより生産活動を控えることになる。こうして
景気の「螺旋的な悪循環」(the	vicious	spiral	downward)が生じる。そしてそれらの問題の根
源にあるデフレーションを解決するために、フィッシャーはリフレーション政策を唱えた。	
景気循環論の文脈で負債デフレ論を整理すると、新たな視点が見えてくる。それは負債デフ
レ論がどれだけ発散的なモデルであるかという点だ。まず景気循環論は、経済体系外部からの
衝撃から循環が始まるとする「外生要因説」と、体系内部での相互作用から発生するという「内
生要因説」、そして両者を併合した、最初は外部から衝撃を受け、その後は内部要因によって繰
り返されるという「混合要因説」の3つが存在している。そして「混合要因説」の説明体系と
してしばしば、振り子、もしくは揺り椅子が例えに用いられる。まず外部から衝撃を受けて揺
り椅子が動き、揺り椅子の内部構造によって振動は自然に収縮するか、あるいは規則的に振動
しつづける。そして振動がしだいに消滅していくか(減衰運動)、逆に振動がますます激しくな
21 フィッシャーは本書の要約である Fisher(1933)で、技術進歩が大恐慌の原因となったと主
張するが、1929 年から 1941 年にかけてラジオ、電気、航空機など、アメリカは歴史上もっとも
技術進歩が盛んな時期であった。しかしそれがなぜ恐慌につながったのかという点は明らかに
されておらず、フィッシャーが非難されている点でもある。ここでフィッシャーが強調したい
点は、何らかの現実的な期待上昇要因が人々に過剰負債を抱えさせ、いつの日かそれが恐慌に
つながるという点である。	
22
	古川(2005(2))は、シュタインドルの言葉を引用しながら、負債デフレ論は過去の著作と比較
して利子率の役割が大きく後退していると指摘するが、筆者はフィッシャーの「真に重要な攪
乱は、この実質利子率と貨幣利子率のかい離である。」(pp.38-39)という言葉から、フィッシャ
ーが利子率の役割を相変わらず重視し続けていたと考える。
16
る場合(発散運動)が考えられる。この文脈で考えると、フィッシャーの負債デフレ論は「新
しい投資機会」という「外生要因」を起因とし、「フィッシャー交換式」と「貨幣数量説」とい
う景気の機動力として金融面を重視する「内生要因」に基づいた「混合要因説」であるといえ
るだろう。	
景気循環論の大家である G・ハーバラーは、負債デフレ論の景気循環論の中での位置づけを試
みている。ハーバラーによると、負債デフレ論は①巨額な負債の存在はデフレーションを激化
させる傾向を持つ、②過剰債務の状態が恐慌を促進する原因となりうるという二点を含んでい
る。そして①の過剰債務がデフレーションを招く点については景気循環の説明体系の中に位置
を占められるという意味で賛同するが、②の過剰債務が大恐慌の原因となる点については根拠
が脆弱であると彼は否定する。彼はフィッシャーのいう過剰債務とはつまり過剰投資の結果で
あり、いわば過剰投資こそが崩壊の第一要因だとする。またフィッシャーは負債が借入金によ
って担われている点を強調するが、確かに負債が借入金によって賄われている場合は投資ブー
ム崩壊の反響がはるかに大きくなるが、生産構造が均衡状態にないという意味で投資が過度で
ある場合には、株式、社債、自己資本によってでも、企業が苦しめられる点では変わらない。
またそもそも、もし生産構造が均衡状態にあるならば、過剰負債はそもそも特に問題にはなら
ないだろうと指摘している。以上のようにハーバラーは、デフレが景気下降圧力を高める点、
そしてそれが過剰負債と密接に関連すると深刻化する可能性については景気循環論の文脈で認
めるが、過剰負債とは過剰投資の結果に過ぎないと、恐慌の第一要因としては否定している。
この点は負債デフレ論が他の貨幣的景気循環理論と異なる特徴を持つ点だといえるだろう。	
	
④ 	 1911 年と 1933 年のフィッシャーの思想の相違点	
	 これまでフィッシャーの見解は、1907 年の『利子率』から 1932 年の『好況と不況』までの間、
一貫した景気循環論を構築していると述べてきた。しかし一方で、フィッシャーの考えが変化
している部分もある。それは経済の不安定性についての記述である。	
フィッシャーは Fisher(1933)で、景気変動を転覆した船の振動に例えている。そしてある
臨界点を超えてしまうと船は自力で元の状態に戻ることができず、むしろ波によってより離れ
ていってしまうという。つまり負債デフレ論は「発散型」のモデルを想定していたことが分か
る。一方、1911 年に彼が想定していたのは振り子の動きに例えられる「減衰運動」に近いもの
だった。23
この景気観の違いは、不況の解決策の温度にも及ぶ。フィッシャーは 1911 年の段階
では曖昧な知識教育を解決策として述べた一方で、1933 年にはリフレーション政策の必要性を
23 笹原(1985)は確かに『貨幣の購買力』(Fisher(1911))では実物的要因をかく乱要因とし
てあげているのを認めるが、重要なのはフィッシャーが循環が均衡状態へ吸収されていく傾向
があると考えている点だと指摘する。
17
強く訴えた。フィッシャーの思想にはどのような変化があったのか。Palley(2008)は、Tobin
(1975)のトービンモデルを基に、経済の安定性と負債の関係について分析している。以下は
Palley の分析に従い、IS-IM モデル、AD 曲線の文脈でその関係性を、3つのケースに分けて示
す。	
	
ケース①	 ケインズ、ピグー効果>トービン=マンデル効果	
	
まず以下の伝統的な IS-LM 曲線が用意される。	
	
𝐸 = 𝐸 𝑦, 𝑖 − 𝜋3
, 𝑀
𝑃 , 𝐺 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 						 	 	 	 (1)	
	
𝑀
𝑃 = 𝐿 𝑖, 𝜋3
, 𝑦 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 (2)	
ここで E は需要、y は収入、i は名目利子率、𝜋3
は期待デフレ率(インフレの場合プラスにな
る)、M は貨幣量、p は物価、G は政府支出、L は貨幣重要を意味する。	
	
(1)と(2)より AD 曲線	
	
𝐸 = 𝐸 𝑦, 𝑖 𝜋3
, 𝑀
𝑃 , 𝑦 − 𝜋3
, 𝑀
𝑝 , 𝐺 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 (3)	
	
が導出される。	
	
	 このとき、物価の下落は2つの相反する効果を示す。まずピグー、ケインズ効果に従えば、
物価が下がると総需要は増えると考えられる。ピグー効果に従って、物価の下落は貨幣の実質
的な購買力を増やすため、消費が増加する。つぎにケインズ効果にしたがって、物価の下落が
名目利子率の下落につながり、それが投資の増加につながる。一方で、トービン=マンデル効
果に従えば、物価の下落がデフレ期待の上昇につながり、それが実質金利を上昇させるため、
投資は減少する。両効果の大小関係によって経済の安定度合い、AD 曲線の傾きは変わる。	
(3)式を均衡産出量が完全雇用産出量𝑦∗
と等しいという古典的マクロ経済学に当てはめると、
均衡において、	
	
𝑦 = 𝑦∗
= 𝐸.	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 (4)	
	
となる。
18
	
またこの均衡式は、以下の三つの式(W-K-P モデル)24
によって成立する。	
	
𝑔< = 𝐴 𝐸 − 𝑦 		,				 	 𝐴? >0																																																			(5a)	
𝜋 = 𝐵 𝑦 − 𝑦∗
+ 𝜋3
.	𝐵? > 0	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 		 		(5b)	
𝑔CD = 𝐶 𝜋 − 𝜋3
, 	 			𝐶? > 0	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 		 	 	(5c)	
	
𝑔<は産出量の変化率、πはインフレ率、𝑔CDは期待インフレ率の変化量、y*は均衡水準を意味す
る。
	
長期均衡は、𝑦 = 𝑦∗
, 𝑝 = 𝑝∗
, 𝜋3
= 0によってもたらされる。このときの一次方程式は、	
	
𝑔<
Δ𝑝
𝑔CD
=
𝐴? 𝐸< − 1 𝐴? 𝐸H 𝐴? 𝐸CD
𝐵? 𝑝∗
0 𝑝∗
𝐶? 𝐵? 0 0
𝑦 − 𝑦∗
𝑝 − 𝑝∗
𝜋3
− 0
	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 (6)	
	
となる。このとき安定化条件は以下のように算出される。	
	
𝐸H 𝑃∗
+ 𝐸CD 𝐶? < 0	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 (7)	
	
	 このとき𝐸Hはピグー、ケインズ効果を反映しマイナス、𝐸CDはトービン=マンデル効果を反
映し、プラスの値を取る(Tobin(1975)199 ページ)。前者が大きくなり、後者が小さくな
れば、安定化条件は達成される。つまり、ピグー、ケインズ効果がトービン=マンデル効果
を上回ったとき、経済は安定化する。	
	
	 また(3)式を、縦軸を物価 p、横軸を期待インフレ率𝜋3
をとる AD 曲線として描写すると、	
曲線の傾きは、以下のように導かれる。	
	
	 	
𝛿𝑝
𝛿𝜋3 =
KLMNDOKL
KLMP
Q
RKS
Q
T/VW
> 0	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 						 	 (8)	
						このとき𝐸M 𝑖C3 − 𝐸M > 0 とする。	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	
	 	
24 Walras,Keynes,Phillips の理論に基づくことから。Tobin(1975)参照。
19
	 もしケインズ効果、ピグー効果がトービン=マンデル効果よりも大きければ、AD 曲線の傾き
は緩やかになり、価格の自動調節機能が働きやすくなり、経済は安定化する。また物価が下が
れば下がるほど AD 曲線は上昇するので、以下の図1のような総需要曲線が導きだせる。なおこ
の総需要曲線は横軸をインフレ期待とする点で従来の AD 曲線とは異なる。この図はインフレ期
待の上昇に伴い物価が上昇し、デフレ期待によって物価が下落する状態を示す。	
	
	
	
	 以下は図1のケースに、新たにフィッシャー効果(物価下落によって内部負債の実質負担が
増え、総需要が減少する効果)を加えて考察する。	
	
(1)式に内部負債 D を導入すると、式は以下のように変化する。	
	
𝐸 = 𝐸 𝑦, 𝑖 − 𝜋3
, 𝜋3
, 𝑀
𝑃 , 𝐷
𝑝 , 𝐺 	 25
	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 (1)‘	
25 ここでは新たに、 𝐷
𝑝 、 𝜋3
が加えられている。 𝐷
𝑝は実質負債を意味する。𝜋3
が加えられて
いるのは、前章において、デフレ期待が将来の消費や投資のために現時点での支出を押しとど
めるという効果についても分析しているからである。
20
	
	 負債を含めた IS 曲線(1)’と LM 曲線(2)より、AD 曲線は以下のように導出される。	
	
𝐸 = 𝐸 𝑦, 𝑖 𝜋3
, 𝑀
𝑃 , 𝑦 − 𝜋3
, 𝜋3
, 𝑀
𝑝 , 𝐷
𝑝 , 𝐺 . 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 (3)‘	
すると AD 曲線の傾きは、以下のように導きだせる。	
	
𝛿𝑝
𝛿𝜋3 =
KLMNDOKLRKY
ZLLP
Q
[ZS
Q
[ZYY P
W
> 0	、あるいは < 0	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 (8)‘	
このとき、 𝐸M 𝑖C3 − 𝐸M + 𝐸] > 0,		
𝐸M 𝑖T
H
+ 𝐸^
H
+ 𝐸] 𝐷 > 0、あるいは < 0とする。	
	
	 𝐸M 𝑖T
H
はケインズ効果を示しプラス、𝐸^
H
はピグー効果を示しプラス、𝐸] 𝐷はフィッシャー効
果を示しマイナスの符号を取る。この式から分かるように内部負債 D の導入によって、𝐸Hは小
さくなってしまう。それだけでなく D の量が多ければ、𝐸Hはマイナスになってしまう可能性も
ある。安定化条件を示す(7)式において𝐸Hはマイナスの符号をつけて調整されるので(8)‘式
の𝐸Hがマイナスになると、(7)式において𝐸Hはプラスになってしまう。つまり、安定化条件は
達成されなくなる。	
	 以上のように、Tobin(1975)で導かれた経済の安定条件は内部負債が導入されるとより不安
定なモデルとなる。26
Assous(2012)は、内部負債の量の違いが Fisher(1911)と Fisher(1933)
の結論の違いに繋がったと考える。Fisher(1911)の段階では負債の量が少なく(8)‘式の𝐸Hは
プラスの値をとるため(つまり(7)においてはマイナス)、フィッシャーは経済の自己回復機
能についてそれほど悲観的ではなかった。しかし、Fisher(1933)の大恐慌はそれまでのどの
危機よりも多くの負債を伴っていたため27
、負債の量は(8)’式の𝐸Hがマイナスになり、(7)
式においてはプラスになってしまったため、経済は自己回復が不可能な状態に陥ったと思われ
る。負債を盛り込んだ AD 曲線は、	 𝐸M 𝑖T
H
+ 𝐸^
H
+ 𝐸] 𝐷 が0よりも大きいか小さいかによって
その傾きが変わる。この傾きこそが経済の不安定性を示す。以下では内部負債の量の変化が総
需要にもたらす2つのケースを比較する。	
	
26 内部負債を IS-LM モデルに組み込んだ分析としては、Tobin(1982)、Palley(1999)も存
在し、両者は名目賃金と実質賃金の関係に注目する。
27 例えば Assous(2012)は Fisher(1933)の中でフィッシャーは、1921 年のデフレは 1929
年のデフレよりも、より少ない内部負債を伴っていたため、経済の自動回復機能は失われるこ
とはなかったと記述していることを指摘している。
21
ケース②	 ケインズ、ピグー効果>フィッシャー効果	
	 まず、 𝐸M 𝑖T
H
+ 𝐸^
H
+ 𝐸] 𝐷 >0の場合、AD 曲線の傾きは図1の時と同様、プラスを保つ。
しかしフィッシャー効果は負の符号を伴うため𝐸] 𝐷<0 であり、そのため値は小さくなる。つま
り(8)式に比べ分母が小さくなるため、AD 曲線の傾きは急になり、図2のように変化する。
このときインフレ期待が物価上昇を、デフレ期待が物価下落を伴う点と、物価が下がるほど総
需要が上昇する点は図1と変わらないが、傾きが急になったため、わずかなインフレ期待が大
きな物価上昇、わずかなデフレ期待が大きな物価下落をもたらす。	
	
	 このとき、まだケインズ、ピグー効果の方がフィッシャー効果よりも優位のため、物価が下
がれば総需要が増えるという位相には変化がない。しかし、傾きが急になったため、デフレ期
待の上昇がより多くの物価の下落を伴うように変化する。またケース①と比べて価格調整機能
の多くが失われ、経済は不安定になる。しかし全ての価格調整機能が破壊された訳ではないの
で、経済が自己的に回復する可能性はまだ残っている。筆者は Assous(2012)の記述から、お
そらくこのときの状況が Fisher(1911)の状況に当てはまると考える。28
	
28 この図はより我々の現実の経済状態を示しているとも考えられる。Palley(1999)では結論
において現実の経済にはつきものの負債を除いた分析は間違った分析であるかもしれないと警
鐘を鳴らしている。
22
ケース③	 ケインズ、ピグー効果<フィッシャー効果	
	 次に、 𝐸M 𝑖T
H
+ 𝐸^
H
+ 𝐸] 𝐷 <0の場合、AD 曲線の傾きは図1、図2と異なり、マイナスの
値を取る。フィッシャー効果がケインズ、ピグー効果を上回った結果、AD 曲線は図3のように
変化する。	
	
	
	
	 このとき物価が下がれば景気が悪くなると考えられるため、AD 曲線の位相は変化する。また
インフレ期待によって物価は下がり、デフレ期待によって物価が上がるという異常な状態に陥
り、価格調整機能は全て失われる。筆者は先ほどの図2のケースと同様、おそらくこの状態が
Fisher(1933)で描写された大恐慌を示すと考える。このとき市場の自己回復機能は期待でき
ない。そのため中央政府による介入政策、とりわけ、価格調整機能を取り戻すような中央銀行
の介入政策が必要になるとフィッシャーは考えたと思われる。	
	
	
⑤	 まとめ	
	 以上のように、フィッシャーは 1911 年と 1933 年で一貫した景気循環モデルを持ちつづけて
23
いたが、1911 年の段階で不均衡は局地的にあると結論づけたのとは対照的に、1933 年では不均
衡は大局的にあると考えた。これは Fisher(1911)では内部負債の量が低く推定されていたため
価格の自動調節機能は残っており、デフレのマネーサプライへの影響は限定的であることから
最終的に経済は完全雇用に回復すると考えてられていた反面、Fisher(1933)の分析では大恐
慌はそれまでのどの危機よりも大量の内部負債があった点から価格の自動調節機能が失われて
おり、経済の自己回復は不可能であると考えられていたためであると言えるだろう。
24
第三節	 ミンスキーの景気循環論	 	
	
	 本節ではミンスキーの景気循環論の構造を明らかにする。本節の結論は3つである。第一に、
ミンスキーが経済の不安定性、循環性、金融の役割を重視していたこと。第二に、景気循環の
プロセスを「平常」、「危機」、「負債デフレ」の3つに分けて分析したこと。そして第三に、ミ
ンスキーにとって景気循環とは不安定な人間の心理と金融に立脚して成り立つ資本主義の宿命
であるが、現代の経済学者は必ずしもミンスキーの本意について理解が及んでいないと思われ
ることである。以下ではまず①でミンスキーの基本的な問題意識を明らかにし、②から⑤まで
を Minsky(1975)に基づき彼の「金融不安定性仮説」を説明し、⑥では Minsky(1986)に沿っ
てミンスキーの景気循環論の循環性を明らかにする。そして⑦では現代の経済学者に言及し、
筆者の見解を述べる。	
	
①ミンスキーの基本的な考え	
	 世界的な金融・経済危機が起こるたびに、主流の経済学には疑念が寄せられ、異端の経済学
者に注目が集まる傾向があると思われる。サブプライムローン問題後に注目が集まっているの
が、負債デフレ論を新たに受け継いだミンスキーの「金融不安定性仮説」である。ミンスキー
はポストケインジアンとして分類される、いわば傍流の経済学者であった。金融危機が生じる
たびに彼の主張するような、資本主義に内在する金融システムの脆弱生に注目した理論は注目
を浴びてきた。29
		
	 ミンスキーはフィッシャーの負債デフレ論を純粋に発展させたとは言うよりは、彼の新古典
派経済学への問題意識の下で負債デフレ論に至る金融システムを明らかにしたといった方が適
切である。ミンスキーの金融理論の基本的な姿勢は以下のように考えていた。	
	
	 私の主張したいのは、『一般理論』の無視されてきた側面の中に、資本主義の経済過程にかん
して、現在われわれが当面している経済分析上の課題と政策問題にとって、標準的な経済理論
が内包しているよりもはるかに適切な理論が存在していることである。(Minsky(1975)p.ⅴ	,
邦訳 pp.ⅴ〜ⅵ)	
	
	 ミンスキーは Minsky(1975)の序論で、ケインズの『一般理論』の中でケインズによって提
起されたが、その難解さから主流の古典派経済学という古い思考枠組みに取り入れられず棄却
された部分こそが『一般理論』の本質なのだと言う。そしてそれらは具体的に以下の三つの理
29 サブプライムローン問題との関連で述べたものとして服部(2012)、アジア危機との関連性に
ついては内野(2012)がある。
25
論であると述べる。	
	
	 新古典派統合の発展の過程で無視されているものの本質は、次の三つの表題に分類すること
ができる。すなわち、不確実性下での意思決定、資本主義の経済課程の循環的性格、そして先
進資本主義経済における金融上の諸関係の三つである。(Minsky(1975)p.ⅸ,邦訳 pp.ⅺ〜ⅻ)	
	
	 つまりミンスキーは『一般理論』で述べられている「不確実性」、「循環論」、「金融」という
要素が重要であるが、標準的なケインズ経済学の理解では、それらは見過ごされていると考え
る。この中でも「不確実性」が最も重要であり、「不確実性を含まないケインズ理論は王子の登
場しない『ハムレット』のようなものである」(Minsky(1975)p.57,邦訳 86 頁)という。また
「不確実性」と「金融」について、「今日の標準的なマクロ経済学を生み出した伝統的なケイン
ズ解釈は、金融の側面の詳細を捨象してしまい、したがって本来金融と深く係っている経済状
況——つまりブーム、危機、そして債務デフレ——を捨象してしまった」(Minsky(1975)p.63,邦
訳 95 頁)とあるように、金融危機の一連の流れとして含まれる。以下ではミンスキーの主張に
ついて述べる。	
	
②	 ミンスキーの「金融不安定性仮説」	
	 ミンスキーは多くの著作を残しており、そのなかでも Minsky(1975)、Minsky(1982)、Minsky
(1986)が三大著作として上げられるが、その三書にわたるミンスキーの資本主義観は金融の
不安定性について注目している点で一貫している(Minsky(1986)邦訳 429 頁、吉野あとがき)。
そしてそのアウトラインは、Minsky(1975)で示される。以下ではそれらの認識に基づき、ミ
ンスキーの不安定仮説について述べる。	
	 ミンスキーはケインズの『一般理論』のよく知られている理解では、ケインズが本当に伝え
たかった経済の潜在的な不安定性について十分ではないという問題意識の基で、新たにそれを
述べ直す必要があると考える。そしてその金融不安定性の理論の中で負債デフレ論に至るブー
ム、危機の過程が述べられている。彼によればフィッシャーの負債デフレ論はその始要因につ
いての説明が不十分なのである。30
	
	 またミンスキーとフィッシャーの負債デフレ論は次の二つの点で異なると思われる。	 	 	
30 「Fisher は負債デフレーション過程を見事なまでに活写している。ところが、その著者のフ
ィッシャー自身であれ、あるいはケインズであれ、負債デフレーションの過程がどのようにし
て引き起こされるのか至るかについて説明している訳ではない。」(Minsky(1982)p.226,邦訳
330 頁)
26
	 第一に、ミンスキーはフィッシャーと違い、市場利子率を重要視していない。ミンスキーは
フィッシャー同様に貨幣数量説を用いるのだが、貨幣量の増加が物価の上昇をもたらし、実質
利子率と名目利子率の乖離を引き起こすことでもたらされるというフィッシャーの景気循環は
受け継いでいない。これは彼が利子率よりも、不確実性の下での投資の意思決定には主観が重
要であると考えた点と関連があると思われる。投資家が楽観的であれば全体の投資は増加し総
需要が増加するが、悲観的になればその逆が起こる。またミンスキーは貨幣の役割については、
むしろ資産価格との関係について注目する。	
	 第二に、両者は不況への解決策についても見識が異なる。負債デフレ局面においてフィッシ
ャーが積極的な金融緩和を主張した一方で、ミンスキーはMinsky(1986)で、同様に中央銀行
の「最後の貸し手」としての役割とともに、政府の財政赤字が必要であるとする。ミンスキー
は貨幣量と資産価格には対数的な関係があることについて認めているが、負債デフレーション
下での金融緩和の効果については懐疑的である。これはミンスキーが後にMinsky(1986)で新
たに明らかにしたように、貨幣量と資産価格の関係について、負債デフレは通常の状態と異な
り、流動性の罠が生じているため、金融緩和の効果が薄いと考えているのが理由だろう。これ
については⑦でMinsky(1986)と、服部(2012)との関連で再述する。	
	
③	 前提条件	
	 以下ではフィッシャーの負債デフレ論につながるミンスキーのブーム、危機の過程という「金
融不安定性仮説」を明らかにする。ミンスキーはまず実物資産価格の需要価格𝑃_を以下のよう
な関数として想定する。	
𝑃_= 𝑃_ 𝑞, 𝑀, 𝑐 − 𝑐 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 (1)	
∂𝑃_
𝜕𝑞
> 0,
∂𝑃_
∂𝑀
> 0,
∂𝑃_
𝜕𝑐
> 0	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 (2)	
となる。このとき、𝑞は保有する株等の資産がもたらすと考えられる見込み収益、キャッシュ・
フローを意味し、𝑞の現在割り引き価値が𝑃_となる。31
また、貨幣量Mの増大は、長期期待の状態
が与えられた場合、𝑃_を上昇させる。𝑐は借金の返済額、 𝑐は金融市場が安定的に活動するだろう
という予測の度合いを示す。受け入れ可能な借金が増えるほど、資産価格は高くなる。	
	
31 実物資産の現在価値の割引率として、(1 + 𝑟 + 𝑙)が用いられる。𝑟はケインズが『一般理論』
で用いた利子率で、𝑙はミンスキーが新たに加えた流動性プレミアムである。ミンスキーは、将
来は不確実であるため経済主体は不慮の自体に備え、換金が容易な流動資産を保有したがると
考え、割引率に流動性プレミアムを付け加えた。内野(2012)は、ミンスキーがケインズの理
論を発展させた点として、𝑃_関数を用いて銀行や企業の債務構造が資産の需要価格に与える影
響について、ケインズよりも詳細な分析を行っている点だとしている。
27
	 次に見込み収益𝑄について𝑃_との関係を求める。𝑄は生産に用いられる機械等の投資財、生産
材の見込み収益をさす。また𝑄 = 𝑞 − 𝑐 − 𝑙である。
	 このとき
𝑃_ = 𝑃_( 𝑀, 𝑄)	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 (3)
∂𝑃_
∂𝑀
> 0,
∂𝑃_
𝜕𝑄
> 0	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 (4)
	 となる。𝑄は𝑞同様キャッシュ・フローを意味し、その現在割引価値が𝑃_となる。このとき見
込み収益𝑄の割引率は、投資量によって変化する。投資が増えることで割引率は小さくなり、実
物資産の需要価格は下落する。投資量と割引率の負の関係をミンスキーは「借り手リスク」と
呼ぶ。32
	 「借り手リスク」には二種類ある。第一に投資先の分散による「借り手リスク」がある。未
来が分からない現実の世界では、危険回避者は危険の分散を図り、一つの実物資産や事業に全
ての資産をかけるような無謀なことはしない。そのため、ある実物資産の保有量がある限度を
超えると、その資産に適応される割引率は上昇する。そのため資産の需要価格は下落する。
	 第二に、債務返済にともなう「借り手リスク」がある。借金をして投資をしている場合、元
利を返済する義務が生じる。しかし企業の利益の見込みは不確実である。その結果、負債によ
って多額の投資が行われるのなら、その投資の安全性が損なわれる。これも割引率を上昇させ、
資産の需要価格を下げる。	
	 したがって「借り手リスク」故に、実物資産の需要価格は借金が増えるにしたがって次第に
低下する。そしてこの「借り手リスク」は「主観的なものであり、決して正式の契約の中には
あらわれてこない。それは不確実性の『微妙な変動』やアニマルスピリットの『急変』を反映
するものである」(Minsky(1975)pp.109-110,邦訳173頁)	
	
	 次に実物資産の供給価格𝑃gを求める。ケインズの『一般理論』に基づき、以下のような関数を
想定する。	
𝑃g = 𝑃( 𝐼)	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 (5)	
∆𝑃g 𝐼
∆𝐼
> 0	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 (6)	
	 	
また、見込み収益と投資の供給価格を結びつけると、	
32 割引率の詳しい分析については、Minsky(1975)第五章「投資理論」を参照すること。
28
𝑃g =
𝑄j 𝐾j, 𝑌j
(1 + 𝑟)
j
j
jm?
						 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 (7)	
	
𝜕𝑄M 𝐾j, 𝑌j
𝜕𝐾j
< 0	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 	 (8)	
となる。𝑟は市場金利とは異なる割引率である。𝑄jはn期末の期待収益とする。また見込み収益𝑄
は資本の希少性に基づく。	
	(6)式のように、投資が増えれば資産の供給価格が上がる現象を、ミンスキーは「貸し手リ
スク」と名付けた。「貸し手リスク」は正式の契約に現れているものだ。借り手の企業がその企
業規模に比べて多額の資金を借り入れるほど、貸し手は融資を回収できないリスクが高まる。
すると例えば利子率の引き上げなどが行われる。予定返済額から自己資金だけで行われる場合
に失われると想定される「機会費用」を控除した額の割引現在価値が供給価格に上乗せされ、
供給価格関数は上昇する。「かくして借入金がある値を上回ると、PI曲線は上昇を開始し、し
かもその上昇率は逓増するものと考えられる。」(Minsky(1975)P174、原著110ページ)	
	 以上の二式から、実物資本の需要、供給関数が求められた。このとき𝑃_ > 𝑃gならば利益を上
げることができるため、投資が行われる。これを図に示したのが以下の図1である。
	
	
	 QQ曲線は内部資金の制約線であり、QQ曲線を超えると借金が生じ、リスクが生じる。𝐼nの段階
では投資は全て自己資金で行われているため、リスクは生じない。「投資額は借り手リスクと貸
し手リスクが交差した点で決まるという点に、ミンスキーの特徴がある」と内野(2012)は定
29
義するが、正確には「借り手リスク」と「貸し手の限界リスク」の交点である。33
	
	 	
③	 企業の投機的行動	
企業の投機的投資行動は以下の三段階からなると、徳江(2003)は整理する。そしてそれは
図2のように描写される。	
	 	
	 	
	 			
		第一段階では、𝑃_ > 𝑃gという利潤機会が存在する。このとき銀行も企業も自ら利潤を獲得し
ようとする。銀行は企業への貸し出し意欲を増大させ、企業自身も積極的に借り入れを行い、
投資に邁進する。そして投資量は𝐼nから I1 へと移動する。	
	 次に第二段階では、そのような投資が成功し、収益 Q が達成される。株価の上昇が始まり、
実物資本 OI1 には需要価格𝑃_という価格がつけられ、実物資本の総価値は OPkE1I1 となる。する
33 貸し手リスクでなく貸し手の限界リスクを用いる点について、ミンスキーは「負債比率が上
昇するにつれて、借手の発行するすべての債務は、借り換えの際に、限界的な貸し付け条件を
満たさねばならなくなる。つまり、ある遅れをもって、右上がりの供給曲線に対応する限界曲
線——これは「売り手独占」の曲線と同じものである——が貸手リスクにかかわる意思決定関係を
規定することになる。」としている。(Minsky(1975)p.110 ページ,邦訳 174 頁)
30
と、投資者はキャピタルゲイン P1PkE1P1´を手にする。	
	 最後に第三段階では、見込み収益の期待が更に強気なものとなり、需要価格曲線は右に移動
し、供給価格曲線も貸し手リスクの減少から更に右に移動する。すると投資は I2 まで拡大され
る。	
投資の成功は、企業の「借り入れ能力」の増大を意味し、企業はより多くの借金をして一層
積極的な投資計画を実行する。このとき経済は完全雇用状態、「ブーム」へと移行しつつある。	
	 完全雇用の状態に近づくにつれて「人々の推定」はより楽観的になり、よりいっそうの借り
入れによる投資が行われる。34
借り手も貸し手も更なる資金調達源を求める。そして借り手はよ
り流動性の高い資金を求め、短期の借り入れに依存するようになる。ブームでキャピタルゲイ
ンが増えると同時に、労働賃金や生産費用、金利が上がり始め、それらの支払いのために企業
は保有する資産を売却して現金を確保するようになる。こうなると企業は、それまでの膨らん
だ借金を返済するために、内部留保を積極的に増やすようになり、総投資は減少する。こうし
てブームは終わる。	
	
	
	 上の図3はブームからどのようにして危機に至るか表している。まず右の図から見ていく。
ブームが終わり債務比率、投資量の見直しを迫られた企業は、投資を I2 から I1 へと大幅に抑制
34 徳江(2003)は、これを「投機」と表現している。
31
し、借金の返済に走る。すると投資額は OBB1I1 まで減少し QQ 曲線よりも左側、つまり、自己資
金による投資量よりも左に移動する。このとき余剰資金 I1B1B2X2 は、借金の返済に充てられるこ
とになる。もし I1 を超える総投資がなされないと内部資金 Q ももたらす所得が実現されないと
したら、QQ 曲線は更に左に移動してしまい、借金を返すことができなくなる。また同時に企業
は保有資産を売却し現金を確保しようとするため、資産価格は下落し、Pk1から Pk2まで下落す
る。その結果、需要価格は供給価格を下回ることになる。ミンスキーはこのような「株価の低
下は危機的状況を示すひとつの特色である」(Minsky(1975)p.125 ページ,邦訳 198 頁)とする。	
	 こうして実体経済に対しても、投資は減少していき、乗数効果を通じて、GDP の減少、失業、
デフレーションをもたらすことになる。ここからフィッシャーが想定する負債デフレーション
過程が始まることになる。	
	
⑤負債デフレ状態	
	 以上のような経済危機に続いて、経済は負債デフレ状態に陥る。それは以下の2つの状況か
ら生じる。まず図4である。ここでは資本の需要価格は供給価格よりも低くなっている。しかし
借り手リスクは大きく、投資可能な額は、内部留保で賄える額を下回る。
	
	 次に図5は、資本の需要価格が供給価格を下回る第二のケースを表している。この場合企業は
自らのバランスシートの立て直しに邁進し、内部資金の全てが借金の返済に充てられ借り手リ
スクは消滅し、投資は0になる。これらの状況で企業はそれまでの満期の近い短期負債から返
済までの猶予がある長期負債へと借り換える。短期金利は下落し一方長期金利は上昇するが、
32
銀行も借り手もそれを積極的に利用しようとはしなくなる。
	
	
	 この2つの状況に至ったとき、負債デフレ状態が起こる。投資の減少が総需要を減らし、消
費を減らす。その結果雇用は悪化し、不況になる。ここで財政支出やリフレーション政策は負
債デフレ状態と所得の低下をとどめるかもしれないが、その不況の深さと長さがどの程度のも
のになるかは不確実である。	
	 経済はこのような不況局面からも、借金が返済され、負債デフレ状態の頃のひどい記憶が人々
の頭から忘れられたとき、再びブームへと向かっていく。ミンスキーはケインズに引き続き、
人間は現在の状況が常に続くというに仮定の下で、その時点での慣習に基づいて生きていると
考える。資本主義経済は人間の心理によって変動する。負債デフレ状態では人々は「負債は災
厄につながる」と考え、借り入れをさける考え方が支配的になる。しかし金融緩和や財政政策
等で景気が回復しだすと再びユートピアの幻想が現れ、景気拡大は加速度的なテンポで進み、
再びブームから危機へとつながる。このように資本主義においては、人間の心理と金融システ
ムが媒介となって、景気循環が内生的に発生する。35
	
35 ミンスキーの考えを日本に当てはめれば、日本が1990年代前半のバブル崩壊から「失わ
33
	 以上をまとめてミンスキーは、「ブームも、負債デフレも、景気停滞も、そしていうまでもな
く景気回復や完全雇用成長も、無限には続かないということなのである。どの経済状態も、そ
れ自身を破壊する力を育むのである」(Minsky(1975)p.128,邦訳203頁)と、その循環的性質を
アピールするが、具体的にどのような位相を経るかということは明確にのべておらず、詳細な
議論はMinsky(1986)へと譲られた。	
	
⑥負債デフレからブーム、危機への位相	
	 Minsky(1986)では、ブーム、危機、負債デフレ状態の三期間にそれぞれ該当する貨幣量と
資産価格との関数関係が明らかにされている(図3)。Pk(正常)では、(4)式のように貨幣
量が多ければ多いほど資産価格は上昇する傾向を持つ。そして、Pk(インフレーション)、Pk(負
債デフレ状態)は、以下のような非正常の状態を示す。(Minsky(1985)p.210,邦訳223頁)	
1.所与の固定された主観的な評価の下で、流動性によって提供される保険に対して、前述した
ような無限に弾力的な需要が存在する場合。	
2.保険の価値よりも諸価格の方が急速に上昇すると期待されるので、貨幣に体化された保険の
価値がゼロか、あるいは減少すると思われる場合である。	
	 この場合1がPk(インフレーション)、2がPk(負債デフレ状態)を示す。
	
1の「インフレーション」では、インフレーションが期待される場合には、貨幣供給の増大
とともにPkが増大し、貨幣供給の増加率よりも速い速度で資産価格が上昇する。その場合には
貨幣需要は減少し、「貨幣からの逃避」が生じる。	
れた20年と呼ばれるほど長い不況に苦しんだのは、中央銀行や政府が次のブームにつながる
ほどの金融緩和、財政政策を十分に行わなかったからだと言えるだろう。
34
	 次に2の「負債デフレ状態」では、現金の不足や取引契約の不履行が生じる可能性が高いと
思われている状態で、貨幣量の増大に伴わずに資産価格は下落する。このような状態は、現在
から近い過去にかけてそのような経験を経た際に生じる。ミンスキーはこのような貨幣需要の
増大を「貨幣への逃避」と名付ける。これは「流動性の罠」とも言えるだろう。	
	 以上の三つの状態は、資産価格と貨幣量の対数関係が、「正常」な状態から「インフレーショ
ン」へと移行し、それがブームにつながり、そしてその崩壊が「負債デフレ状態」につながり、
人々が借金を返し終えて悪夢を忘れた頃に再び「正常」な状態へと戻っていくというサイクル
をミンスキーは表していると筆者は考える。36
そしてそういったサイクルをコントロールするの
が金融であり、とくに「負債デフレ状態」では、政府の財政政策、中央銀行の最後の貸し手と
しての機能が経済の回復を助けるものとなる。	
	
⑦ミンスキーの現代への応用	
	 この「負債デフレ状態」と「流動性の罠」に関連して、服部(2012)
は、ミンスキーの理論
を90年代から昨今のサブプライムローン問題までの日本経済と関連させて論じている。服部
は、まず量的緩和はインフレーションの期待形成に効果がないとしたうえで、90年代、20
00年代の不良債権問題をミンスキー流の負債デフレ論を用いて論じている。	
	 しかし筆者はこのようなミンスキーの考えの援用について異議を唱えたい。それは主に経済
の循環的性質と金融危機の際の介入政策の是非である。	
	 今まで述べてきたように、ミンスキーは「人間の心理」に注目し、それをコアとした、資本
主義経済の循環的性格に着目している。突き詰めていえば、人間の心理が経済を動かすのであ
る。そしてその期待をどのように形成するかが、中央銀行、政府の仕事の役割である。この点
を服部氏は、インフレ期待は作られるものではなく、金融緩和の効果がない原因は「負債デフ
レ状態」、「流動性の罠」になってしまっているからだとしている(服部(2012)55頁)。	
	 だが、筆者の考えは異なる。仮に服部の言うように金融緩和の効果が上がらないとしたら、
それは人々がそれまでの長い負債デフレ状態になれてしまい、それが「慣習」となってしまっ
ているから、マインドの転換に時間がかかっているからだと思われる。しかし中央銀行の総裁
が強いメッセージを発信し、それを裏付ける貨幣量の増大をおこなえば、市場のマインドが大
きく変化し、デフレ期待からインフレ期待に変えることができる。ミンスキーが明らかにした
かったのは、そういった人間の心理の変遷が投機につながり、それが経済に循環的をもたらす
36 「しかし、ありうる諸関係の形状よりもっと重要なことは、資本資産や金融資産がもたらす
であろうキャッシュ・フローの期待や貨幣保有にともなう価値が、経験が変化するにつれて変
動するということである。正常時、インフレーション時、および不況時における流動性の、他
の資産との相対評価を繁栄する諸関係の変動は、これらの曲線に沿った動き以上に経済の変動
を決定づける。」(Minsky(1986)p.181,	邦訳 pp.223-224)
35
という点だ。	
「負債デフレ状態」から「正常」、「インフレーション」へと移行していくというのが、ミン
スキーの考えるケインズ経済学の失われた本意となる。37
その一つのきっかけは人々の記憶力で
あり、また「介入政策」だ。ミンスキーは確かに負債デフレ状態を「流動性の罠」と定義し、
そのような場合金融政策は効きづらいとはしている。しかしそれはまたバブルが起こるから金
融政策をしてはいけないという趣旨でない。経済は本質的に不均衡で、完全雇用を維持するこ
とはできない。だからこそ、1929年に起こった大恐慌のような「負債デフレ状態」では、
金融政策、財政政策といった介入政策で経済を回復させ人々の心理を変える必要がある。仮に
不況で当局が本当に何もしなければ、経済は不安定であるから、どこまで落ちていくかわから
ないのだ。ミンスキーの理論をもって金融政策の効果への批判とするのは、ミンスキーの本意
から外れた解釈であると筆者は思う。	
	
⑧まとめ	
	 本章ではミンスキーの景気循環論について論じた。そしてミンスキーが資本主義の内在的性
質と称する金融を仲介としたバブル発生、破綻のプロセス、そしてそういった金融危機の帰結
が、負債デフレ状態であると考えたことを明らかにした。また、服部氏のようなミンスキーの
現代の支持者も、金融緩和の期待への効果に懐疑的であることから、金融政策よりも財政政策
を推奨している。しかし筆者は彼らの解釈はミンスキーの金融不安定性仮説の理解には不十分
であると考える。それは、負債デフレ論の元祖であるフィッシャーが金融緩和を重視していた
のに、ミンスキーが財政政策だけを重視していたという理解では、ミンスキーの本意がつかめ
ないと考えるからだ。	
	
	
	
	
	
	
	
37 「我々の議論の結論は、標準的ケインズ派理論に欠けているのは、資本主義経済における金
融メカニズムを景気循環と投機という文脈において明示的に考慮することだったということで
ある。」(Minsky(1975)p.166,邦訳 203 頁)
36
第四章	 両者の理論の統合	
	
	 本章では、Minsky(1986)を基に、これまで議論してきたフィッシャー、ミンスキーにつな
がる負債デフレ論の変遷を、大きな景気循環の枠組み、特に、ヒックスの「玉突き台の理論」
を用いてとらえる。ミンスキーとヒックスは同じくケインズから多大な影響を受けていたが、
ヒックスが『一般理論』から IS-LM モデルを引き出しノーベル経済学賞を受賞するほど主流派
の経済学者として活躍した一方で、ミンスキーは傍流で終わってしまった。またミンスキーは
ヒックスが「ケインズ氏と「古典派」の中でケインズの『一般理論』から最も重要な不確実性
という数式化、図式化できない要素を抜き、IS-LM モデルのような単純化、定式化したことで主
流派経済学との整合性を図り『一般理論』を骨抜きにしたことを繰り返し批判している。38
しか
し筆者は、ミンスキーがヒックスから政策的なインプリケーションを受けているのではないか
と考えている。それは Minsky(1982)で、この加速度原理—乗数モデルについて言及し、分析を
行っていることからも推察される。39
またこのような考えは、ミンスキーが明らかにした資本主
義の不安定性を無視し、再び新古典派的な枠組みにとらえるものと考えられるかもしれない。
しかし筆者は彼の発言から、40
ミンスキーはポストケインジアンであり資本主義を批判しながら
も、決して経済安定化政策までをも非難するような学者ではなかったと考える。その点からい
っても、常に不均衡な状態を保ちながらも、マクロ安定化政策によって経済成長が続くという
ヒックスの景気循環論は、相性がいいのではないかと考える。	
	 本章では以下のような結論が得られた。ヒックスの玉突き台の理論に従えば、負債デフレ論
(乗数効果)はその誕生から約50年後にミンスキーに受け継がれ、彼の考えた移転支出(加
速度原理)と相まって、利子率の高騰(上限)と政府による公共生産への支出(下限)の間を
行き来する循環モデルに納められたと言えるだろう。以下ではまず①で玉突き台の理論につい
38
	Minsky(1975)p.14,邦訳 pp.20-21、Minsky(1986)pp.129-133,邦訳 pp.156-161 など。	
39
	第11章「代替的な金融方式と加速度原理モデル」	
40
	「われわれの経済の主たる欠陥はその不安定性にある。この不安定性は外的衝撃に基因する
ものではなく、また、政策担当者の無知、無能力に起因するものでもない。不安定性	
はわれわれの経済の内部的運行過程に基づいている。複雑にからみ合いながら展開してゆく金
融機構をもっているダイナミックな資本主義経済は、矛盾を引き起こす諸条件を増殖させてい
る。その矛盾とは、たとえば、ブレーキのかからないインフレーションとか不況な状況を指す。
しかし、制度や政策が不安定性に導く力を抑えることができるので、矛盾が完全に実現すると
いうわけではない。いってみれば、不安定性を安定化に導くことは可能だということである」
(Minsky(1986)p.10,邦訳 12 頁)
37
て述べ、それらの構成要因を分解し、②で上限と「乗数効果」、③で下限と「加速度原理」に分
けて分析し、ミンスキーの概念の当てはめを行う。なおフィッシャーについては、第二章で彼
の景気循環論は Fisher(1932)にみられ、彼の景気循環論は大恐慌を経てそれまでの振動収束
的なモデルから振動発散的なものへと変わったと結論づけた。そして振動発散モデルには上限
や下限といった概念がないことから、これら2つの概念については議論しない。	
	
① 	 玉突き代の理論とは	
	 玉突き台の理論とは、P	A	Samuelson が乗数効果と加速度原理を組み合わせた発散的な景気循
環モデルに、ヒックスが国民所得の動きに上限と下限を組み入れて補強したものだ。所得が累
積的に増加し上限の完全雇用に達すると所得増にみあった民間投資がなくなり、負の乗数効果
によって、国民所得は減少する。そして民間投資の代わりに一定の成長を続ける独立投資の比
率が高まっていき、国民所得の落ち込みペースが鈍化しやがて下限に達すると、今度は上昇に
転じる。そして今度は正の乗数効果から、国民所得は再び上限へ向かう。41
	
つまり、玉突き台の理論とは、完全雇用という「上限」、独立投資という「下限」、そして投
資の増加が総需要の増加となる乗数効果、消費の増加が総需要の増加につながるという加速度
原理という、これら2つの景気循環を引き起こすメカニズムから成立するといえる。以下では
それぞれについて述べていく。	
	
②	 玉突き台の理論の分解(上限と乗数効果)	
	 まず完全雇用という天井である。これまで述べてきたように、ミンスキーは彼が言う不安定
性、負債デフレ論は資本主義経済の内在的過程の結果であるとしている。そしてミンスキーは、
そのような不安定なブームの帰結について、「収益の現在価値と費用の現在価値の差を縮め、つ
いには両者の現在価値の大小関係を逆転させるほど短期利子率と長期利子率が十分に上昇する
ときにはいつでも、ブームの破綻が生じる。」(Minsky(1986)p.220,邦訳 273 頁)としている。	
ここで彼がいうブームの終着点は、短期利子率と長期利子率の高騰化によって実質利子率が
上昇し、民間投資がなくなり、結果的に国民所得が減少するという点ではヒックス流の理論の
上限に相当するといえるだろう。	
	 またこれと関連して乗数効果についても、ミンスキーはフィッシャー同様、企業投資を経済
の実態(What	happens)の決定因、ないし起動因であると定義している。(Minsky(1986)p.31,
邦訳 37 頁)42
彼の金融不安定性仮説が民間投資を重視していた点からも、この点ではヒックス
41 嶋中(2006)の10章「乗数と加速度」と11章「玉突き台の理論」を参考にした。
42 ちなみにここでもう一つ財政支出も同様に起動因、決定因とされるが、これは後の加速度原
理や下限の箇所との方が関係性が深いと筆者は考えるため、ここでは省略した。
38
との整合性がとれると思われる。	
	
③	 玉突き代の理論の分解(下限と加速度原理)	
	 次に、「下限」と加速度原理について説明する。これについてミンスキーが包括的に述べてい
るのが、以下の箇所である。	
	
大きな政府は、自動的に巨額の赤字を生む可能性をもつ一方で、経済に下降スパイラルの恐れ
があるとき、下から支える高い床を設定するものである。この高い床はそれ自身重要であるが、
とりわけ企業や家計が負債を抱えている世界で重要である。その理由は、法人企業の粗利潤と
家計の貯蓄がその負債を健全なものにするために不可欠であるからである。(Minsky(1986)
p.33,邦訳 39 頁)	
	
	 ミンスキーは財政赤字の役割を、「下から支える高い床」であると定義している。この箇所は
まさにヒックスの下限に該当すると言えるかもしれない。	
	 ミンスキーは、さらに政府支出を以下の四項目に分類する(Minsky(1986)p.19,邦訳 24 頁)。	
(1)政府雇用と公共生産への支出(たとえば、かつての軍需工場、郵便サーヴィス、軍事支
出の人件費部分)	
(2)政府による契約(たとえば、ロッキードの航空機やミサイル、ランド・コーポレーショ
ンのようなシンクタンクからの報告書、好意的な住民の請け負いによって建設されたハイウェ
イ)	
(3)移転支出(たとえば、社会保障、メディケア[老齢者医療保険]、失業保険、児童扶養手
当[AFDC])	
(4)政府債の支払い	
	 そして第二次大戦後政府の中で、(3)移転支出計画が大きな割合を占めるようになったこと
から、ミンスキーはそのインパクトが政府支出全体の循環的なインパクトのほとんど占めてい
ると考える。	
	 ミンスキーは1975年と1982年の深刻な不況がなぜ負債デフレーション状態にならな
かったかという理由について、連邦準備銀行が最後の貸し手として機能したことに加え、「大き
な政府が雇用と所得を安定させたのみならず、企業のキャッシュフロー(利潤)を安定化させ、
結果として資産価値をも安定化させたことである。」(Minsky(1986)p.13,邦訳 19 頁)として
いる。政府が行使する財政政策は、効力を発揮するまでラグがかかってしまう。その間、未払
い債務への支払い義務や、株価の下落は弱った金融を崩壊させてしまうかもしれない。それを
回避するには、「たとえ巨大な政府の存在の下にあっても、中央銀行の実行ある最後の貸し手の
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